E-14「グスタフ」
アルシュ山脈の麓、周囲を山々に囲まれた高地の中にあるその湖畔は、何というか、飛行機で飛んでくることが場違いな様な、そんな風に思ってしまうほど、静かな場所だった。
まるで、俗世とは隔離されて、時をそのままに保存されているかの様だ。
それでも、僕たちの目的地はそこだった。
僕たちが上空を旋回しながら警戒する下で、帝国からの外交使節を乗せた輸送機とその護衛のたった1機の黒い戦闘機は、湖畔に築かれた滑走路へと着陸していき、すぐに、僕たちもその後を追うことになった。
上空から見ても何だか周囲の穏やかな景色から浮いて見える飛行場は、驚いたことにアスファルトで舗装までされていた。
舗装されているということは、その飛行場は臨時に用意されたものではなく、この場所にずっと使われる予定でしっかりとした工事を行って築かれたものだということになる。
しかも、風向きによって離着陸する滑走路を選べるように、2本もある。
王国の北部に、僕たちが普段暮らしている平野部からは山々に隠れて見えないこんな場所が隠されていたということだけでも驚きだったが、そこにこれだけしっかりとした飛行場があるというのが、何とも不思議だ。
《はー、驚いた。こんな場所があったなんてなぁ》
着陸の順番待ちで上空待機をしながら、ジャックが感嘆した様に言った。
何と、飛行場にはきちんとした滑走路があるだけでなく、僕たちを管制する管制塔まであって、僕たちに着陸する順番を指示してきている。
僕たちが見慣れた掩体や対空陣地などといったものはどこにも見当たらないから、どうやらその飛行場は軍事基地ではない様子だった。
だが、こんな、ごくわずかしか人の住んで無さそうな場所に民間の、しかも設備が整った飛行場があるというのも考えにくいことで、とにかく、不思議だ。
《何か、こう、隠れ里、っていう感じだね。あのお城なんか、まんまおとぎ話に出てきそうな感じだし》
アビゲイルも、周囲の景色に戸惑いと感動を覚えている様だ。
湖はどれほどの深さがあるのかは分からなかったが、その水質は本当に綺麗で、着陸するために高度を下げると、上空からでも湖底が見える様だった。
その湖畔にある古城も集落も大きくはなく、あまりたくさんの人は住んでいない様子だったが、白い漆喰(しっくい)に三角屋根という、おとぎ話の中に出てくるような外観の家々が、豊かな森の中に建ち並んでいる。
本当に、秘密の里、という印象だ。
《ここはね。王族の別荘というか、秘密の保養地なの》
どうやら、ライカは事情を知っている様だった。
《王家は立憲君主体制に移行した時に領地のほとんどを手放しちゃったけれど、この場所だけは手放さずに残していたの。世界が忙しく変わっていく中で、そこから離れて、ゆっくりと国の将来について考えたりできる様にって》
《へー、王家の隠れ家ってわけか》
《ライカ、詳しいじゃないか。さっすが、いいところのお姫様》
博識なライカに、ジャックとアビゲイルが感嘆する。
僕も感心したのだが、少し嫌な感じがして、黙っていた。
何だか、ライカが遠い人の様に思えてしまったからだ。
彼女は、僕のすぐ目の前を飛んでいるのに、僕がどんなに手をのばそうと、決して届くことは無い。
そんな風に、思えてしまったのだ。
やがて、僕たちの着陸する順番がやって来た。
滑走路は長さも幅も十分にあって、しかも舗装までされているから、着陸はとてもやり易かった。
ただ、ここが標高1000メートルはある高地で、高度の数値をその分割り引いて見なければならないという点にだけ、注意していればよかった。
僕たちはジャックを先頭に、1列に並んで、順番に着陸していった。
毎日の様にくり返している動作だったし、設備がいいから、失敗することも無い。
機体を着陸させた後、僕は管制塔からの指示に従い、木々の間に隠れる様に作られた誘導路を通って、駐機場へと向かっていった。
きちんとした滑走路は持っているものの、この飛行場自体の規模はあまり大きくは無いようで、駐機場は滑走路近くの平地を整備して作られた臨時のものである様だ。
そこには、先に着陸をしていたレイチェル大尉とナタリア、そして帝国の外交使節を乗せていた輸送機と、雷帝の僚機だった黒い戦闘機が一緒に並んでいる。
僕はその光景を見て、少しだけだが、めまいがする様な気がした。
すでにここまで一緒に飛んで来たのだから今さらではあったが、僕たち、王立空軍の飛行機と、帝国軍の飛行機が、戦うことも無く同じ場所に翼を並べているのだ。
