第21話 魔女カトレア

「ならぬ。帰るがよい」


 外で立ち話も何ですから、とフィーロの提案によりアルマの入室をダナエが渋々認め、五人はソファに座ってアルマの話を聞いていた。

 一人がけのソファにティアが座りその足元にカーニャが伏せの姿勢でアルマを見張り、ティアから見て右側にダナエとフィーロ。その対面にアルマがソファの下で正座をしているのがいまの状況だ。


「ま、魔女さまには従者たる魔獣が必要と聞き及んでいます。私は、ダナエでん……さまがお生まれになった時から片時も離れたことはありません。私以上に、」

「ならばなぜわらわが魔女に成ったと聞いてすぐに参上せなんだ」


 びく、とアルマの肩が震える。


「そちはわらわの近衛であろう!」


 元とは言え主に叱られ、アルマはただただ叩頭し、萎縮するばかり。


「ダナエさま。せめて何があったのかを聞くだけでもなさったら如何でしょうか。遅れた理由もきっとあるはずです」

 ティアに先んじてフィーロに窘められ、渋々ダナエはアルマに促す。


「わらわが魔女になってから何があったか、包み隠さず申すがよい」


 は、と短く答え、アルマは話し始める。

 実質的に国を支えていたダナエが魔女になったことと、お飾りではあったが国王の精神が崩壊したことによる、政治を始めとする大混乱。

 国王がダナエの腕を抱えたまま自室に引きこもってしまったことで、後宮は解散。女たちの職を探すためにアルマ自らが奔走し、全員の再就職先を決めるま国に残っていたのだ。


「……それだけか?」

「い、いえ。その。私の母が他界しまして。葬儀などに追われて、いました」

「……まさかあの愚王がなにかしたのかえ?」

「いえ。殿下には隠していました持病が悪化し、それで。いまわの際に、殿下に「愛して下さって、幸せでした」と伝えて欲しいと。笑って逝きました」


 す、と視線を外すダナエ。


「……愚か者め。わらわは、ただの埋め合わせに抱いただけじゃと言うのに」


 場のしんみりした空気をどうにかしようと、ティアは少し大きな声で言う。


「で、どうするの? アルマさんを魔獣にするの?」


 ぐずぐずと何か呟いて、大きく深くため息をついて。


「……仕方ないのう。遅れたとはいえ正当な理由もあり、いまここに参上しておる。それに免じてわらわの筆頭魔獣にしてやる。よいな」

「あ、ありがたき幸せにございます!」

「声が高いと言うに」


 苦笑するダナエだが、まんざらではないようだ。


「あ、ダナエ。そのひとを魔獣に変えても正式な契約はあんたの森を作ってからよ。この森で契約するとあたしの魔獣にもなるから」


 やはりそうなるであろうな、と一度口をへの字に曲げ、アルマに言う。


「すまぬがアルマ、今日はそちの心を壊し、魔力を扱えるように変えるだけじゃ。ある程度肉体に変化があるやも知れぬが気にするでないぞ」


 もちろんに御座います、と頷くアルマ。

 ティアは見たところ淡々と注意事項を告げる。


「そちがわらわを主と傅くのは構わぬが、仮契約に過ぎぬ。もしティアからなにか命じられれば素直に従うのじゃぞ」

「もちろんに御座います。ティアーボさま、夜伽でも荒事でもなんでもお命じくださいませ。このアルマ、殿下と同じ忠義を尽くします」


 ソファから飛び降りてその場で片膝をついて右手を自分の胸の前に。左手を大きく広げて、まるで大作映画の騎士そのもののようにアルマは宣言した。

 こういうことに慣れていないティアは苦笑するばかり。


「そういうのはいいって。あたしにはあたしの魔獣がいるから、よっぽどのことがない限り頼み事なんかしないから」


 慌てるティアに優しく微笑みかけ、アルマは立ち上がる。


「では殿下。よろしくお願いします」

「あ、そこじゃ狭いから、後ろの広い所でやった方がいいかも」


 言ってティアが指さしたのは、玄関から入ってすぐ左手側にある広間。家の外にある倉庫にしまうほどでもない荷物や水瓶、布の束やコーヒー豆の入った麻袋などが壁際に置かれ、雨の日などにカーニャが遊ぶ場所でもある。

 うむ、と頷き、ふたりは広間へ向かう。

 入り口側の壁にダナエ、台所近くの壁にアルマが立ち、ティア達からはふたりの姿が視界の両隅に入った。

 こほん、と咳払いをしてダナエは右手をアルマに向けてかざす。


「わらわはこれよりそちの心を壊す。記憶や思いは残るが、それらは本を読むような他人事でしかなくなる。魔獣は魔女のためにだけ動く。肉体は不老となり、命はわらわと共有する。……本当にかまわぬな」

「近衛であるころと、さほど変わりません。私は、殿下のためだけの存在なのですから」

「嬉しいことを申すな」


 照れくさそうに笑ってダナエは手に魔力を込め、アルマの足元から枝を伸ばし、彼女を全身くまなくびっしりと覆い尽くす。


「息はできるな?」

「はい。少々やりづらいですが、大丈夫です」

「ならば、いくぞえ」


 ぎゅっ、とかざした手を握る。同時にアルマを拘束する枝も、みしりと音を立てながら彼女を締め上げる。


「ああ、ああああっ! 力が、ダナエさまの思いが入ってきますぅっ!」

「じゃから声が高いと……っ?!」


 嬌声をあげるアルマとは逆に、ダナエの表情は青ざめ、脂汗が滲み始めている。


「どうしたのダナエ!」


 確かに、女を魔獣に変えることは体力的にも精神的にも辛く苦しい。ひとり魔獣を創ったら一ヶ月はやりたくないとは思うが、新しい従者が増えるという喜びを支えに乗り切るものだ。

 けれど、いまダナエが見せている苦しみはそれとは全く違う、純粋な苦痛。こんなダナエをすぐ最近見た。魔女王の力を受け継いでいる時の彼女だ。


「でもなんで」


 いまのダナエは魔女王であり、魔女王とは魔女を統べる魔女。

 女を魔獣に堕とすのは魔女王だってやれるはず。

 それがこんなにも苦しみだけを顕わにしているなんて、おかしい。

 気になってアルマの方へ視線を向け、魔力の流れを視るが、こちらに異常は見られない。


「旦那さま、ダナエさまに異変が」


 フィーロに言われて、ダナエにもう一度視線をやる。


「ダナエ!」


 魔女王の力を受け継いでいる時と同じだ。

 からだのあちこちから腕や足が生え、しかしあの時と違うのは生えた腕や足は崩れ落ちることなく、しかも数をどんどん増やしていく。

 アルマの目が塞がれているのは好都合だ。見たところ妄信的にダナエに忠誠を誓っている彼女が主人のこんな姿を見たらどうなるか。想像できるどんな行動を取ったとしてもふたりには不幸しか訪れない。


「なんなのよ、あれ……」


 さらなる変化が起こり始めた。

 生えた腕や足に、目や耳や口が浮かび上がり、瞬きをしたり笑い声を上げたりし始めた。

 目もそうだが、笑い声というものは時に不気味さを与える。

 聞こえるそれが見ず知らずの女の笑い声だったならば、ティアはここまで激昂することはなかった。


「ダナエになにやってるのよ! あんたは!」


 笑い声はカトレアに、母親にあたる女のものだった。

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