E-12「仇敵」
その戦闘機は、全体を黒で塗られていた。
そして、黒雲を貫く様な稲妻が、白で鋭く描きこまれている。
それは、かつてこの大陸の空に絶対的なエースとして君臨していた、「雷帝」の機体に施されていたのと同じものだ。
まさか、と思った。
雷帝は、僕たちが倒したはずだ。
僕が、彼にトドメを刺したのだ。
僕は雷帝の機体がバラバラになり、空に溶ける様に消えていく様を確かに目にしていたし、その機体から誰かが脱出するところは見ていない。
彼が、雷帝が僕らの目の前に再び姿を現すことなど、絶対にあり得ない。
だが、僕はすぐに、雷帝にはたった1機、常に僚機がつき従っていたことを思い出した。
どんなパイロットよりも強く、巧妙な飛び方をする雷帝によって、自身の背中を預けるのに足ると選ばれたたった1機の僚機。
その機体も、雷帝と同じ塗装を機体に施していた。
そして、雷帝の僚機は、あの日の戦場を生きのびたはずだった。
少なくとも、僕らは誰も撃墜を確認できていないし、雲の中へ逃げ込んで姿を消した僚機が、その後どうなったのかは誰も知らない。
あの日の空戦の後数日してフィエリテ市の帝国軍は僕らに降伏してしまったし、連邦と帝国が完全に王国から撤退するまでの間、黒い戦闘機の姿を目撃した者は誰もいなかった。
あの時、僕らの前から姿を消した雷帝の僚機が、再び、僕らの前に戻って来たのだ。
よく見ると、その黒い戦闘機は、以前、僕たちと戦った時とは、機種が異なっている様だった。
以前の機体は、僕らのベルランと同じ液冷倒立V型エンジンを装備した帝国の主力戦闘機「フェンリル」だったが、今回の機体は、それとは全く別の機体だ。
細長い印象の機首には液冷式のエンジンが装備されている様で、武骨で精悍な骨格と、細長い主翼を持っている。
ぱっと見では武装もその機体の性能もよく分からなかったが、少なくとも、以前の機体よりは強いはずだった。
もし、僕らが乗っているベルランの改良型、E型と戦うことになれば、どうなるだろう。
E型はエンジンの出力強化のおかげで以前より最大速度が増しており、ベルランが苦手としていた旋回性能も、自動空戦フラップの装備によって大きく改善されている。
連邦や帝国の新鋭戦闘機とも十分に渡り合えるだけの性能があるはずだったが、あの雷帝が僚機として認めたただ1人のパイロットが操縦する機体と戦った時に、通用するだろうか。
《こちらイリス=オリヴィエ連合王国、王立空軍所属、第1戦闘機大隊第1中隊、301Aのレイチェル大尉! 飛行中の帝国軍機、こちらで視認している。これより合流し、貴機を目的地まで誘導、護衛する。我々はあなた方の来訪を歓迎する》
僕が頭の中で「どう戦うか」をシミュレーションしている間に、レイチェル大尉が国際共通語で、王国の領域内に進入し、飛行中の帝国軍機へと連絡を入れる。
国際共通語というのは、マグナテラ大陸で主に外交の場や異種言語を話す者同士の間でコミュニケーションを図るために作られた人工言語で、僕らパイロットが他国のパイロットと交信する時に一般的に用いられている言葉だった。
帝国軍機からの応答は、すぐにあった。
《こちら、帝国空軍所属機だ。外交使節を乗せて飛行中。301A、こちらも貴隊を視認している。護衛に感謝する》
《301A、了解。これより護衛の配置につく》
レイチェル大尉はそれから無線回線を切り替え、僕らに取るべき隊形を伝達する。
《301A各機、事前説明なしですまんが、これからあの帝国軍機を護衛して飛ぶ。あたしとナタリアで先導、ジャックとアビゲイルは上について周辺警戒、ライカとミーレスは後方についてカバーしろ》
《《《了解! 》》》
僕らはレイチェル大尉の指示通りに動き、言われた通りの隊形を作った。
《帝国軍機、針路は270、西に取れ。現在の高度を維持せよ。私が誘導する》
《了解》
僕たちは針路を西に取り、高度3000メートルで飛行を続けた。
僕らはかつて敵同士として戦い合った仲だったが、外交使節を乗せているという帝国軍機はとても落ち着いていて、微動もしない。
外交使節を乗せた輸送機をたった1機で護衛している黒い戦闘機も、護衛の位置に機体をつけたまま、少しも動揺する様なそぶりを見せなかった。
僕たちのことを、信用しているのか。
それとも、よほど肝がすわっているのか。
もしくは、たった1機でも、僕たち6機を相手にして勝てるという自信を持っているのか。
