第24話 お母さん

「旦那さま、みんな。コーヒーが入りましたよ」

「あ、ありがと。ほらみんな、休憩にしよ」


 はーい、と魔獣たちが一斉に返事をして、場は柔らかな空気に包まれた。

 玄関先に設置された丸テーブルに全員が集まり、丸太を切って表面を滑らかにしただけの椅子へ適当な並び順で座り、コーヒーとクッキーに舌鼓を打った。

 ティアたちはいま、無くなった天井の修復工事に励んでいる。

 ダナエを開放するために家を犠牲にしたことに後悔は微塵も無い。いまもこうやって眺めてみると、すっぱり屋根が無くなっていて、壁も半分ぐらい無くなっているのはむしろ盛観で清々しい。

 屋根にするための木材は、まず家の近くの木々を伐採して確保したので、家の周囲もすっきりとした青空に包まれていて、こうやって集まって食事をしたりするととても気持ちがいい。


「ふう、いつ飲んでもフィーロのコーヒーは絶品じゃのう」

「恐悦至極にございますわ、ダナエさま」


 フィーロと談笑するダナエも、首にタオルを引っかけて木材の精製に励んでいる。こういうとき樹木を自在に操れるダナエと、工具を使わずに精緻な細工が施せるプレディカのふたりがいると作業がはかどっていい。


「カーニャ、進捗状況がはどう?」


 全員にコーヒーが行き渡ったのを確認しティアはカーニャに問いかける。


「うん、全部順調だよ。ちょっと早いぐらいかな」

「そう。みんな、焦らなくていいからね」


 雨風を避けるための刺繍は、屋根の修復と平行してカトレアと行っている。


「あれ? そういえばカトレアは?」


 いままで気付かなかったのも薄情だと思うが、気付いた以上は気になってくる。

 またぞろ森で迷子になっていたら面倒ね、と立ち上がった瞬間、右頬を舐められた。


「んひゃぁっ!」


 驚いて右を振り向けば、頭に黒の三角耳をふたつと、同じく黒の細長いしっぽを二本生やしたカトレアが立っていた。

 衣服はあの深紅のドレスではなく、タンスの肥やしになっていた、かつてカーニャが着ていた黒のシャツと黒のスウェット。母を心底嫌っていたのはティアだけなので、カーニャが拒否することは無かった。

 カトレアは怯えたような、困ったような顔でティアをじっと見つめ、おずおずと言う。


「旦那さま、終わった。次、なにすればいい?」


 びっくりさせないでよ、と微笑みかけてゆっくりと頭を撫でてやる。


「とにかく座って一休みして。そしたら部屋で寝てていいから。昨日も一昨日もあんた、徹夜で刺繍やってたでしょ」


 叱られたと思ったのか、慌てて目を伏せるカトレア。


「怒ってないよ。無理しないでってだけ。まだ身体も精神も安定してないんでしょ?」


 頭を撫でながらできるだけ優しく言うと、恥ずかしそうに頷いた。

 あの女とこのカトレアはほぼ別人だと分かっているのに、どこかであの女のことが重なってしまう。

 でも悪い気はしない。今度はうまくやると決めたのだから。


    *        *        *


「おまたせ、ダナエ」


 まばゆい輝きに包まれながらも、互いの顔もからだもはっきりと見えた。


「……待ってなど、おらぬわ。ちぃとばかり苦しかったがの、あの程度わらわひとりで、痛いぃっ!」


 あまりにも生意気を言うので、ぷにぷにのほっぺたをつねってやった。


「強がるんじゃないの。妹は妹らしくお姉ちゃんに頼ればいいんだから」

「折檻反対じゃ。愛があればなにをしても良い、などというのは我が儘に過ぎぬ」

「もう、まだ言うか、こいつめ」

「痛い痛い! 爪を立てるでない!」


 ふん、と荒い鼻息をひとつ。

 そしてぎゅっと抱きしめ、耳元に囁く。


「元気で良かった。苦しいならもっと早く言いなさいっての」

「あの程度、すぐに押さえ込めると思うておったのじゃ」

「だから生意気言うんじゃないっての」


 からだを離し、そっと床に横たえさせる。


「あとは、あたしがやるから。あんたはあんたの魔力をどうにかすることだけ考えて」

「しかし」

「あの女はあたしの母親なの。これ以上身内のことで迷惑をかけたくないから」

「わらわはティアの、」

「妹だよ。でも、それとこれとは別。悪いけど」

「そういう、哀しいことを申すでない」


 ごめん、とひと言残してティアは立ち上がる。


「じゃ、あとは大掃除ね」


 言ってぺろ、と出した舌には、ティアのうなじにあった印が刻まれていた。


「待ちやれティア、そなたもしや」


 いまだ荒れ狂う魔力の嵐の中を歩き出したティアに、もうダナエの言葉は届かない。

 伸ばし欠けた手をぎゅっと抱え込んで、


「しばしじゃ。しばし待っておれ。すぐに駆けつけて見せる故」


 ティアはいまやるべき事に専念した。


「で? 結局なにをしたいの? わたしを殺すの?」


 カトレアの挑発に、ティアは鼻で笑って返す。


「決まってるでしょ。大掃除よ」


 すぐ足元に転がっている魔力が詰まった魔布の玉を拾い上げ、れろ、と舐める。次の瞬間には魔布はくたりと萎み、ティアが無造作に後ろへ放り投げると、生成と魔力の吸収を続ける布たちの元へ戻り、その内へ魔力の吸収を始めた。


