第二話 その5
なんだかんだ復習を終えた俺は無事に食事にありつけることが決まった。
疲れている俺を一応気遣って、二人だけで配膳をしてくれた神崎と美玖がそれぞれ食卓に着く。席順は俺の向かいにいつも通り美玖。そして神崎はその美玖の右隣だ。同じ恰好のため、こうして横に並ばれると姉妹のように見えてしまう。
「じゃーん! これがバターチキンカレーです! まあ、ルーから作るレシピだから正確にはもどきなんだけどね」
「でもそんなことが気にならないくらい美味しそうですよ! 香りだってしっかりバターの香ばしさが出てます!」
美玖の言う通り、料理の経験値がほとんどない俺でもわかるくらいにバターを感じる。本場のインドをリスペクトしたのか、ご飯とルーが別々となっているところにも本気度が窺えた。……ルーの色が人参と一緒なことにはつっこまないでおく。すり潰して入れるなどという、幼児に向けた苦手克服方法をわざわざとるまい。あれはあれで、気づいた時に極度の人間不信になりそうだよね。
三人揃っていただきますをして、俺は早速そのルーから口に含んだ。
「あ、うまっ」
自然と感想が出ていた。それを見ていた神崎はどや顔を決める。
「ふふん。私の料理スキルの高さがわかったようだね」
「ああ。このカレーなら普通に毎日食べたい」
人参がないからというだけではない。癖になる何かが確かにあるのだ。
その証拠に先ほどのペンとは違い、スプーンは止まることを知らない。さすが本場インドである。
「そ、そう……なんだ。別に私としては毎日このカレーでも……」
「簡単に流されないでくださいよ琴音さん。毎日これはさすがにカロリーがやばいです」
「そんなに高いのか?」
「付き合い方を一歩間違えれば即太るよこれは。お兄ちゃんも運動しなきゃやばいかもよ?」
「それはお前もだろ帰宅部。ていうかそれなら、この場で一番気をつけなきゃいけなそうな人物が何も厭わない様子なのはなぜ?」
斜向かいのモデルに視線を送ると美玖もそれに引っ張られ首を動かす。
「毎日……毎日か……ってどうしたの? 二人して私をガッツリ見ちゃって」
「いや、モデルなのに何も気にせずに食べてていいのかと思ってな」
「やっぱりお兄ちゃんはそっちが気になるのかー……」
素人な俺でも体型維持はモデルの必須項目であることは知っている。お菓子などの間食はもちろんのこと、食事のカロリー制限もプロセスの一つのはずなのだが。今の神崎からはその気が一ミリも感じられない。
「あー、私食べてもあまり体に影響がないんだよね。よっぽどカロリーとかを取り過ぎたりしなければ、特に問題ないの」
「これが噂のモデル体質……!」
「他の女子から嫉妬がありそうだな。今の美玖みたいな」
「何言ってんの、お兄ちゃん! 琴音さんぐらい綺麗な人の場合は嫉妬の感情なんて通り越して、もう素直に憧れの領域だよ!」
「やっぱりその場合も少なからずはあるのね」
できれば全部否定して欲しかった。女子社会って俺たち男子のより複雑で闇が深いイメージがある。女子同士の「可愛い」ほど信用できない言葉はないのだ。俺の長年の経験からあれは多分ジョブとして牽制の役割を果たしていると思われる。「こっちは褒めたぞ、ああん?」みたいな。怖すぎる。
「今の聞いて改めて疑問に思ったから聞くけど、学校での二人の評判はどうなの?」
「神崎は言うまでもないくらい人気者。俺はそもそも認識されてるかどうかだな」
ははは、俺の場合はある意味言うまでもないということだ。ネットショッピングのサイトでレビューの付いていない商品に親近感を覚えるまである。
「サラッと悲しいことを……。ていうか今のは二人別々のを聞いたんじゃなくて、カップルとしてのを聞いたの。それこそ、そんな正反対の二人が付き合ってることへの反響が気になるって話だよ」
「そういうことか。俺たちは付き合ってることを隠してるから、反響とかそういうものはない。もちろん陰で何か思われてたりすることもな」
下校の際、裏門でわざわざもう一度待ち合わせしたのもそれが理由だったりする。
「え、ほんとですか?」
神崎の方に確認を取る美玖だったが、肯定を示す軽い頷きに「そうなんだ……」と納得したようだ。俺の言葉だけじゃ信用ならないのかよ。お兄ちゃん悲しい。
「でもなんで隠す必要があるの? 私的にはそっちの方が恋人っていう関係にとって害があるようにしか思えないけど。デートとかだって場所を選んでしかできないと思うし」
「そうなの! 付き合ってからもうすぐで一か月になるけど、まだデートしたことがないんだよね〜私たち。春休みなんてずっとラインだからね? あ、そうなると恋人としては実質二週間くらいか」
「おいお前はこっち側だろ。美玖に流されんな。ていうか『こういうのも悪くないね』なんてメッセージをその春休み中に送って来たのは誰だよ」
「ちょ、ここでばらさなくてよくない⁉」
「被害者アピールみたいなことするからだ。ほら、愛しの美玖も呆れ顔だぞ」
「え。ち、違うからね美玖ちゃん! 別にそういう意図があったわけじゃないから!」
「あ、はい。もう色々察したので大丈夫です。それでどうしてなの?」
弁解に必死な神崎とは対照的に落ち着き払った様子の美玖。なんか悟り開いた感じの雰囲気出してるんだけど。人間、この一瞬で仏になれるもんなの?
