E-41「それぞれの道」3/3

 そして、ライカ。


 いや、実際には、ライカはもう、ライカではない。

 僕がよく知っている女の子、ライカのその名前は、彼女の本当の身分を隠すために作られた名前だった。

 ライカには、彼女が生まれた時に授けられた名前が、別にあったのだ。


 彼女の本当の名前は、ノエルという。


 20歳を迎え軍務を終えたことで王国の王族としてその存外が公表されたノエルは今、その兄、イリス=オリヴィエ連合王国の国王、フィリップ6世を主に外交面で手伝って、世界中を飛び回っている。

 その役割は外交使節としてのもので、ノエルはマグナテラ大陸のみならず、世界の平和を維持するために意欲的な活動を続けている。


 今度も、彼女は遠くへ出かける。

 その目的地は、大陸から離れた海の向こうにある、僕がこれまで名前も知らなかった様な国家だ。


 その国家は現在隣国と国境線を巡って緊張状態にあり、武力衝突に至る懸念が強くなっている。

 ノエルはその緊張を緩和し、対立を避ける方法を模索するために旅立つのだ。


 平和を維持することは、難しい。

 ノエルは、その難しいことに挑戦し、現実として血肉を与えるための努力を、彼女の兄、フィリップ6世と共に行っている。


 外交特使として大陸の外に向かうノエルのために、特別機が用意されている。

 王国の技術の粋(すい)を集めて開発が行われた、新しい時代を担うための新型旅客機だ。


 王国では戦後、国家の独立を守るという目的のために必死に培(つちか)った技術を活用して、航空産業へと力を入れている。

 戦争中に飛躍的な進歩を遂げた航空機の姿から、将来、それが大陸のみならず海を越えた先にある諸国家との往来のために有用な存在であると、そう気がついたからだ。


 空はかつての、一部の冒険飛行家たちのものだった時代から抜け出した。

 飛行機は急速に発達し、広がって、今では人々の間で当たり前のものとなっている。


 そして、航空機はこれからもさらに、発展し続けていくだろう。

 この空を、戦うためではなく、たくさんの人々を他の何よりも素早く運ぶために、様々な翼が飛ぶことになるのだ。


 この新しい大型旅客機は、そんな時代を切り開くために作られたものだった。

 海の先まで、たくさんの乗客を乗せて、ひとっ飛び。

 今までは船で何日も何週間もかかっていた旅程を、この機体によって1日以内にこなすことができるようになる。


 今回の飛行は、新しい時代を作るこの旅客機のお披露目(ひろめ)でもある。

 テスト飛行では優秀な成績を収め、不具合は改良によってすでに解消されているものの、まだ実用されたことは無く、今回の飛行で、その安全性と高性能を示す必要がある。


 僕は今、その機体の操縦席に座り、副機長として、出発の準備を進めている。


 戦うのと同じくらい、緊張する。

 ノエルがこの機に乗り込んだら、すぐ、出発だ。


 新型旅客機に乗って外交特使として出発するノエルを見送るために、飛行場にはたくさんの報道陣が集まっていた。

 王族専用の自動車に乗って到着したノエルは、清楚な印象の白い生地に青い色の生地でアクセントが加えられたワンピースドレス姿で、公務の時だけ身に着ける、王国の王家に古くから伝わるという由来のある首飾りを身に着けている。


