E-38「モルガン大佐」

 銃声は、1発だけ。

 僕がライカへとたどり着き、彼女に覆いかぶさるように押し倒す、その寸前に響き渡った。


 僕は、自分の身体に痛みは感じなかった。

 僕はこの戦争で運よく銃弾を受けることが無かったから撃たれた時の感覚というのはまだ知らなかったが、痛みはともかく、被弾した衝撃も何も感じないから、多分、僕自身は撃たれなかったのだろうと判断した。


 銃声は、確かに聞こえた。

 だから、弾丸は放たれているはずだ。


 運良く、命中しなかったのだろうか?

 僕はそう思いもしたが、すぐに、銃を撃った相手が特殊部隊の兵士であるということを思い出して、それは無いと結論づける。


 特殊部隊がどんな人々なのか、詳しいことを僕は知らない。

 だが、彼らはみんな、戦闘のプロフェッショナルだ。

 彼らは多くの武器の扱い方を心得ていて、その状況に合わせて巧みに使いこなすことができるよう、日ごろから訓練を重ねている。


 その特殊部隊の兵士が、狙いを外すだろうか。

 しかも、ひとつの部屋の中という、近距離で。


 嫌な予感がする。

 僕は、間に合わなかったのだろうか。


 世界が、暗くなっていく。

 自分の身体が、感覚が雲散霧消(うんさんむしょう)して、闇の中へと溶けていく様な気がする。


 僕は、何てことをしてしまったんだ!

 絶対に、絶対に、彼女を、ライカを救うと決めていたのに!

 そうして、今度こそ、あと1歩を踏み出す、その勇気を出すと決めていたのに!


 僕は、この戦争を、大切な仲間と一緒に生きのびる、そのためにずっと戦ってきたのだ。

 そして、幸運なことに、その願いが実現する時は、すぐ目の前にまで来ていたのだ。


 それなのに。

 それなのに!


 僕は、1番大事な時に、1番大切な人を、守れなかったのだ!


 僕がそう思った瞬間、僕の頬に、暖かなものが触れるのを感じた。


 どうやらそれは、誰かの指の様だ。

 細くて、だけれど、しっかりした指。

 その、どこか懐かしく思える感触に、暗い闇の底に沈んで行こうとしていた僕の意識は、再び輪郭を持ち始める。


「えっと……、まだ、よく目が見えないんだけど……、もしかして、ミーレス? 」


 ライカに覆いかぶさる瞬間、撃たれると覚悟し、思わず両眼を閉じてしまっていたことを思い出した僕は、その声を聞いて大急ぎで自分の目を見開いた。


 目の前に、金髪に碧眼の、綺麗な女の子の顔がある。

 どうやら閃光手榴弾の影響でまだ目が見えていない様で、その青い瞳の焦点はどこにも合っておらず、その視線はふらふらとさまよっている様子だったが、彼女はそこに確かに存在していて、生きている。


