第19話 魔女王の死

「いま戻った。数々の無礼、非礼、許すがよい」

「なにそれ。妹っぽくない」

「申したであろ。わらわは愚者であると。そう易々と改めることなど出来ぬのじゃ」

「なにそれかわいくないなぁ」


 言って笑い合うふたり。

 カトレアがなにか仕掛けてくるかと警戒していたが、ただじっとこちらを見ていただけなのが余計に不気味だった。


「さて、そち」


 やおらダナエが魔女王に向き直って言う。


「そちは新しい魔女王を探しておったのじゃな?」

『そうよ。そのためにこんな回りくどいことしたんだから』

「ならばなぜわらわに変えた? あのカトレアとか言う女にからだを弄られた時に知ったが、そのための印はティアの舌に最初から刻まれておった。そもそもなぜそんなに老いておる? 魔女は不老なのであろう? そんな姿になる前に押しつけてしまえば良かったではないか」


 それはティアも思っていたことだ。

 最初、学校でのカトレアが呼ぼうとしていたのは自分ひとりだけだった。いま思えば自分を魔女王にさせるためだったのだろう。

 それがカーニャに伝言させた時にはダナエも一緒に、と変わっていた。

 そして魔女王の外見。この女が自分の母親にあたる女ならば、魔女に成った時期も同じく魔力の森が世界を覆った百年前の筈。なのにこの外見の差はなんだ。

 返答を待つ魔女王は一度長くまぶたを閉じ、口元の笑みを消し、そしてゆっくりと開いて。やはり挑発的な口調で念話を始めた。


『そんなこと訊いてどうするの? あなたが魔女王になれば全て理解できるのに』

「わらわが良くても姉上が分からぬままじゃ。ここまで振り回されて会いたくも無い相手に会わされてそれで終わりでは不憫じゃ」


 これまでの言葉の端々に不穏なものを感じ、堪らずティアが割って入る。


「ダナエなに言ってるの」

「姉上は黙っておるがよい」

「黙れないよ。あたしが魔女王になるなら別に構わないけど、あんたが、」


 そっと人差し指をティアの唇に当てて柔らかく微笑む。


「そのような顔をするでない。姉を悲しませたとあっては妹の名折れ。ティアが想像しているようなことはなにもせぬよ」


 でも、と言わせない眼力があった。


「まあ、見ていてくりゃれ」


 もう一度魔女王に向き直る。


「改めて問おう。なぜわらわなのじゃ? 答えるがよい」


 仕方ないわね、と嘆息し、


『魔女が魔女であるべき条件は、心が壊れていること。心が壊れていないと不老のまま何百年も生きられないから。でもいまのティアは心が幸せで満ちているもの。そんなのを魔女王にしちゃったら魔力の森そのものが壊れて魔女も魔獣もみんな死んじゃう。……これで十分かしら?』

「百年待った理由が抜けておる」

『私だってイヤな相手とは顔も見たくないわ。でも、私のからだが壊れて来たから仕方なく呼んだの。……もういいかしら』

「ひとまずの筋は通っておるの。では、始めるかの」


 その言葉にティアの全身が総毛立つ。


「なに言ってるのよダナエ!」


 予想通りの反応に、笑顔と渋面の混じった表情を浮かべるダナエ。


「案ずるなと申したであろ。魔女王になったところで死ぬわけではない。魔女王がいなくなれば姉上たち一家もあの森の魔獣たちも全て死に絶えてしまう。それでも良いのかえ?」


