E-41「それぞれの道」2/3

 ジャック軍曹は、王国が終戦を迎え、僕たちが20歳になると退役して、彼の実家に戻ってパン屋としての道を歩んでいる。

 フィエリテ市の新たな都市計画のためにジャックとその家族はかつての下町を追い出されてしまったが、代わりに与えられた土地で、ロクな建物も無いのにパンを焼くための設備だけは何とか整えて、どうにか小麦粉を仕入れて毎日たくさんのパンを焼いて売り始めた。


 フィエリテ市は復興のためにたくさんの労働者たちが集まっていたから、ジャックの一家が焼いたパンはよく売れた。

 ジャックはそうやって稼いだお金と、戦争中の功績で得た勲章について来た多額の賞金を利用し、よりたくさんの人々に美味しいパンを送り届けるためにパン工場を新しく作ったのだという。


 ジャックは、やはり賢い。

 パン工場はベルランを生産していたような生産ラインを持った本格的なもので、毎日たくさんのパンを素早く、正確に焼いて、そして、人々に安価に供給することができる。

 最初は軍や建設業者などのまとまった需要のある客先にパンをおさめていたのだが、今では市場などにも安くて美味しいパンを供給しており、フィエリテ市内をジャック一家のパン屋の看板を掲げたトラックが何台も走っている。

 彼の商売は順調で、しかも、多くの人々に喜ばれている様だ。


 僕の妹のアリシアは、そんなジャックについて行って、ジャック一家が経営しているパン屋で経理の仕事に就いている。

 僕としては、たまにドジを踏むアリシアがお金のことについて仕事をしているというのはちょっと心配なのだが、どうやら彼女はうまくやっている様だ。


 まだ、ジャックとアリシアが結婚するという話は聞いていない。

 今はジャック一家が経営するパン屋の事業で忙しく、ゆっくりそういったことを考えているゆとりが無いからだ。

 ただ、2人は僕とジャックの家族双方から暗黙の内に公認された関係であり、その交際は続いている。


 アリシアは料理上手だったからパンの焼き方も新たに習得していて、今では新商品の開発などを行っているらしい。

 何でも、カスタードクリームをたっぷりとつめたクリームパンというものを新たに開発して売り出し、大きな売り上げを記録しているのだそうだ。

 ジャックの事業がこの調子でうまく行って、2人が幸せになってくれることを僕は祈っている。


 アビゲイル軍曹(現在は中尉)は、その望み通り、今もパイロットとして働いている。

 彼女は301Aの一員として戦争中に多くの戦果を記録し、その最終的な総撃墜数では、僕たち4人の中ではトップに立っている。


 そんな彼女は、今、新鋭機のテストパイロットとして活躍している。

 あの、ベルランを作っていた新工場で開発中の新鋭機がどんな機体なのか、軍事機密であるためにあまり詳しい情報は僕の耳にも届いて来ないのだが、どうやら、カイザーが携わっているジェット戦闘機のテスト飛行をやっている様だ。


 何でも、その新鋭機は、音速を突破できるらしい。

 音速というのは文字通り音が空気中を伝わっていく速度のことで、その速度は時速1000キロメートルを優に超える。


 僕たちが戦争中に乗っていた戦闘機、ベルランの最高速度よりも、軽く数百キロメートルは速くなっている。

 技術の進歩は本当に早い。


 そんなアビゲイルのことを、僕は時折、羨(うらや)ましく思っている。

 音速を突破できるなんて、その先にはいったい、どんな世界が待っているのだろう!