 僕の意識が狂気に陥って目にしている幻覚では無い様だ。


「その……、ミーレス、重いんだけれど? 」

「……へっ!? あっ、ご、ごめんっ! 」


 彼女にそう言われて、僕は慌てて彼女の上から身体をどかした。

 すると、ライカはふぅ、と息を吐き出して、ゆっくりと深呼吸をする。


 僕は急いでライカの全身を確認したが、彼女の身体には、どこにも異常は無い様だった。


 安心したら、今度は、腰が抜けてしまった。

 まだ状況が解決したとは限らないはずだったが、僕はその場にへなへなとなってへたり込んでしまう。


 僕の中にわずかに残った理性が、僕の首と頭、目を動かして、僕に周囲の状況を確かめさせる。


 ライカに銃口を向けようとした裏切り者の特殊部隊員は、床の上に倒れこんでいた。

 その身体の下には、血だまりが広がっている。


 1発の銃声。

 それと共に放たれた銃弾は、彼の頭部を射抜いき、彼に引き金を引く刹那(せつな)の猶予(ゆうよ)さえ与えずに即死させた様だった。


 すでにこと切れているその特殊部隊員の首に手を当てて、カミーユ少佐が、彼が死亡したことを確認している。

 それから少佐は立ち上がると、僕の頭上を越えた先へと視線を送り、少佐にしては珍しく感情を表に出して、安心した様な微笑みを浮かべた。


 僕がカミーユ少佐の視線を追うと、その先には、ライカを人質にとった張本人であるはずのモルガン大佐が立っていた。


 そして、その手には、まだ発砲の硝煙が銃口からたなびいている、モルガン大佐個人の所有物であるらしい拳銃が握られている。

 どうやら、裏切り者を撃ったのは、大佐である様だった。


 僕には、訳が分からなかった。

 モルガン大佐はこの反乱の首謀者とも言うべき人のはずで、ライカに嘘をついて誘拐し、この尖塔に捕らえていた人物だ。

 本当なら、ライカに危害を加える側のはずの人間なのに、その大佐が、ライカを守ったのだ。


「いやぁ、一時はどうなることかと思いました。……それにしても、大佐。良い銃の腕をお持ちですね」

「全くだ。閃光手榴弾を使うなんて、聞いていなかったぞ。……それと、貴様はもっと銃の腕を鍛えるか、考えるのと同時に身体を動かせる様にしておけ。そこのパイロットの方が良い動きをしていたぞ」

「はい、勉強させていただきます」


 映画の俳優の様に拳銃をくるくると回転させ、ホルスターに納めながら平然とカミーユ少佐に指導するモルガン大佐の言葉に、カミーユ少佐は苦笑する。


 その時、ドカドカ、と大きな足音を立てながら、僕たちの突入を助ける囮部隊として尖塔の内部へと突入を開始した兵士たちが、この最上階の部屋まで駆けつけて来た。

 どうやら、突入の阻止に当たっていた反乱軍の兵士たちは全員、戦死したか、降伏したかしたらしい。


 僕にはまだ状況が完全には飲み込めていなかったが、その時、分かったことがあった。


 これで、全てが終わったのだ。


 たくさんの血が流された。

 だが、ライカは無事だったし、これで、3か国の国家元首の署名を受けて、第4次大陸戦争を正式に終結させるための講和条約も成立する。


 ようやく、平和な時代が訪れるのだ。


 そして僕は、その新しい時代を、僕の大切な仲間たちと、そして、ライカと一緒に迎えて、生きていくことができる。


 気がつくと、目の前にライカの顔があった。

 どうやらようやく視力が回復して来たらしいライカの青い瞳が、嬉しそうに、僕の、恐らくは間の抜けた顔を見つめている。


「ミーレス、助けに来てくれたのね! でも、どうして? 」

「それは、カミーユ少佐が。少佐が、僕をここに連れて来てくれたんだ」

「カミーユ兄さまが? 」


 僕が半ば呆けたままライカにそう答えると、ライカは事後処理の指示を出すために忙しそうにしているカミーユ少佐の方を振り返って、驚いた様な声を漏(も)らす。

 それから、もう1度僕の方を振り返って、にっこりと笑った。


「でも、正解ね! あなたは、私をちゃんと守ってくれたもの! 」

「僕は、何もできなかったよ」


 ライカを救ったのは、僕ではない。モルガン大佐だ。

 大佐がどういう事情でこういった行動に出たのかは未だに理解できなかったが、それでも、僕だけの力ではライカを救えなかったというのは事実だった。


 だが、ライカはゆっくりと首を振った。


「私を助けてくれたのは、あなたよ、ミーレス。だって、いっちばん最初に、私を守ろうとしてくれたじゃない」


 僕にはまだ、自分がライカを救ったのだという感覚は無かった。

 自分は、何もできなかったし、これから先もずっと、彼女を守ることができるのか、そういった自信を持つことは、少しもできない。


 それでも、僕はもう、臆病なままでいないと、そう決心したのだ。


 そのことを思い出した僕は、ゴクリ、と唾を飲み込んで、それから、口を開く。


「ライカ。君に、話したいことがあるんだ」

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