ペッパー・ピストル

安良巻祐介

 帽子の上に巨大な花を載せた警官が、晩餐の青灯酒に酔い痴れて、ふらふらと外へ出たところ、ちょうどメーン・ストリートの上へかかっていたお月様と出くわして、些細なことからケンカになった。

 元はと言えば、いい気分で歩いていた彼の赤い顔を無遠慮にからかったお月様が悪いのだが、薄青い空からバラバラと降る色とりどりの戯れ言葉にかちんと来て、ペッパー・ピストルをいきなりぶっぱなした警官氏も、いささか乱暴であった。

 鼻面にそいつをまともに食らったお月様はくしゃみが止まらなくなり、飛行軌道から外れてガス燈のアゝルデコに引っかかった。

 肥えたお月様が小さな手足をばたつかせながら、街灯に生った木の実のごとく揺れているのを、指差してげらげら笑っていた警官は、やがて体を外して道へ降りてきたお月様と取っ組み合いになり、お互いに小洒落た造形のアイロニイ(警官は銀の花細工、お月様は青銅の動物香炉)を投げつけあい、転げ回った。

 その凄まじいことと言ったら、道沿いにあった家のガラス窓が全て駄目になってしまうほどで、かれこれ一千一秒ほどもその喧嘩が続いたために、住人達はほとほと困り果てていたが、やがて、そこを通りがかったひとりの画家が、二人の首根っこを掴み上げて、持っていた画架の中へと突っ込んでしまった。

 散らばったアイロニイやガラス欠けも一緒に絵の中へ入れられて、それらはカラフルなモザイク風になり、画家は跳ね上げた髭を弄りながら、満足そうに何度もうなずいた。

 絵の中の警官とお月様は、それでもかまわずにケンカを続けていた。

 それはさながら、目には見えるが耳には聴こえない音楽のようなものであって、幾つもの美しい流線形や波紋が生じるたび、画家は鼻歌でもって楽しげに調子を合わせ、やがて「もう少し抽象がいいな」という呟きと共に、警官とお月様とは、筆で丁寧に、淡い色の塊に塗り伸ばされてしまった。


 今ではこうして、柔らかな丸と画面に流れる色とりどりの線とモザイク模様とで構成されたパステルとなり、ギャラリイの壁に掛けられている。


 絵のそばのガラス・ケースには、警官の持っていたペッパー・ピストルが、証拠品として展示されている。


 その絵の前に立つとやけにくしゃみが出るというのは、つまり、そういうわけなのであります。

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ペッパー・ピストル 安良巻祐介 @aramaki88

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