 僕は、機体の機器の最終点検を実施しながら、操縦席の窓からノエルが車から降りて、報道陣の間を進んでいく様子をのぞき見る。


 ノエルは、報道陣のカメラからのフラッシュを浴びながら、にこやかに手を振りながら進んでいく。

 彼女は相変わらず小柄で、報道陣が構えたカメラに遮(さえぎ)られて僕からは見えたり見えなかったりするが、その金髪は良く目立つので、どの辺りにいるのかが分かる。


 やがて、彼女は機体に横づけされたタラップを上り、報道陣からの撮影にもう1度応えた後、この機体に乗り込んだ様だった。


「ミーレス中尉。最終確認はどうか? 」

「はい、ベイカー中佐。全て、問題ありません」


 僕は全てのチェックを終えると、隣に座る機長のベイカー中佐からの確認にそう答えた。


 この新型旅客機は4基ものエンジンを装備し、たくさんの乗客を運ぶことができる大型機で、僕が戦争中に乗っていた戦闘機とは違う点も多い。

 特に大きく違うのが操縦室で、機長と副機長が並んで座り、その後方には機関士や通信士などが座る席まである。


 4人も座ることができる操縦室は戦闘機の狭くて密着感のある操縦席と比べると広々としていて、何だか落ち着かないような気分だ。

 通信士はまだ到着していないが、ベイカー中佐とは戦争中から同じ機体に乗っていたというベテランの機関士が、僕たちと同じ様に機体の最終チェックを進めている。


 誰かと一緒に飛ぶことは楽しいことだった。

 狭いコックピットに1人きりではなく、大勢で飛ぶのは、寂しさや孤独感とは無縁だ。

 けれども、あの、機体と一体となったかのような感覚が得られる狭いコックピットが、たまに、無性に恋しくなる時はある。


 僕は、結局、軍に残ることを選んだ。

 そして、戦争が終わって301Aが再編された後、機種転換訓練を受けて、双発以上の大型機のパイロットへと転向した。


 馬と一緒に生きる道も魅力的なものには違いなかったが、僕はやはり、空が好きだと、そう気がついたからだ。

 そして何よりも、王族として戦後の平和をできるだけ長く、外交的な手段を使って実現していきたいというノエルの希望を聞いて、彼女を乗せて、世界中を一緒に旅をし、彼女がやろうとしていることを少しでも手伝いたいと思ったからだった。


 ベイカー中佐、戦争中はベイカー大尉と呼ばれていた機長は、僕の機種転換訓練の時に教官を務めてくれた人で、現在では同僚として働かせてもらっている。

 基本的に軍人然とした規律に厳しい人だったが、冗談も言う親しみやすい所もある人で、今では、僕が尊敬するパイロットの1人だ。


 その経験と知識、そして操縦の腕前を間近で見ていると、いつも、身が引き締まる様な気持ちになる。

 僕も、いつかはベイカー中佐の様な、ベテランパイロットになりたいと思っている。


 ノエルが乗り込んだことで、この特別機に乗り込むべき人は全員そろった。

 後は、操縦室にまだ来ていない通信士の到着を待つばかりだ。


 遅れていた通信士は、数分後に到着した。


「もぉっ、ホント、失礼しちゃうわ! 」


 見栄えのする美しいドレス姿から一転、僕たち搭乗員が身に着けているのと同じ飛行服に着替えたノエルは、何故だか、いたくご立腹の様子だった。


「おやおや、姫様はご機嫌斜めなご様子で、何があったんです? 」

「聞いてくださいよ、ベイカー中佐! マスコミの人たち、タラップに乗って、機体に乗り込むところの写真が欲しいっていうから撮ってもらったんですけど、その時、私が小さくてよく見えないからって、のぼる台をわざわざ用意してたんですよ! 私は私だし、台に登らなくても、ちょっと背伸びすれば顔だってちゃんと映ったはずなのに! 」


 僕たちは、苦笑するしかなかった。

 ノエルは身長のことを気にしている様子だったが、それはどうしようもないことだったし、ノエルはそれでいい。

 僕が好きになったのは、背は低いけれどもいつも一生懸命でたくましいノエルなのだ。


 そして、僕たちが苦笑してしまったのは、こんな風に他愛のないことを話せるような時代が訪れたことが、嬉しかったからだ。


「いいじゃないか。みんな、ノエルのことを見たがっているんだから」

「むぅ。それは、そうかもしれないけれど、何か、悔しいのよ」


 ノエルは僕の言葉にそう答えると、ストン、と通信士席に腰かけ、シートベルトで身体を座席へと固定し、ヘッドセットを身に着ける。


 僕はその仕草に、思わず微笑んでしまう。


 ノエルはけっこう、国民の間から人気がある。

 戦争中は「守護天使」の1人で、エースで、しかも、彼女はとても綺麗だ。

特に、青い、澄んだ瞳がとてもいい。

 しかも、王国のみならず、マグナテラ大陸、そして、世界のために一生懸命に頑張っているのだから、人気が出ないはずが無い。


 彼女は国民が持つノエルの「お姫様」というイメージを崩さないために報道陣の前ではすました顔をしていたし、王族の1人として大きな仕事をする様になったが、根っこのところは昔から全然、変わっていない。