 そんなのずるい、とティアは呟く。


「だってあたしやっと! ……やっと魔女と知り合えたのに。家族が増えたって思ったのに、なんでダナエが!」

「わらわはずっと、家族というものに縁が無かった。国中の女たちに唾を付けたのもその埋め合わせじゃ。だから、ティアが妹と呼んでくれた時、心底嬉しかった」


 だったら、と引き留めるティアを、ダナエはゆっくり首を振って返す。


「そのときの幸せはもう心にひと欠片ほども残っておらぬ。ティアはどうじゃ? まだ幸せであろ?」


 ダナエの言う通りだ。

 彼女を妹と呼ぶと決めた頃からずっと、ティアの心は多幸感でいっぱいだった。

 けれどそれを認めるのは、魔女としてあるまじきことで。


「そもそもわらわが来なければ、ティアは魔女として変わることは無かったはずじゃ。出会った頃のそなたは、張り詰めた厳冬の空気のように美しく清らかじゃった」

 一度切ってティアの頬を指でつつく。


「それがいまはどうじゃ。わらわなぞのために涙まで流す始末。こんな人間のような者が魔女王になれば、たちまち世は崩壊してしまうじゃろうの。それではダメじゃ」

「なんで、なんで……っ!」


 幼子のように泣きじゃくるティアに、ダナエはゆっくりと微笑みかける。


「これは、王女でありながら国を捨てたわらわに対する贖罪なのじゃ。じゃからわらわにやらせてくりゃれ」


 ティアはもう、頷くことも首を振ることもできない。

 どう答えてもダナエは自分の決めた道を曲げないから。


「なぁに。そなた達一家に傅かれたいなどとは毛頭思わぬ。せめてこれまでと同じように接してくれるだけで良いのじゃ」


 ここまで言われて、頷く以外のことがどうして出来ようか。


『そろそろいいかしら?』

「あんたは黙ってなさい!」

『あらひどい。はやくしないと私は死んじゃうのよ? そうなればどうなるか、分かるわよね』


 魔女が死ねば魔力の森も枯れ、そこに暮らす魔獣や動物たちも死ぬ。森から糧を得ていた人間達にも影響はやがて訪れ、その一帯は新しい魔女が森を作るまでは死の土地となる。

 ならば全てを収める魔女王が死ねばどうなるか、想像は容易だ。


「そうじゃの。ティア、下がっていてくりゃれ。どうなるか分からぬ故な」


 苦しそうに頷き、ティアは三歩ほど下がる。


『よい……しょっ、と』


 しなびた枝のような腕に力を込め、魔女王は泥の中から這い出るように重々しく上体を起こした。


『あー、もう。これだけでこんなに疲れるなんて、年は取りたくないわね』


 聞こえる声だけは若々しいのが余計にギャップとなって、ふたりを困惑させる。

 まあいいわ、と息を吐いて、魔女王は腕を震えさせながら胸の前に上げ、手の平を向かい合わせにする。


『はああああ……っ』


 ぶるぶると魔女王のからだが震え、僅かに光を放ち始める。魔力だ。

 魔女王の全身を光が包み、その光は徐々に両手へと集まっていく。集まった光は手の平から外に放出され、手の間の空間に集まり、やがてひと抱えほどの球体になった。


『……ふう、まずは、これ……』


 手の平を球体の下、しかし触れることはせずに包み込むような形に動かし、手首に口を近づける。そして、ふううううっ、と息を吹きかける。

 と、球体はその風に乗せて光の粒をダナエに向けて放出し、ダナエに次々と付着、浸透していく。その度に未成熟なからだは小さく震え、表情は恍惚としていく。


「……ダナエ?」


 魔女王が息を吹きかける球体が、当初の三分の一程度になった頃からダナエの様子が変わってきた。

 恍惚としていたはずのダナエの表情が徐々に青ざめ、あんなに熱を帯びていた吐息もすっかり冷え切っている。

 不安で心配で圧し潰されそうなティア。その視線に込められた思いを感じ取ってダナエは気丈に微笑むも、身を襲う苦しみには耐えられず、片膝を、すぐにうつ伏せに倒れてしまう。

 いますぐ走り出してダナエを苦しみから開放してやりたいが、それをやるのは彼女の覚悟と決意を踏みにじる行為だとぎりぎりで自制する。代わりにこの方法しかないのかと魔女王を見やれば、カトレアと口づけを交わしていた。

 驚いて文句の一つも言ってやろうかと口を開くが、カトレアから魔女王へ魔力が流れ込んでいるのが見える。ならばあの行為は、魔女王の足りない魔力をカトレアが補っているのだと無理矢理納得して、もう一度ダナエを見る。


「ダナエ?!」


 なぜ彼女がここまでしなければいけないのか。

 うつ伏せに倒れ込むダナエの手足の数がおかしい。脇から肩甲骨から新たな腕が伸び、腰から臀部から足が生えては塵となって消え、塵はダナエへと吸収されていく。

 その度にダナエは苦悶と快感に満ちた叫声を上げ、身を捩り、涙を流している。

 もうがまんできない。

 こんなことになるなら、ダナエに押しつけたりしなかったのに。


「いま行くから!」


 踏み出した右足を、地面から伸びる枝が絡め取り、すぐさま四肢が枝により拘束される。


「なんで!」


 涙とヨダレでぐしゃぐしゃの顔なのに、それでもダナエは気丈に返す。


「そなたそれでも数多の女たちを魔獣に変えてきた魔女か!」

「魔獣とあんたは違う!」

「変わらぬ! どちらもティアが愛すべき、命なのじゃ!」

「だけど! ……だけど!」


 苦痛と悦楽に歪む顔をその数瞬だけ、慈愛に満ちた笑みに変え、ダナエは言った。


「変わらぬのじゃ。じゃからこの先わらわがどのような姿になろうとティア、そなただけはわらわを愛して欲しい。この痛みと快楽、耐えきってみせる故、どうか見守っててくりゃれ」


