最終話 ティアーボ・チッチェリー

「カトレア、だったら旦那さまのベッドで寝たい。いい?」

「あ、うん。いいよ。ゆっくり休んで」


 えへへ、と笑ってカトレアはふらふらと玄関に向かい、もたつきながらドアを開け、その場で倒れてしまった。


「あ、もうっ」


 ティアが苦笑しながら駆け寄り、フィーロに手伝ってもらいながら背負う。


「やっぱりまだ安定しないね……」


 ティアに抱きしめられたカトレアは魔力の乱流が収まった後に気を失った。

 目を覚ました時には自我も記憶も、魔女としての欠けた心も全てを失っていた。

 娘の抱擁から逃れようと魔力を全て使い果たした影響だろう、とティアは結論づけ、母を助けるために魔獣たちの力を借りた。


『心が完全に壊れたのだから、魔獣にしてしまえばいい。それは分かりますが……』


 渋ったのはフィーロだ。

 義理とは言え娘が新しく魔獣となって同じ主に傅く。そのこと自体は喜ばしいこととして受け入れてくれたが、助けるための方法に異論を挟んだのだ。


『人間だった頃の記憶も無くなっちゃったんでしょ? なのにお母さんって呼べるの?』


 カーニャもまた諸手を挙げての賛成はしてくれなかった。


『魔力がさ、心から生まれたものならさ、魔力を使ってるうちに心が生まれることだってあると思うの』


 半ば思いつきのような提案だった。


『旦那さま、魔獣に心はありません。魔獣へ成る時にいただく魔女さまの血肉と魔力を媒介に、森に溢れる魔力を流用しているだけです』

『そんなはずないよ。フィーロの糸使う時だって、カーニャにもらったお守りだって、ウルラに運んでもらう時だって、いつもみんな違う魔力感じてるよ? それってあたしの仮説が合ってるってことじゃないかな』


 それが幻想なのかも知れないとティアも頭のどこかでは感じている。

 けれど、そこにすがりたいのだ。

 愛すると決めたのだから、どんな姿形になろうと愛したいが、助けられる可能性が僅かでもあるのならば、それも利用しておきたい。


『……分かりました。幸いわたしたちには悠久の時があるのです。無我から自我が生まれる瞬間を見られるやも知れませんね』

『その言い方、やっぱりおばあも学者センセイなんだね』


 どこか自慢げに胸を張り、フィーロはにこやかに言った。


『お許しを頂ければ、魔女王の力が旦那さまとダナエさまのお二人に別れてなお効力が持続している理由なども解明して見せますが』


 そう。魔女王の力はティアとダナエ、ふたりに分割されて移植された。

 それが功を奏したのか、ふたりの心の形は魔女と同じく壊れたまま。恐らく肉体も不老のまま時を重ねて行くのだろう。


『いいよ。そんなの。調べたところで誰が受け継ぐのよ』


 それもそうですね、とフィーロは苦笑した。


『じゃあ、ちょうど全員揃ってるし、少しでいいからカトレアに血を飲ませてやって。全員が終わったら魔獣としてあたしが契約するから』


 そう言ってかつて母だった女を見つめ、不敵に笑いながらティアは言う。


『……覚悟しなさい。あんたが泣いて謝っても愛し続けてやるんだから』


 かつて娘だった女に言われたカトレアは、何か言いたそうに口を開き、しかし言葉にすることは出来ずにティアを見つめ返した。


『旦那さま、始めましょう』

『うん。お願い』


 こうして魔女カトレアは、魔女王ティアーボの魔獣と成った。


     *        *        *


「よいしょっと」


 フィーロに手伝ってもらいながら、ティアはカトレアをベッドに下ろし、ふとんを掛けてやる。


「生意気言わないだけでこんなにかわいくなるなんて思わなかったな」

「わたしも寝顔は初めて見ます。毎日研究に追われて、カーニャを出産するときだって、最後まで分娩室に機材を持ち込めないか先生と話していたぐらいですから」

「なにそれ。よくそんなので結婚とか出来たね」

「両親を早くに亡くし、親戚をたらい回しにされ、そのせいでともだちも出来ず、勉強以外に自分の居場所が無かったようです。だからあんな研究を……」


 懐かしむように、労るようにフィーロは吐露する。

 この魔力と魔女が支配する世界を造ったのは、自分だとカトレアは言った。

 いまさら元の世界に戻ることは無理だとティアは思う。いまはまだ実感が無いけれど、魔女を束ねる魔女王と成ってもそれは変わらない。


「ねえおばあ。この人って結局、いまの世界を壊したかったのかな、守りたかったのかな」


 カトレアを見つめたままのティアの表情は、隣からでは良く見えず、フィーロは暫く考えてこう言った。


「それは、カトレアの自我が戻ってから訊ねたら良いのではないでしょうか」

「なにそれずるい。ちゃんと答えてよ」


 唇を尖らせるティアに、フィーロは最初苦笑し、すぐに表情を重く変えてこう続ける。


「この子がわたしが腹を痛めて産んだ子なら、少しは分かったかも知れませんが、わたしも研究しかしてこなかった人間でしたから」

「……もうっ」


 ぶう、ともう一度唇を尖らせて睨み、カトレアに視線を戻す。


「絶対ちゃんと訊くからね。忘れたりしないでよ」


 そっと頬を撫でると、優しく握り返してきた。


「なによ。いまさら」


 苦笑して手を離し、ドアへと振り返る。


「これから、どうなされます?」

「取りあえず、学校造る。カトレアがこんなになっちゃって、入り口も消えちゃったから、魔女王の魔力の中にあったカトレアの空間を支配する力を使って、あたしが造る」


 唐突な提案に、一瞬口を噤み、すぐに払拭するように笑顔でフィーロは賛同する。


「それは……、良いアイデアですね」

「でしょ。だから、みんなの人間だった記憶も少し借りると思う。あたしとダナエの記憶だけじゃ、教科書ひとつ作れないもん」

「あら。だったらわたしが教師として旦那さまとダナエさまをご指導いたしますわ」

「それいいね。魔獣たちも一緒に勉強できるようにしよっか」

「ええ。カーニャもプレディカも、年若いまま魔獣に成った者も多いですから」

「うん。それでみんなで考えていこ。どうすればこの世界にとって良い選択になるのかを。魔女王なんかに頼らなくても良い世界になるように」


 はい、と微笑むフィーロ。

 やることが決まった。

 これからも忙しくなりそうだ。


「やるぞーっ! おーっ!」


 魔女王としての永遠は、始まったばかりだ。


                                

                                   

〈 終 〉

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魔力の森の魔女とひとりぼっちの卒業 月川 ふ黒ウ @kaerumk3

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