 彼女は、僕が良く知っているノエルのままで、多くの国民は彼女の公的な顔しか知らないが、僕はノエルの本当の顔を知っている。

 この不貞腐れた様な顔も、ちょっと悔しそうな唸り声も、僕たちだけが知っていることだ。


 それが、たまらなく嬉しい。


 僕は、あの日、戦争の最後の日、踏み出すことを躊躇(ためら)っていた最後の1歩を踏み出すと決心した。

 僕はノエルと共に歩むことを決めて、彼女も、僕と一緒に歩んでいくことを承諾してくれた。


 正式にはまだ、結婚はしていない。

 ノエルは今、戦後の世界を安定させるために忙しかったし、王族の結婚にはいろいろなルールや手順があって、簡単には決められないことなのだ。

 だが、ノエルの兄、フィリップ6世は、僕とノエルの関係を好意的に見守ってくれているし、僕とノエルの絆(きずな)は、そういった制度ではもう、隔てられることは無い。


 僕は今、幸福な日々を送っている。

 大切な人と同じ時間を生きることができる、それ以上の幸福など、存在するのだろうか?


 そして、それは、戦争で亡くなってしまったたくさんの人々には、もう、手にすることのできない時間だった。

 僕は、今、毎日を噛みしめながら、この幸せな時間ができるだけ長く続く様に、そう祈りながら暮らしている。


「遅れました。通信士、準備完了です」

「了解した。……時刻も、そろそろ予定時刻になる。これより、当機は離陸を開始する」


 ノエルの準備が整うと、ベイカー中佐は僕らに出発する様にと指示を発した。


 ノエルはすでに王族としての公務に就いており、パイロットはもう、していない。

 それでも、今回こうやって通信士の役割を担当しているのは、「せっかく新型機に乗れるのに、客席で見ているだけ何て絶対に嫌よ! 」と、彼女がごねにごねた結果だ。


 それはもう、見事なごねっぷりだった。

 フィリップ6世が、報道陣はもちろん、一般の国民には、例え僕の家族であっても教えることを禁ずると命じたほどに。

 もしうっかり口を滑らせようものなら、国家機密の漏洩罪(ろうえいざい)に問われてしまう。


 ノエルを乗せて空を飛んだことはもう何度もあるのだが、こうやって、一緒に飛行機を飛ばすのは初めてのことだ。

 僕が彼女の2番機として飛んでいた時のことが、何だか懐かしく思えてくる。


 報道陣から見送られながら、僕たちを乗せた翼は、ゆっくりと滑走路へと進んでいく。

 今日の空は快晴、良く晴れていて、風も穏やかだ。


 僕たちが出発する空港は、フィエリテ市の近郊に作られていた王立空軍の飛行場を改修して民間の飛行場としたもので、1度、ベイカー大尉たちと一緒に攻撃したこともある場所だ。


 戦争が終わって外国との往来が再開された今は、民間の需要を受け止めるために軍用飛行場としての使命を解放され、たくさんの飛行機が離着陸をする、賑やかな空港となっている。

 離発着する機体は多かったが、天候に恵まれているおかげで空路に混乱はなく、僕たちはフライトプランの予定通りに滑走路へと入り、離陸を開始することができた。


 4基のエンジンが咆哮(ほうこう)をあげ、プロペラが勢いよく回転を始めて、大型の機体を強力な力で引っ張り、加速させていく。

 海を越えて、何千キロも飛んでいくことができる飛行機だ。

 その翼は太陽からの陽光を浴びて輝き、そのエンジンが回る轟音は頼もしく響いている。


 やがて規定の速度に達した機体は、ベイカー中佐が操縦桿を引くのに合わせてふわりと空へと浮かび上がった。

 いつ体験しても、興奮する瞬間だ。


 新しい時代を切り開くための翼は、僕たちを乗せて、高く、高く、舞い上がる。

 どこまでも、どこまでも、飛んでいく。


 僕は、憧れでしかなかった、見上げるしかなかった世界を今、この手にしている。


※作者注


 王国が外交特使のために準備した新型旅客機は、DC-6や7を元ネタとした、長距離飛行が可能な戦後世代の旅客機になります。操縦席の人数は熊吉の都合で決めたのでモデルと合っているかどうかは不明です。


 ミーレスは戦闘機パイロットとして優れた力量を示しましたが、今後は政府専用機などを運用する王立空軍のパイロットとして、かつてミーレスが憧れた冒険飛行家たちの様に、世界中の空を旅していくことになります。


 本作、イリス=オリヴィエ戦記は、これで完結となります。

 読者の皆様、本当に、これまでありがとうございました!

 投稿を終えての感想などを、最後に簡単に触れさせていただきますので、興味のある読者様はそちらもよろしくお願いいたします。

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