第20話 アルマ

「お帰りなさいませ。旦那さま、ダナエさま」

「お帰りなさい!」


 しとやかに元気に迎えられ、ふたりはリビングのソファに倒れ込むようにして並んで座った。


「いま、コーヒーを淹れますね。カーニャ。お湯で暖めたタオルを用意して」

「うん! 用意する!」


 ばたばたとふたりが去ると、リビングは耳が痛くなるほどの静寂に包まれた。


「……ダナエ、大丈夫?」

「うむ。不調はとくに感じぬな。むしろ魔力の循環が激しくて、少々暑いぐらいじゃ」

「なら、いいんだけど……」


 別れ際のカトレアの様子がどうにも引っかかる。

 あそこまで新しい魔女王を作ることに執着していたのに、いざダナエが力を引き継いだ途端にまるで興味を失ったかのように手放した。

 もともとああいう女だった、と割り切ることは簡単だが、ことはダナエの今後に関わるのだ。気に病むぐらいはいいだろう。


「……懐かしい香りじゃの。まだ丸一日も経過していないというのに」


 リビングに漂うコーヒーの芳醇な香りにダナエの表情が緩む。


「ほんと。ふたりが居なきゃあたし、とっくにダメになってたよ」


 そこでえへへ、と笑いながらカーニャが戻ってきた。手にはバスケットと湯気の立つやかんと洗面器。バスケットの中には、ほかほかと湯気を立てるタオルが何本も入っている。

 なぜ風呂にしないのかと聞かれれば、ふたりが浴槽で眠ってしまう危険性を考慮してのこと。


「おからだ、お拭きします!」

「あ、いいよ自分でやるから」

「だめ! おふたりとも疲れてるんだから! わたしがやるの!」


 起き上がってバスケットに手を伸ばしたが、ばっ、とカーニャがからだの後ろにバスケットを隠すものだからふたりは苦笑するしかなかった。


「もう。じゃあお願いするね」

「はい! じゃあ楽にしてください!」


 カーニャの声は大きいが元気いっぱいに動き回る姿が愛らしくて、こんなにも疲れているのに気にならない。


「じゃあ背もたれの上に頭乗せて、力抜いてください」


 ふたりは言われるままの姿勢を取り、だらりと力を抜く。


「じゃあタオルを顔に乗せますね。熱かったら言って下さい」


 ぽふ、とかけられたタオルは疲れたからだに心地よい熱さで、鼻と口は開けてくれたのが嬉しかった。


「次はからだを、……ついでですから全部脱がせちゃいますね」

「や、ちょっと待ってよ、ここで?!」

「だいじょぶだいじょぶ。おねーちゃんに任せなさいっ」

「もう、こんな時ばっかりお姉ちゃんに戻らないでよ」

「だーめ。大人しくしてなさい」


 疲れ切って指一本動かすのもおっくうなふたりは、されるがまま衣服をはぎ取られ、リビングで肌をさらすと言う状況に落とされてしまった。僅かに流れる風が色々な箇所を舐めるように撫でていき、ティアは恥ずかしいやら逃げ出したいやら。


