E-11「針路変更」

 フィリップ6世が僕たち301Aに直々に与えた特別任務は、なかなか始まらなかった。


 変な気分だった。

 僕たちは何か重大な秘密に直面しているのに、その、直面しているということしか知らずに、それでいて、そのことを誰にも知られてはならないという。

 すっきりしない、むず痒(がゆ)い感じだ。


 それでも、僕たちは表面的にはいつも通りに日々を送って行った。


 僕たちはベルランに乗って、哨戒飛行や訓練飛行のために離陸する。そして、僕たちが帰って来ると整備班が機体を整備、点検する。

 アリシアたち炊事班が作ってくれる食事をし、体を鍛えたり、趣味を楽しんだり、シャワーを浴びたり、仲間とおしゃべりをして、夜が深まれば眠りにつく。


 特別任務。

 その言葉は常に僕らの頭の中から離れることは無かったが、僕たちの日々は、一見すると何一つ変わっていない。


 それが変わったのは、フィリップ6世が僕たちの部隊を訪問してから、1週間以上経ってからのことだった。


《よーし、301A各機、飛行プランを変えるぞ》


 レイチェル大尉が、何でも無いことの様にそう言いだしたのは、僕たちが訓練のために鷹の巣穴から発進し、空中で集合して、訓練を予定している空域へと向かっていく途中だった。


 その日の訓練の予定は、演習場における実弾射撃訓練だった。

 珍しい訓練内容だ。


 王立空軍では訓練のために演習弾などをよく利用している。

 演習弾は実弾と同様の弾道を示す様に調整されたもので、普段の訓練ではこの演習弾を用いている。

 実弾射撃訓練というのは行われる回数は少なく、古くなった弾薬を消費し、その品質が健全に維持されているかを確かめるために、稀(まれ)に行われるものだ。


 だが、物資不足にあえぐ王国では、実弾の1発は惜しむべきものだった。

 しかも、1年前までは激しく戦闘が続けられていたために、王国には保管期限が間近に迫った弾薬など存在せず、実弾射撃訓練を実施するような状況では無いはずだった。


 だから、僕は実弾射撃訓練を行うという話を聞いた時、珍しいなと思った。

 しかも、出発前の僕らの機体は、実戦と同様の準備が施され、王国にとっては貴重品となっている機関砲弾がぎっしりと装填され、燃料も増槽まで装備して搭載できるだけ搭載されている。


 訓練というには少しものものしいなと思っていたのだが、どうやら、それは実際には、例の特別任務を実行するための準備であったらしい。


 そのことを知っていたのは、パイロットの中ではレイチェル大尉だけであった様だ。

 大尉は鷹の巣穴の上空から離れ、周囲に僕らの行動を目撃して「変だな」と思う様な誰かがいなくなったタイミングで、僕たちに特別任務の開始を告げたのだ。


《実弾射撃訓練は中止だ。各機、これより針路を北東方面に取り、帝国との国境地帯上空へと飛行し、そこで待機する》

《えっと、大尉サン、帝国との国境地帯上空、デースか? 》


 レイチェル大尉の指示に、ナタリアが疑問を投げかける。


《確か、連邦と、帝国との国境線から50キロは、立ち入り禁止空域になっていませんデシタか? 》


 ナタリアが言う通り、王立空軍では現在、連邦と帝国と国境を接する空域に自国の航空戦力を展開することを禁止している。

 これは、王国の側から連邦や帝国に攻撃を実施する意図が無いことを示し、正式な休戦条約も講和条約も結ばれていないという曖昧な状況の中で、突発的に交戦が再開されることを防止するための措置だった。


 似た様な命令は連邦や帝国でも出されており、僕たちは望まない衝突を避けるために、国境地帯を軍事的な空白地帯となる様にしている。

 明確に約束を交わしたわけでは無かったが、暗黙の内に、僕らはそのルールを守っている。


 もし、その緩衝区域として設定されている空域に僕たちが踏み込んでしまえば、王国と帝国との戦闘が再開されるきっかけになってしまうかもしれなかった。

 ナタリアが疑問に思うのも当然だったし、彼女が確認しなければ、僕たちの誰かからレイチェル大尉に聞いていたことだろう。


《安心しろ。これは、帝国の側にもすでに話を通してあることだ》


 レイチェル大尉からの指示に、変更はなかった。


《帝国から外交使節が来るんだ。あたしらはその出迎えと案内、護衛をすることになっている。……お前ら、帝国軍機だからって、撃つんじゃないぞ? 》


 外交使節?