僕の意識は、どうしても、目の前を飛んでいる黒い戦闘機へと向けられてしまう。
彼、もしくは彼女は、僕たちとは仇敵の関係にある。
僕たちはあの戦争の中で何度も激しく戦い、お互いに命を奪い合った。
そして、僕たちは、あの黒い戦闘機のパイロットから、雷帝という唯一無二の存在を奪い去った。
これは、恨まれる様な筋のものでは無い。
戦場を飛ぶ僕たちはいつでも死を意識していた。
戦場で戦い、撃墜し、撃墜され、たくさんの命が失われていった。
僕たちは雷帝を倒したかもしれないが、僕らの目の前に再び姿を現した雷帝の僚機、あの黒い戦闘機のパイロットだって、何人も、数えきれなり王立空軍のパイロットを倒してきたはずだ。
それでも、感情の面では、なかなか割り切れないことだった。
お互いにどうしても戦わなければならない理由があって戦った僕らだったが、お互いに殺し合いをしていたことには、何の変わりも無いからだ。
僕は、黒い戦闘機の操縦席を凝視(ぎょうし)していた。
そこには、僕らの敵であり、そして、雷帝から僚機として随伴することを認められた唯一のパイロットがいる。
だが、後方に位置を取った僕の方からは、どうあがいてもそのパイロットの姿を確認することはできなかった。
《あー、あー、帝国軍機。こちら、301A、レイチェル大尉。しかし、驚いたぞ。そちらは護衛機をたった1機しか連れてこないとはな。事前の打ち合わせでは、1個中隊までなら護衛として随伴して良いとなっていたはずだったが》
《我々は外交使節だ。その様な仰々しい護衛は必要としない。……もっとも、護衛には特に信頼のおけるパイロットを選ばせてもらったが》
レイチェル大尉がその場を和ませようとして行った質問に答える声は、最初に大尉からの呼びかけに答えた声とは別のものだった。
誰なのかは分からなかったが、何となく威厳があって、それなりの地位にいる人物の声の様な気がする。
恐らくは、帝国軍の輸送機に乗っている外交使節その人の声なのだろう。
《それに、貴国の王は、信頼のおける部隊を護衛につけると私に約束してくれた。なるほど、貴隊が301Aか。「死天使(アズラエル)」、確かに、味方となれば心強い》
《道中の護衛は、どうぞお任せを。……しかし、死天使(アズラエル)ですか。帝国では、ずいぶん大仰な呼び方をするものです》
《他にもいろいろあるぞ。死神部隊、悪魔部隊、白羽の怪物……。それに護衛される日が来るとは、何とも、この世界は驚きに満ちているな》
外交使節らしき人物の声は、感慨深そうなものだった。
僕たちは王国では「守護天使」部隊などと呼ばれているのだが、どうやら、僕らと戦う側の方からは、様々な名前で呼ばれていた様だ。
どれも大仰な呼び名の様に感じるが、共通しているのは、僕らが敵にとっては「死」をもたらす、恐ろしい敵であるという点だ。
僕らは今、仇敵同士でこうして翼を並べて飛んではいるが、結局は敵同士なのだ。
僕らはつい1年前までは激しく戦い続けていて、そして、今でも戦争状態にある。
実質としては、僕らはもう戦ってはいないはずなのだが、正式な休戦条約、あるいは講和条約が結ばれるまでは、戦争状態のままだ。
この、帝国からの外交使節を護衛し、誘導するという、特別任務。
これが、王国と、マグナテラ大陸に、本当の意味で平和をもたらすものとなるのだろうか。
※作者注
今回再登場した帝国軍の黒い戦闘機のモデルは、Ta152になります。
これは、帝国軍が「フェンリル」に代わる主力戦闘機として開発、実戦に投入されている戦闘機「シュラフトス」(モデルはFw190シリーズです。名前は軍馬という意味のドイツ語から取りました。発音は熊吉なりに調べてみてこうしてみたのですが、間違っていたらすみません)の改良型という立ち位置で、作品上では量産が開始されたばかりの新鋭機という設定になります。
※作者より訂正のご報告
お疲れ様です。熊吉です。
本話で新たに登場した帝国の戦闘機ですが、空冷エンジンではなく、液冷エンジンを装備した機体でした。
読者様からご指摘をいただきまして、修正させていただきました。
熊吉の調査不足で、大変ご迷惑をおかけいたしました。
また、ご指摘を下さいました読者様、ありがとうございました。
今後も熊吉をよろしくお願いいたします。
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