 どれほどの経験を重ねればこんな言動がとれるのだろう。

 百年以上生きてきた自分が恥ずかしくなる。


「分かった。何度も困らせてごめん」

「よい、の、じゃぁああっ!」


 あげた悲鳴は苦痛一色だった。

 唇を噛みしめ、ぐっとがまんする。同時に手足の拘束も解け、からだは自由にはなったが心は締め付けられるばかりだった。


「……?」


 視界の隅で魔女王から半歩下がったカトレアが、意味深な笑みを浮かべたままこちらを見ている。

 母親にあたる女もよくああいう顔をしてこちらを見ていたから特に意味は無いのだろうと決めつけ、まだ終わらないのかと魔女王に視線をやれば、手の平の上の球体はもう砂粒ほどの大きさになっていた。


「ダナエ、もう少しだから! もう少しだから!」


 その励ましもどこまで聞こえていたか。

 やがて光の粒は全てダナエに吸収される。

 増殖を繰り返していた手足も、これ以降増えることも減ることもせず、ダナエのからだは元通りの五体満足な姿に安定した。


「ダナエ!」


 今度こそと駆けより、抱き上げる。

 ひどい顔だった。ぐちゃぐちゃに汚れた顔と髪を、まずは水を放出する魔布で洗い流し、次いで無地の布で丁寧に拭き上げる。


「……そのような、顔をするでない」

「良かった……良かった……」


 ぎゅっと抱きしめ、弱々しくダナエが手を回してくれるのを感じたティアは鋭く魔女王を睨み付ける。

 力なく横たわり、目は閉じているが、満足そうな笑みを浮かべていた。あんなに爽やかな笑顔が出来るなら、家族だった頃にもっと見せて欲しかった。

 それでも文句のひとつでも言ってやろうと口を開く。


「だめよ。いま死んだもの」


 カトレアにこともなげに言われ、改めて魔女王を見れば、それまでは確かにあった呼吸も、肌つやもなくなって見える。


「魔女王は、魔力の全てをわらわに注いだのじゃ。加えてあの老体、余命などあるはず無かろうて」


 釈然としないが、死んだ相手を悪く言えるほどティアは捻くれていない。


「……取りあえず一旦、ダナエと帰りたいんだけど、いい?」

「いいわよ、別に。こっちの後始末はしておくから」



 拍子抜けするほどあっさり言われ、ティアは不審な目をカトレアに向ける。


「なによその目。儀式は終わったんだから、早く帰るなりすれば?」

「……うん。ホントにいいのね」

「しつこいわよ。ほら、いきなさい」


 しっしっ、と野良犬でも追い払うみたいに手を振られ、一層不機嫌に成りながらもティアはダナエを背負い、立ち上がる。


「出口、開けてくれると助かるんだけど」

「ああ、そうね。忘れていたわ」


 す、と指をふたりの前方の空間に向けると、クローゼットを開けた時と同じ光が生まれた。


「一応、こことクローゼットを繋いでおくから、何かあったら来ていいわよ」

「二度と来ないわよ、こんなところ」

「つれないわね」


 肩をすくめ、ゆったりと腕を組むカトレア。


「ほら、行きなさいってば。待ってるひとが居るんでしょ?」


 雰囲気が変わった気がするが、これ以上この女の顔を見たくなかったので追求も止めた。


「じゃあね」

「うん。さよなら」


 ふいにティアの脳裏を過ぎったのは、あの女が家を去る時の情景。

 父殺しの容疑で警察官に連行される際にもあの女はこんな晴れやかな顔をしていた。

 だから、あのときと同じセリフを言ってやった。


「二度と顔見せないでよ」

「私だってそうしたいわよ」


 そう言ってカトレアは背中を向けた。

 これで今度こそ永遠の別れだ。

 なのに、一切の感情も湧かなかったのは、自分が魔女だからだろうか。それとも。

 ダナエを担ぎ直してティアは歩き出す。

 大切な家族の居る、あの家へ。

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