 王国と休戦条約や講和条約を結ぶための外交官でもやって来るというのだろうか。

 そして、どうやら僕たちは、その外交使節が乗った帝国からの飛行機と国境地帯の上空で合流し、無事に目的地まで送り届けることが任務である様だった。


 なるほど、重要な任務には違いない。

 それに、王国に本当の意味での平和をもたらすことに貢献できるというのなら、何の異論もはさむ余地はない。


《えっと、大尉? 外交使節を案内するということですが、いったい、どこへ? 》

《そいつはあたししか知らされていないことだ。……すまんな、お前らにも黙っていろと言われていてな。あたしも詳しくは知らんのだが、いろいろ、複雑な事情があるらしい》


 ジャックからの質問にも答えると、レイチェル大尉は「他になにかあるか? 」と、僕たちにたずねて来た。

 僕らは、誰も口を開かなかった。


 任務内容の詳細はレイチェル大尉しか知らされていないということだったが、僕たちはこれまでずっと、大尉の指揮で飛んで来た。

 今さら任務の内容が秘密にされているからと言って、不服など出てくるはずが無い。


《よし。なら、全機、帝国からの使節を出迎えに行くぞ。くれぐれも、失礼の無い様にな。ヘソを曲げられて引き返されたらかなわん》

》》》


 僕たちは針路を45、北東へと取って、王国と帝国との国境地帯へと機首を向けた。


 鷹の巣穴から王国と帝国との国境地帯の上空へは、少し前までの王立空軍戦闘機の標準的な戦闘行動半径だった300キロメートルでは、たどり着くことは難しい。

 だが、今の僕たちの機体は増槽も含めれば十分な航続距離を持っているため、突然のプラン変更にも、問題なく対応することができた。


 今までに飛んだことの無い飛行経路だった。

 僕はいつもの様に周辺警戒をしながら、時折、見たことの無い王国の景色を眺める。

 やがて、王国と帝国との国境地帯も見えてくる。


 王国と帝国との国境地帯には、2つの河によって作られた、石ころと砂でできた大地が広がる場所だった。


 2つの河というのは、1つはアルシュ山脈から流れて来る、王国と帝国との国境線を形作っているもので、もう1つは、フィエリテ市から東へ向かって流れていく河だ。

 2つの河は河口近くに至るといくつも枝分かれして流れる様になり、分散と合流をくり返しながら、海へと流れていく。


 アルシュ山脈から流れ落ちて来る河の流れは、春先から初夏にかけて雪解け水によって増水し、流れが急となる。

 このため、国境地帯では定期的に洪水が起こって土が洗い流され、無数にできた中州は石や砂利などで覆われ、耕作にも住むのにも適さない地域が広がっている。


 かつての王国の国防計画ではこの独特な地形が障壁として機能すると期待されていたのだが、帝国は春の出水期という状態を逆に活用し、大量に用意した船底の浅い上陸艇を用いて王国へと侵攻して来た。

 ちょうど、王国の東海岸に帝国が上陸した時に用いた様な上陸用舟艇を使用した帝国は、その攻撃が奇襲攻撃で、王国に対して航空優勢を握っていたということもあり、短期間で王国の防衛線を突破することに成功している。


 その戦いから1年以上が経過しているが、眼下には、戦いの痕跡が至る所に残されていた。

 増水した河川を渡る途中で座礁して放棄されたり、王立軍からの反撃で撃破されたりした上陸用舟艇や、戦車。

 そして、抵抗虚しく粉砕されていった王立軍の兵器の残骸。


 戦争の間に、その場所には帝国による王国侵攻の拠点としての機能も整えられていた。

 かつての王立軍の設備を再利用する形で帝国軍の基地が築かれ、何本もの滑走路を持った航空基地や、巨大な物資集積場、そこに物資を運び込むたくさんの線路と鉄道施設も作られている。

 僕らを苦しめたカイザー・エクスプレスが、毎日の様に飛び立っていた場所だった。


 王国と帝国との緩衝地帯となったその場所は今、放置されて自然のなすがままになっているが、帝国が王国を屈伏させるために注いだ力の大きさを、改めて実感させられる遺跡だ。


《各機、見えたぞ。帝国からの使節だ》


 レイチェル大尉からの無線で、僕は眼下に広がる景色から、視線と意識を東の空へと戻した。


 帝国からの外交使節を乗せている飛行機は、すぐに見つけることができた。

 機数は、たったの2機。

 1機は、連邦を戦略爆撃するのにも用いられている帝国の大型爆撃機で、もう1機は、その護衛機らしい戦闘機だった。


 そして僕は、そのたった1機の護衛の戦闘機の姿を見て、ぎょっとさせられてしまった。

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