第22話 家

「ダナエになにやってるのよ! あんたは!」


 笑い声はカトレアに、母親にあたる女のものだった。

 もう縁は切れたのに、まだこうやってまとわりついてくるなんて。

 自分の家のことにダナエを巻き込み続けていることに、ティアの胸が締め付けられる。


「……よい。なにも、するでない……」


 マスクを何重にも重ねたようなくぐもった声が、もはや肉の塊と呼ぶにふさわしいダナエから聞こえてきた。


「でもあんた!」

「ティアも知っておろう。魔獣化の儀式を一度始めたら、完了まで止めてはならないと。互いを繋ぐ魔力は、臍の緒のようなもの。断ち切ればたちまち不幸が訪れる、と」

「知ってるけど、もう~~っ!」


 じたばたと手足を動かして悶えて、ふたりのために何かできないかを必死で観察し、考える。

 無数に生えたあの手足。あれは魔力そのものだ。ダナエが自身に植え付けられた膨大な魔力をまだうまく使いこなせていない証拠だ。

 だったら、あの魔力を循環するように流れを作ってやればいい。

 ティアは懐から無地の布と針を用意してフィーロを振り返る。


「フィーロ、糸を」

「はい。ただいまご用意いたします」


 す、と人差し指をティアに向け、その先からしゅるしゅると糸を放出し、左手でよりを与えながら魔力を込め、ティアへと送る。


「ありがと」


 届いた糸の端を針に通し、無遠慮に引っ張る。あんっ、とフィーロが喘ぐが糸に魔力を与える動きによどみはない。


「待っててダナエ! 儀式に集中できるようにするから!」

「は、早う……頼む……っ」


 頼ってくれた。

 その嬉しさも込めて瞬く間に刺繍を終え、フィーロに感謝し、完成した魔布をダナエに向けてかざす。


「カトレア! あんたの相手はあたしよ!」


 瞬間、ダナエを覆い尽くす腕や足、そこに現れた目や口が一斉にティアへ照準を定める。


「来なさい!」


 魔布に魔力を込める。一瞬置いて膨大な魔力が魔布へ流れ込んでくる。


「くぅっ!」


 あの女を受け入れるなんて死んでもイヤだ。だから魔力は受け入れるのではなく空間に放出してやる。


「カーニャ、フィーロ! 窓とドアを全部開けて!」


 いまかざしている魔布に施した刺繍は、掃除機ではなく換気扇を紋様化したもの。流れてくる魔力を、自分の魔力で家の外へ押し流してやるための刺繍だ。

 凄まじい速度で魔力がティアの背後へ流れ出す。窓やドアを開けた程度では逃しきれない魔力が部屋の中に竜巻を産みだし、窓が壁が激しく揺れ、調度品や衣類が乱れ飛ぶ。


「こんのおおおおおっ!」


 しっかりと立っていないとあっという間に吹き飛ばされそうだ。こんな膨大な魔力をダナエはその身に宿していたのだ。そう考えると帰ってから儀式を始める間も、アルマを叱りつけている間もきっとずっと苦しかったに違いないと思えて胸が苦しくなる。