「大層な理由じゃない。ただ、元々周りが知らないところで会ってたから、関係が少し変わったとしてもわざわざ公にする必要性もないと思っただけだ。モデルっていう立場もあるしな」
「あー、そっか。文春砲の餌食になる可能性もあるんだ。美人高校生モデルが同級生との秘密の逢瀬みたいな」
「それに関してはそこまで名が売れてるってわけじゃないから、心配要らないと思うけどね。ていうか私は公に付き合ってもいいし」
美玖が納得したようにふむふむと頷く中で、ぼそりと本音を混じらせつつ訂正した神崎。ここで色々捻れるのもめんどくさいので、再び有効手を打つことにした。
「『秘密の恋人か……なんかいいね』だったか?」
「……篠宮はお代わりいるよね!」
思惑通り、突然席から立ち上がった神崎は空になった俺の器二つを持ってキッチンに消えていく。
トップカーストにも黒歴史に似た、触れられたくないものがあるのは確からしい。ボッチの専売特許だとばかり思ってたわ。
すると美玖がキッチンに移った神崎に目をやった後、不審感あふれる表情を浮かべて若干ではあるが、顔を向かいの俺の方に寄せてきた。俺の方も机の中心に耳を寄せてやる。
「……これで本当に関係隠せてるの?」
「どういう意味だよ」
「すぐに二人の世界に入っちゃうじゃん。私を置いて」
「いや、全然入ってないし。ていうかクラスでは一切話してないし」
「あーはいはい。聞くだけ無駄ってことね」
俺の主張などお構いなしとばかりに、カレーを食べ進める美玖。なんでだよ。ちゃんと質問には答えただろうが。
妹の淡白な反応に不満を覚えつつ、俺も神崎がお代わりを持ってきてくれるのを静かに待ちわびていると、妙にゆったりとした、スリッパの滑る音が近づいてきた。
「ねえ、篠宮」
「サンキュ……ってどうした?」
追加のご飯とルーを受け取りつつ、どこか不安そうな面持ちの神崎に問いかける。
「ゲリラ豪雨の場合ってさ、電車止まっちゃうよね? キッチンの窓の近くに立って気づいたんだけど……」
「……どういうことだ?」
「──うわ、ほんとだ。すごい雨」
さっきまで向かいにいたはずの美玖はリビングのカーテンをめくり、窓から外を眺めている。一瞬の静寂が訪れたおかげで、俺もその事実が確認できた。ぽつぽつどころではない、雨が地面を叩く音が主張を繰り返しているのである。
「あー……京浜東北線は一時運転見合わせらしいです」
そしてスマホで運行状況を確認し、すぐさま神崎に伝えた美玖。俺の妹が行動力の塊すぎる。気が利く子だこと。でも今欲しいのは天気の子なんだ。
「だよね。……どうしよう、帰れなくなっちゃった」
神崎は浦和住み。ここ──与野地区からこの天気では徒歩で帰れるような距離でもない。だからこうした状況に見舞われると帰宅手段をなくしてしまうのだ。
「でもゲリラなんだろ? 長くても降るのは一時間くらいだろうから、止むまでここにいろよ。一応駅までは送るし」
不安による儚さが追加されたその端整な顔を少しでも元に戻すため、励まし……になることを望んで声をかけた。
「そうだね。ありがとう、お言葉に甘えるよ。とりあえずお母さんにメッセージを──」
「まあ、待ってくださいよ琴音さん。何も一時的な雨宿りだけが手段ではないはずです」
美玖がスマホを取り出した神崎の肩にポンと両手を置いた。
「……どういうこと?」
「お耳を拝借」
「お前はいつの時代の人間だよ」
そしてそのまま美玖は神崎をリビングに押して連れて行き、その顔を神崎の耳元に近づける。
なぜか悪戯を思いついた幼子のような表情で何かを伝える美玖と、段々とその頬が赤くなっていく神崎。……何か見てはいけないものを見ている気がする。でも見ちゃう。男子高校生だから是非もないよね!
「──ということで、こういう感じに!」
「別にそのこと自体はいいけどさ……初めて家に来た日に……なんて引かれないかな? ほら、倫理というかモラルというか!」
「大丈夫ですよ、琴音さんなら! ご飯だって一緒しましたし!」
会話の勢いのまま背中を押され、神崎がこちらに近づいてきた。え、俺関係あるの? 百合じゃなかったの?
「えと、その……今日、このまま泊っていいかな?」
視線をあちらこちらに散らしつつ、神崎はそんな提案を口にしたのだった。
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試し読みは以上です。
続きは2020年2月1日(土)発売
『クラスで一番の彼女、実はボッチの俺の彼女です』
でお楽しみください!
※本ページ内の文章は制作中のものです。実際の商品と一部異なる場合があります。
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クラスで一番の彼女、実はボッチの俺の彼女です 七星 蛍/角川スニーカー文庫 @sneaker
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