「ふううん。でもティアちゃんの心は壊れていないのよ? どうせすぐにダナエちゃんと同じ、ううん、もっとひどい道を辿ることになるわよ」

「だったら何? 自分が苦しむだけで全部が解決するなら、あたしは迷わずそっちを選ぶ。ただそれだけのことよ」

「あらそう。じゃあこういうことをされてもまだ同じ事が言えるかしら」


 もう一度人差し指を立ててカトレアはその先に魔力を集める。

 ダナエは耐えた。

 他人が出来ることを自分も出来るなんておこがましいことは言わない。

 でも、やってみせる。

 耐えて見せなければ、ダナエの姉を名乗ってはいけないのだから。


「ほら、やりなさいよ!」


 両手を広げ、叫ぶ。


「自分の旦那殺しておいて、娘を殺せないと言わないでよ」

「……まあいいわ。せいぜい楽しませてちょうだいっ」


 先ほどダナエにぶつけたものよりも数倍大きな魔力の塊を、カトレアはため息交じりに投げつけた。

 すうっ、と自分の中に入っていくのをティアはしっかりと見届け、しばらくは平然としていた。


「なによ、こんな……、あ、が、あああああああっ!」


 全身が内から外からかき回される感覚。

 記憶も感情も呼び起こすだけで激痛が走る。

 肉体が歪む。内蔵が増える。いまにも肉を皮膚を突き破って何かが飛び出しそうだ。

 こんなものをあの子は耐えたのか。

 心底魔女で良かったと思える。心がちゃんと形を残していたら、きっと自我はあっさり壊れていたはずだから。


「……あれ?」


 思わず口にしてしまう。その反動が激痛となって返ってくるが、ティアの意識は半分も認識しなかった。

 あの女はティアの心は満たされていると言っていた。

 自分もダナエを妹だと認めてから、欠けていた心が満たされた感覚が強かった。

 自分は魔女で無くなったのだと思っていた。

 錯覚でもいい。

 心なんて邪魔なもの、壊れていてくれたほうがありがたい。

 魔女王の魔力をどうにかできるのなら、ダナエをこれ以上苦しませないのなら、どんなことだって受け入れる。

 そうか。

 やっと分かった。


「わああああっ!」


 内から飛び出ようとする何かへ向けて、ティアは自らの魔力を送り込む。

 許せないことはある。

 育児を放棄しただけでなく、父親を殺した。

 祖母も姉も何か知っているみたいだったけれど、まだコドモだった自分はその事実だけを責め立て、家から追い出してしまった。

 百年も経ったのだから、今度は受け入れられるかも知れない。


「あたしね、最初っからあんたのことが嫌いだったんだ」

「知ってるわよ。生まれた時から生意気で、おっぱいあげても全然飲まなかったし、わたしじゃ絶対にお風呂入れさせなかったもの」

「だから、今度は愛そうって決めたの」

「は? なにそれやめてよ気持ちわるい」

「ダナエ見てて思ったの。実の親子だって相性はあるけど、家族に産まれた縁をおろそかにしちゃダメだし、愛して欲しかったら、まず自分から愛さなきゃだめだって」


 ティアが自らの魔力を部屋全体に送ると、魔女王の魔力をため込んだ魔布たちが一斉に弾け、溜め込んでいた魔力がティアへと殺到する。

 次々と魔力の塊がティアに吸い込まれていくが、もう彼女に苦痛は見られない。


「あんただって知ってるでしょ。あたしが頑固だってこと。だから、絶対にあんたを愛してやるんだから!」


 ソファに座るカトレアに飛びつき、しっかりと抱きしめる。


「は、離しなさい! あんたなんかに抱きつかれても、嬉しくなんか無いのよ!」


 本気の嫌悪感をあらわにしながらカトレアはティアの背中に手を当て、魔力を放つ。


「あんたたちはただ黙って魔女王になればいいのよ! 魔女王なんか、魔力の森を維持するためのパーツなの! 心から生まれる感情がある人間同士の争いを無くすには、心が壊れた誰かに支配されるしかないんだから!」

「なにそれ。魔力の森は、あんたが造ったの?」

「そうよ! ただ怖いからってだけの理由で他人を貶めて傷つけて挙げ句殺すような人間なんか核でも津波でも細菌兵器でもなんでもいいからさっさと滅びればいいのに、ゴキブリよりしぶといから上位種が管理しなきゃいけないの!」

「だからあんたが魔女王になってたのね」

「そうよ! 他に頼めるわけないじゃない! 心を持った魔女になって、何百年も独りで人間どもを管理だしろなんて!」

「でも、いまダナエに押しつけようとしてる」

「ほんとはあんただったのよ。だから魔女にしたときに魔女の知識と一緒に印を付けた。でもあんたが幸せになるから!」

「しょうがないじゃない、そんなの言われても困るわよ」


 そうか、とティアは閃き、カトレアの耳元に囁く。


「じゃああたしは、あたしだけはあんたを愛してあげる。だから、もう一回家族、やってみよ? お姉ちゃんもおばあも、ダナエもあたしの魔獣たちも、あんたが悪さしなかったらたぶん受け入れてくれると思うからさ」


 もう一度ぎゅっと強く抱きしめる。できるだけ愛を込めて。


「イヤよ! 止めなさい! 人間なんかに戻りたくない! わたしを、わたしなんかを、愛するなぁあああああっ!」


 絶叫と共に、これまでで最大規模の魔力が放射される。

 痛みはもちろんあったが、それ以上に、このひとを離してはいけないという思いが手を離させなかった。

 ごめんね、お母さん。

 もう一回だけ、ちゃんとやろうよ。

 今度は、愛せると思うからさ。

 放出された魔力と、魔布が吸収していない魔女王の魔力たちが共鳴し、またも家はまばゆい光に包まれた。

 魔女王の魔力をどうにか押さえ込み、それを目撃したダナエは、理由の分からないまま溢れる涙をそのままに、ティアの無事だけを祈っていた。

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