 すごい子だ。

 自分だったらできるだろうか。


「旦那さま! ダナエさまが!」


 荒れ狂う暴風の中、目をこらしてダナエを見る。肉塊になりかけていたダナエは、僅かにだが人の姿を取り戻している。耐えて欲しい。


「ダナエ! アルマはまだなの!?」

「もう、少しじゃ!」


 ぎりぎりとアルマを包む枝がしなり、その度に嬌声が響き渡る。


「満たされて、ああ、満たされていますわ! ダナエさま、ダナエさまぁっ!」


 さいごに一際大きな嬌声が上がってようやく、アルマを絞めあげる枝は力を失ってしゅるりと床へと戻っていった。


「殿下、ありがとうございます……っ」


 開放されたアルマは穏やかに微笑んで、そのまま無防備に倒れ込んでいく。汗でしっとり濡れた頭が勢いよく床に当たる寸前、カーニャが抱きかかえて事なきを得た。

 ひとまずの区切りがついたことに全員が安堵のため息を落とす。

 次はダナエ、とティアが意を決した瞬間、部屋の中央に女の声が響き渡った。


「あーら。なにやってるのかしら」


 多少落ち着きはしたが、魔力の暴風はまだリビングを蹂躙している。にも関わらずその女、カトレアは平然とソファでくつろいでいる。

 そこはフィーロとダナエの場所だ。座るな。

 さらに腹が立つのは、魔女王が着ていた深紅のドレスを纏っていること。魔女王は、母親にあたる相手は死んでやっと縁が切れたのに、こいつがこんな格好をしていると、またあいつのことを思い出してしまうではないか。


「あんたいつの間に!」

「つれないわね、ほんと」

「ここはあたしの家よ! 呼ばれてもいないのに勝手にくつろぐな!」


 こんな女の相手なんかしている余裕なんてないのに。

 こういう人種は相手をするだけつけあがる、と思い直し、ティアはダナエの魔力を放出する作業に戻る。


「なぁに? この魔力、そんなに欲しいんだ」


 無視だ無視。


「でもだめよ。これは新しい魔女王サマのものなんだから」


 座ったままカトレアは、す、と右の人差し指を立てて頭の上まで腕を伸ばす。と、あれだけ荒れ狂っていた魔力の風がカトレアの人差し指の上辺りに集まり、魔女王がやって見せたような魔力の球体へと凝縮する。


「なにを!」


 これまでの言動から、カトレアがなにをしようとしているのかの想像はつく。もしティアの想像通りなら、せっかく肌が見え始めているまでに魔力を放出したダナエのからだがどうなるか、まるで想像できない。


「でもあーげない。これはあの子のものだもん」


 すい、と立てた人差し指をダナエに向ける。それに合わせて魔力の球体が、どうにか人間だと分かるまでに回復したダナエに向かい、触れる。


「あああ、ああああああああっ!」


 ほとばしるマグマのような絶叫に、耳を塞ぎたくなるがこれは聞かなければいけない叫びだ。


「だから!」


 ダナエを助けるためならもうなんだってしてやる。


「ごめん、カーニャ! フィーロ! アルマと家にある大事なものとにかく全部かき集めて、森の魔獣たちと一緒に避難して!」


 それまで静観していたフィーロは一瞬絶句したあと恭しく頷き、


「だめだよ旦那さま! そんなこと言っちゃ!」


 カーニャは涙混じりに拒絶した。


「いい子だから。カーニャ。お姉ちゃん。お願い」

「でも!」

「全部が終わったら一日なんでもお願い聞くから。いまはあたしのお願いを聞いて」

「……でも」

「お姉ちゃんは心配性なんだよ。大丈夫。あたしは魔女だから死なない。でもカーニャたちがいなくなったら簡単に死んじゃうの。だから」


 ぐす、と鼻水をすすって、カーニャは努めて笑顔で答えた。


「……わかった! 旦那さま、約束だからね!」


 うん、と頷いてティアは魔力の放出を一旦止める。

 ふう、と一度息を吐いて、天井を見る。


「いままでありがと」


 魔力の矛先を天井に。百年前、魔女に成ったり魔獣にしたり色々な変化にドタバタしながら造って、何度雨漏りの修理をしたか分からないこの家。

 百年なんてあっという間で、でも日々の暮らしはかけがえの無いもので。

 楽しかった。

 人間だった時とは比べものにならないほどに。

 それをこの家は支えてくれた。

 家族の次に大切なものを挙げろと言われれば、この家が真っ先に思い立つ。

 でも、この程度のものと引き替えにダナエが助けられるなら、喜んで使ってしまおう。


「はあぁっ!」


 自分の内にある魔力だけを天井にぶつける。と、天井に使われている丸太が繊維となって解け、瞬く間に布と糸に生成されていく。

 ティアの決断と覚悟にカトレアは、あら、と微笑んだ。



「お家壊してなにするの?」



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