「だ、ダナエも恥ずかしかったら抵抗してよ!」

「なぜじゃ。湯浴みみたいなものであろう。カーニャを下女などとは思わぬが、世話をしてくれる者の前で恥ずかしがる必要がどこにある」


 そうだこいつオヒメサマだったんだ。

 仲間が抵抗を諦めたのなら自分も諦めるしかない。


「さ、拭いていきますね」

「や、やだ。お姉ちゃん手つきやらしいっ」

「んふふ~。久々の妹のハダカだもん。いっぱい堪能するんだから」


 なにをされているのか見えないのが余計に肌を感覚を敏感にする。

 けれどひと拭きされるごとにからだから疲れが消え、その心地よさにまぶたが重くなっ

てくる。それを紛らわせようと話し始める。


「お姉ちゃんってエステとか行ってたの?」

「まさか。大学受験前にしてそんなとこ行ける余裕なんか無いわよ。あれ、何万円もするんだから」

「あ、そうなんだ。お姉ちゃん綺麗だし、手つきも慣れてるからてっきり」

「ばか。まあ、将来はそういう道に行こうかな、ぐらいには考えてたわよ。雑誌とかネットとかで色々調べて独学で自分とかともだちに試したりしてたし」

「へえ、初めて聞いた」

「秘密が多い方が女は綺麗になるのよ」

「なにそれ。あの女みたいなこと言わないでよ」


 カーニャは一度、え、と手の動きを止め、すぐに謝った


「あ、うん。そうだね、ごめん」


 滅多に取り乱さない姉の様子に、ティアはいぶかしみながらも追求はしなかった。姉の機嫌を損ねてこの気持ちよさを取り上げられたくはなかったから。


「さ、終わりましたよ旦那さま。服もフィーロが新しいのを持ってきてくれてますから、着替えさせてもらってくださいな」


 そっと顔のタオルを取られ、何度か瞬きして、ダナエに奉仕する姉の顔を見る。しかし細かく頭を全身を動かしているので表情は読み取れない。


「さ、コーヒーが入りましたよ。あら、その前にお着替えですね」


 フィーロがトレーにカップを乗せてしずしずと入ってくる。これ以上姉の顔を見るのはいくら自分の魔獣でも無礼だと思い、ティアは胸を隠しながらフィーロに言う。


「うん。お願いしていいかな」

「もちろんですわ、旦那さま」


 トレーをテーブルに置いたフィーロは満面の笑みで答える。

 反対側のソファに置かれていた着替えを手に、膝立ちでにじり寄りながらフィーロは問いかける。


「でもどうしたんですか? いつもなら、着替えぐらい自分でやる、って仰るのに」

「お姉ちゃんがそうしろって言うし、疲れてるからたまには、って思って」

「あら。カーニャが、ですか」

「うん。ふたりとも時々人間だった時の関係に戻れるからうらやましいよ」

「女は仮面をいくつも持ち合わせるものです」


 うふふ、と微笑む仕草は、またもあの女を想起させるのに十分で。

 きっとあの女と長く接したからどんな仕草も結びつけてしまうのだ、と強引に決めつけ、会話中に着替え終わったティアはその礼としてフィーロを優しくハグした。


「あー、旦那さまずるいー。わたしもあとでぎゅーってしてくださいぃ」

「分かってるよ。ダナエ、あんたもハグしてあげなさいよ」


 言って視線を向けたダナエは、カーニャの奉仕に裸身をすっかり朱く染めていてすごく綺麗だ。


「む、む、うむ。そ、そうじゃな。礼は、礼はせねばならぬの」

「ほんっと、こういうときは奥手になるんだから」

「う、うるさいっ。恥ずかしいものは仕方なかろう!」


 白いタオル越しにもダナエの顔が朱く染まったのが分かる。

 そんな愛らしい様子にまずフィーロが吹き出し、次いでカーニャ、ティロの順で笑い出す。当然面白くないダナエは抗議するが三人の笑い声には叶わず、すぐにむくれてしまう。


「もう知らぬ! 好きにいたせ!」


 一層の笑い声がリビングを包み、ふいなノックの音がそれをかき消した。


「誰だろ。ウルラかな」


 またなにか森の外であったのだろうか、と自らドアへと向かい、ゆっくりと開ける。

 そこには見たことのない鎧姿の美人が立っていた。


「突然の来訪失礼します」


 フィーロとはまた違った、凜とした低音。


「この森の主、ティアーボ・チッチェリー殿の邸宅はこちらでよろしいでしょうか」


 美声に聞き惚れていたティアは僅かに返答が遅れてしまう。


「あ、はい。えーっと、どちらさまでしょう」


 鎧姿の美人は一歩下がって片膝を付き、右手をその豊かな左胸に添えて頭を垂れる。


「私(わたくし)はリングラウズ王家第一王女、ダナエ・ロニ・セネカ殿下付き近衛兵長、アルマ・エスクードと申します」


 物語の中でしか見たことのないような自己紹介をされて、ティアは戸惑うばかり。


「我が主、ダナエ殿下が魔女に成られ、この森で暮らしていらっしゃると聞き及び、参上つかまつりました。どうかお目通りを認めてはいただけないでしょうか」

「あ、えーっと、その。アルマ、さん?」

「はっ!」

「ダナエに会うのは別に構わないけど、ダナエは魔女だから連れ出すことは出来ない……ですよ?」

「承知しております」


 じゃあなんでいまさら、と思う背後から、フィーロに支えられたダナエが声をかける。


「なんじゃ。今頃」


 呆れ混じりに言われ、アルマは半ば反射的に文字通り叩頭した。


「参上が遅れて申し訳ありませんでした!」

「よいよ。それで何用じゃ。面倒な書類を持ってきたならば、置いて立ち去るがよい。この森の魔力は人間には辛いじゃろうて」

「わ、私を、魔獣にしていただきたいのです!」

「……は?」

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