こんな光景を、僕は想像したことも無かった。
僕たちが順番待ちをしていた間に、地上では帝国からの外交使節を受け入れる態勢を整えていた様子だった。
輸送機の前には古城からやって来たらしい車列がすでに到着していて、輸送機にはタラップが取り付けられ、そのタラップから車列までの間には、赤い絨毯(じゅうたん)が敷かれている。
外交使節を歓迎するために作られた通路の左右には、王国の近衛兵たちが列を作って並び、規模は小さいものの、軍楽隊の姿さえあった。
まるで、王族などを出迎える様な歓迎のしかただった。
僕が自分の機体を仲間たちの隣に並べ、駆け寄って来た現地の整備員と会話して飛行終了後の手順を行っていると、輸送機からは、外交使節が降りて来た。
開いた機体側面のドアから姿を現したのは、灰色の肋骨服に身を包み、黒いマントを翻した、40代後半ほどに見える男性だった。
帝国人に多い金髪碧眼で、よく整えられた顎髭(あごひげ)を持ち、腰には精巧な細工が施された、いかにも高価そうなサーベルを佩刀(はいとう)している。
その人物が現れた瞬間、赤い絨毯(じゅうたん)の左右に並んでいた王国の近衛兵たちは一斉に捧げ銃の姿勢を取り、軍楽隊が帝国の国歌を演奏した。
最上級の国賓、国家元首を出迎える様なやり方だ。
王国から丁重に出迎えられた男性は、少しも臆することなく、2人の警護兵と秘書官らしい1人を連れて赤い絨毯(じゅうたん)の上を進むと、出迎えに来ていた黒塗りの高級車に乗り込み、車列を従えて古城へと向かって走り去っていった。
あの人物は、いったい、誰なのか。
外交使節ということを考慮しても、歓迎のしかたがやたらと丁重だったし、その正体が気になるところではあったが、僕としては、もっと気になることがあった。
ようやく、あの雷帝の僚機を務めていたパイロットの姿を、僕自身の目にすることができるのだ。
僕は飛行後のチェックを終えると、急いで操縦席で立ち上がって、黒い戦闘機の方へ視線を送った。
あちらの方は先に着陸していたこともあってすでにチェックを終えていた様で、すでに操縦席から降りて、主翼の上に立っていた。
僕と、彼との視線が合った様な気がした。
どうやら、あちらも僕の方を見ていた様だ。
僕は、彼の姿を見て、今日何度目かの驚きを覚えていた。
何故なら、彼は、若かった。
僕と変わらない年に見える、まだ、少年らしさを残した容姿をしていたからだ。
王国では珍しい、帝国でも珍しいプラチナブロンドの髪を短く刈りそろえ、切れ長の鋭い印象の双眸を持つ。
骨格は筋骨隆々というよりはスマートな印象で、それでも、飛行服の上からでも無駄なく引き締まっていることが分かる。
僕よりも少し背が高く、顔立ちは整っていて、ハンサムだった。
彼は僕と視線が合った後、身体の前で腕組みをすると、背中を操縦席に預け、僕の方をじっと眺める。
何というか、「こっちに来い」、そう呼ばれている様な気がした。
少し、偉そうだ。
僕は彼に悪い印象を持ったが、まずはとにかく、雷帝の僚機を務めていたパイロットと話をして、彼がどんな人物なのかを知りたかった。
そして、できれば、雷帝のことをたずねたかった。
戦争の中で、僕たちと雷帝とは戦わなければならない敵同士だったが、僕は今でも雷帝のことを尊敬している。
何よりも、彼の様な飛び方をどうすればできるのかに、僕は興味がある。
僕は急いで機体から降りると、黒い戦闘機のところまで歩いて行った。
彼の方も、僕が近づいて行くのを見ると機体から降りて、相変わらず偉そうに腕組みをしたままだったが、僕のことを待っている様だった。
「初めまして。僕は、ミーレスと言います」
僕は彼の前に立つと、まずは、常識的に挨拶をした。
挨拶は大事だ。万国どこでも、それは変わらないはずだ。
だが、彼は尊大な態度を崩さなかった。
「俺は、グスタフだ」
ただ、短く僕にそう名乗って、まるで僕のことを値踏みする様に、視線を細めながら僕の方を見ている。
何だか、気に入らない。
それでも、ぼくはぐっとこらえる。
僕たちは敵同士であったが、今はもう、殺し合わなくていいはずなのだ。
「えっと、あなたと一緒に飛ぶことができて、光栄に思います」
僕はそう言って、彼、雷帝の僚機を務めたパイロットであるグスタフに向かって、握手をするために手を差し出した。
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