 それに、空を自由自在に、機敏に飛び回ることができるのは、様々な飛行機の中でも戦闘機だけに与えられた特権だった。


 操縦桿を握った時の、機体と一体となる様な感覚。

 あの感覚は、今でも僕の手に染みついている。

 忘れられるはずが無い。


 それから、ブロン。

 僕らの部隊の愛すべきマスコットは、今、彼だけの王国を築きあげている。


 ブロンは元々牧場で飼育されていた1羽の家禽(かきん)だったが、僕たちと行動を共にして各地を冒険した後、鷹の巣穴の基地近くにある池で、彼の居場所を発見した。

 ブロンはそこでつがいを作り、雛鳥(ひなどり)を育て、そして、現在はその子孫と共に繁栄を遂げ、池を我が物顔で占拠している。


 誰かさんが王に直訴し、鷹の巣穴周辺でアヒルを保護するという法律を作ってしまったせいだ。

 そこには現在たくさんのアヒルたちが暮らしており、猟師たちにとっては絶好の狩場となるはずなのだが、新しく作られてしまった法律のせいで手も足も出すことができない。


 とんでもない職権濫用(しょっけんらんよう)だったが、まぁ、この世の中のどこかにアヒルたちの楽園が存在してもいいだろう

 とにかく、ブロンはたくさんの仲間と子供たちに囲まれて、今も楽しげに、クワッ、クワッ、と鳴いている。


 カミーユ少佐(現在は大佐)のことは、よく分からない。

 相変わらず情報関係の職務についている様で、手紙をもらったり、風聞を聞いたりしても、彼がどんなことをしているのか、正確なことは分からない。


 だが、王国と、このマグナテラ大陸全体の平和のために尽力しているというのは、間違いのないことだ。

 カミーユ少佐はその明晰(めいせき)な頭脳を活用して、王国を平和の内に繁栄させる様に努力をしている。


 シャルロットとゾフィは、結局、僕を近衛騎兵とすることはできなかったが、今では退役して、それぞれ幸福に暮らしているらしい。

 ゾフィなどはさる旧貴族階級出身の青年と結婚し、今では子供までもうけている。


 シャルロットはまだ独身である様だったが、見合いの申し出はあちこちから来ており、運命の人を見定める日も近いだろう。

 以前、手紙をもらった時、彼女の現在の写真が同封されていたが、近衛騎兵の制服に身を包み軍馬にまたがってサーベルを振りかざす勇ましいイメージとはうって変わって、可憐なドレス姿だったことには心底、驚かされた。


 こういったおしゃれをしたシャルロットの写真を僕は度々、彼女から受け取っているのだが、シャルロットはどういうつもりだったのだろう。

 そして、そういった手紙と写真を受け取るたび、誰かさんが不機嫌になったのは、どうしてなのだろうか。


 僕には、分からない。

 分からない方が良い気がする。

 僕の本能が、そう言っている。


 スクレでの反乱の中心人物であり、二重スパイとして反乱の鎮圧に大きな功績のあったモルガン大佐は、今は退役して静かに暮らしている。

 戦争が終わってすぐに退役し、昇進も断ったので、階級は大佐のままだ。


 王国と、世界の平和のために。

 モルガン大佐は与えられた役柄を見事に演じきったが、多くの同胞を騙(だま)し、死なせたことに責任を感じているらしい。


 モルガン大佐にとって、あの戦争はかなり「重い」ものとなった様だ。

 大佐が守るはずだった王国の前王、シャルル8世は失われてしまったし、戦争を終結させて多くの犠牲を未然に防ぐためとはいえ、少なくない数の兵士たちが死んでいった。


 シャルロットからの手紙によると、モルガン大佐は今、戦死者たちの弔(とむら)いのために日々を過ごしている様だ。


 そして、僕の家族。

 父さんや母さん、そして僕の弟、妹たちは、故郷の牧場に戻って、そこで牧場を再建して暮らしている。


 かなり、うまく行っている。

 というのも、父さんが家の地下室で熟成させていたチーズを売りに出したところ、その味がたちどころに評判となって、高値で売れる様になったからだ。


 特に、誰かさんに味見をさせてみたところとても気に入られ、以来、定期的に王家に納めるほどになっている。

 このことから、いわゆるブランドが新しくできあがったのだ。

 今では、僕の故郷の村全体でチーズ作りを新しい産業として育成しており、将来的には外国に輸出することも検討されている。


 おかげで、僕の弟や妹たちは、学費を気にせずに進学できる様になった。

 父さんと母さんが長年にわたって積み重ねて来た苦労が実を結んで、僕の家族は幸せに暮らしている。


 それから、グスタフ。

 あの、帝国軍のエースパイロットで、雷帝のただ1機の僚機を務めていた人物。


 意外なことに、彼と僕との間には、今でも交流があって、定期的に文通している。


 彼は相変わらず、帝国の貴族(しかも皇帝の親族であるらしい)であることをはなにかけた嫌な奴だったが、不思議なことに、僕と彼との間には共通の話題があって、交流が成立している。


 雷帝と、空のことだ。


 グスタフは今、帝国でアグレッサー部隊の隊長を務めており、マグナテラ大陸の空で猛威を振るった精強な帝国の戦闘機部隊をさらに鍛え上げている。

 その腕前は、折り紙つきだ。

 彼は僕らと戦った時も、翼を並べて共闘した時も強かったし、何よりも、雷帝に認められていたただ1人のパイロットなのだ。


 その彼に鍛え抜かれたパイロットたちは、きっと、手強いだろう。

 僕は彼から雷帝についての話を聞くことが好きで、彼と空の話をし、そして、彼は僕らの側から見た雷帝の話を聞くのが好きで、僕と空の話をする。

 僕はそんな交流を続けながら、王国が再び、彼が鍛え上げた精強なパイロットたちと戦うことが無い様に、心から祈っている。


※作者注

 ジャックが作ったパン工場は、将来的にヤマザキとか、そういう食品会社に成長していく感じです。

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