第23話 目覚めのキス

「お家壊してなにするの?」


 カトレアの挑発にはもう完全無視を決め込んだ。ただでさえ集中力を使っているのに、これ以上自分からストレスを増やすのは愚かすぎる。


「無視なんてひどーい。おかーさんそんな風に育てた覚え無いわ」


 あんたが母親面するな、と言いたいが止めておく。

 それよりも集中。ティアの周囲には無数のハンカチ大の布。そろそろいいだろう。


「せっ!」


 魔力の流れを変える。部屋のあちこちに置いてある針山から縫い針を魔力でかき集め、屋根から作り出した糸を一斉に通す。

 やれるかどうかじゃない。

 やるんだ。

 ダナエはいまも苦しんでいるのだから。

 決意をもう一度固めたところで、フィーロが開け放した玄関から叫ぶ。


「旦那さま! 我が家の避難は終わりました!」


 いつか森が火事にでもあったら使おう、と倉庫で埃を被っていたリヤカーをフィーロたちは引っ張りだし、そこに家財道具やら紡績機やらコーヒー豆やらを積み込み、フィーロの糸で縛り付け、カーニャはまだ気を失っているアルマを背負い、不安の混じった笑顔でティアを見つめている。


「うん。ありがと! はやくみんなにも伝えて!」


 返事をするのが精一杯で、振り返る余裕など一切無かった。

 それは背中越しに伝わったのだろう。フィーロは深々とお辞儀をして去り、カーニャは声を枯らして叫んだ。


「待ってるから! 待ってるからね! ─っ!」


 最後にカーニャが呼んだ名前。あれは自分が人間だったときの名前だ。

 自分にはもう認識すらできないのに、カーニャは、姉はまだ覚えていてくれたんだ。

 覚えていよう。姉が自分の名前を覚えていてくれたことを。


「行くよ!」


 無数の針たちに無数の布へ刺繍を始めさせ、同時に糸の一本を魔力に乗せてダナエに飛ばし、触れさせる。


「ダナエ! あたしの声が聞こえる方に意識を向けて!」


 繋いだ糸をしっかりと握り、声にも魔力を込めて叫ぶ。

 ぴくん、と引いてくれた。届いているんだと実感する。


「わああああっ!」


 再び、魔力が暴風となってダナエからティアへと突き進む。


「なんどやっても同じこと……? なんで溢れないのよ!」


 たぶん、初めて見るカトレアの狼狽に、ティアの口角が上がる。

 魔力を受けた魔布はどくんどくんと脈打ち、膨らむ。風船のようにパンパンに膨れ上がると落下し、ティアの足元へと転がっていく。魔布が落ちた空間には新しい布が入り、一瞬で紋様を書き上げ、魔力を吸収していく。


「そう。放出じゃなくて吸収させてるんだ。考えたわね」


 描いた紋様は、魔力の吸収と保持。

 先ほどのようにダナエを苦しめる魔力を放出しても、カトレアは集めてダナエへ還元するだろう。

 だから、刺繍を終えた布に、ダナエを苦しめる魔力をため込ませる。

 一枚一枚に吸収出来る量は小さくとも、数をそろえることで補おうと言うのだ。


「あんた程度の魔力でどこまで吸収できるか、まあ見ててあげるわ」


 あるいはカトレアが行動を起こすのはこのタイミングしかなかったのかも知れない。


「言われるまでもないわよ! ダナエ! 遠慮しないで思いっきり出して!」


 返事のつもりなのか、繋いだ糸が震え、放出される魔力の量が増大した。

 遠慮しなくていいと言った手前、全て受け入れなければ格好悪い。がんばる。


「もう少しよ! 肌が見えてきてる!」


 足元に集まる、膨らんだ魔布はもうティアのスネのあたりまで上がってきている。なのに放出量は収まる気配を見せない。


「どう? そろそろギブアップしてもいいのよ?」


 布と糸の生成と刺繍、魔力の吸収のルーチンに少しばかり余裕が出来てきたティアは、ここぞとばかりに反撃した。


「あんたこそ! そんなこと言うやつは大概余裕がないのよ!」

「余裕ならたっぷりあるわよ。だって、あんたが吸収した魔力って、全体の三割程度よ?」

「誰が全部吸収するって言った?」


 にや、と上げた口角は、あの女と同じだよ、とどこか冷静な自分が言う。

 認めたくなくても、自分はあの女の娘なのだから。


「じゃあこの子を助けるために命張ってるの? ばかみたい」

「あんたにはどれだけ説明しても分からないことよ!」


 やっぱりこの女と会話なんかするんじゃなかった。視界をダナエだけにして刺繍の完成速度をさらに上げる。


「あんまり無理しないほうがいいわよ。もう天井無くなっちゃってるじゃない」


 うるさい黙ってろ。

 家なんかまた造ればいいんだ。

 いまダナエを助けなかったら、新しく家を造る意味すら無くなってしまうのだから。


「わああああああっ!」


 さらに魔力を込め、循環率を上げる。足元に転がる魔力の玉はもう部屋全部に敷き詰められ、足の踏み場もないほど。これで三割なんて、ダナエはよく耐えていたと感心することしかできない。


「見えた!」


 ダナエの、たぶんうなじ。そこにかつて自分の舌にあった紋様が刻まれている。ダナエならそれぐらいやってみせる。本当にすごい子だ。


「なんだ。やっぱりあったんじゃない。焦って損したわ」


 カトレアのつぶやきは無視してティアはダナエと繋いだ糸をしっかりと両手で握る。


「いま行くから!」

「……っ、…………っ!」


 なにか返事をしたと思うが、魔力の嵐に巻かれて消えてしまう。

 荒れ狂う嵐は一歩進むだけで相当な体力を使わせる。うまく魔力の流れを見極めろ。布たちの位置を調整して流れを作り出すんだ。

 ふと見えた正面の壁はもう半分ほどがなくなっていて、森の様子が丸わかりだ。念のためカーニャの姿を探してみるが、ちゃんと避難しているようだ。えらい。


「ふんぬっ」


 流れの制御の仕方が少し分かってきた。あの女から生まれた魔力だけあって、あの女と不毛な会話をしている時の記憶が過ぎる。自分がもっとあしらいかたを身につけていれば、こんなことにはならなかったかも知れない。

 そんな妄想じみたことを頭の片隅で考えている内に、ダナエに手が届く距離までどうにかやってこれた。

 うつ伏せに倒れるダナエから伸びる手足の数は、合計で十本ほどにまで減っている。衣服はすっかり破れ、きめ細やかな肌が目に眩しい。


「もう、少し……っ」


 懸命に右手を伸ばすティアの指先に、擬似腕が触れる。激しく鋭い痛みが指先から伝わってくる。それでもいい。ダナエから生まれたものならば、あの女の一部だろうと受け入れてみせる。


「離さないから! あたしを掴んで!」


 他の擬似腕が一斉にティアの手を腕を掴む。腕が千切れそうな痛みが駆け巡るが絶対に離さない。

 視界の隅でカトレアが悔しそうに視線を逸らしたが、あの女に構っていられる余裕なんか無い。根性でもう一歩踏み出し、左手でダナエの胴体を抱え、抱き上げる。


「目覚めのキスよ。起きなさい」


 擬似腕をかき分け、うなじの印に優しくキス。

 瞬間、光が溢れた。

 冷たく柔らかな光だった。

 こんな感情持ったまま魔女になるから、あんなしわくちゃになって死ぬのよ。

 光に包まれる瞬間、ティアはそんなことを思った。

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