20-28「手の平の上」

 その日の気象予報では、午前中はよく晴れ、午後になると荒れる。そういう予報だった。

 強い日差しによってフィエリテ市の周辺の気温があがり、強い上昇気流となって、巨大な積乱雲が出来上がっていく。


 飛行を開始した時はそんな天気になるとは思えなかったが、気象班の予報は当たった。

 フィエリテ市の南側に数十キロ離れた空域で待機していた僕たちは、フィエリテ市の方向の空に、巨大な積乱雲が徐々に出来上がりつつあることを視認した。


 なかなか、帝国軍は現れない。

 帝国軍は王国北部の気象情報の蓄積がこちらより少ないはずだから、積乱雲ができて天候が荒れるという予報ができず、積乱雲が成長し切る以前に空中補給を行うという選択ができなかったのだろうか。

 それとも、僕たちが待ち構えているだろうということを見越して、巧妙にタイミングをずらしてしまったのだろうか。


 まだか。

 まだ、来ないのか!


 燃料は、かなり減って来ている。

 臨時タンクと増槽の燃料はとっくに使い果たして、胴体内の燃料で飛んでいる。

 その燃料も、もうすぐ、鷹の巣穴に帰還できるぎりぎりの量になってしまうだろう。


 積乱雲も、発達を続けている。

 その巨大な雲が成長し切り、フィエリテ市の上空が飛行するには危険となる時刻に合わせて燃料を使いきる様に僕らの飛行は計画されているから、積乱雲が成長し切るまでが、僕らのタイムリミットだった。


 時間は、無情に過ぎていく。


 だが、とうとう、その時が来た。


《こちらFE第2監視哨! カイザー・エクスプレスの進入を確認! 輸送機約150機、戦闘機約30機、針路260、速度300、高度2000で西進中! 》

《Déraillement作戦参加部隊、了解した! ……全機、覚悟は良いな、突撃開始だ! 》


 作戦中、Déraillement作戦に従事している各戦闘機中隊を合同して指揮する権限を与えられていたレイチェル大尉は、少しも迷うことなく僕らに突撃を命令した。


 フィエリテ市の上空には、すでに大きな積乱雲が迫っている。

 このまま突っ込んで行けば危険なはずだったが、次に会敵に成功するのがいつになるか分からない以上、僕たちはこのチャンスを逃すわけにはいかなかった。


 帝国は、恐らく、わざとこのタイミングを狙って飛んで来たのだろう。

 積乱雲が発達し、フィエリテ市上空が危険な空域となる直前を狙えば、僕らが迎撃して来る確率を下げることができる。

 物資の投下を行うことができる時間は限られるし、積乱雲の発達を正確に予測しなければ実施困難な作戦だったが、帝国軍はまた、フィエリテ市の帝国軍からの連絡によって最適なタイミングをつかんだのかもしれない。


 僕たちはすでに長時間待ち続けていて、燃料も少なくなっていたが、やることは1つだ。


 全力で、敵に食らいつく!


 レイチェル大尉の号令で、待機していた戦闘機は一斉に増槽を切り離し、フィエリテ市の上空に向かって突撃を開始した。


 先頭を行くのは、義勇戦闘機連隊のベルラン装備の中隊と、ダミアン中尉に率いられる5機の301Cだ。

 それに続くのは、義勇戦闘機連隊のエメロードⅡ装備の中隊で、最後尾、高度3000メートルを僕ら301Aが飛行している。


 打ち合わせ通り、ベルラン装備の部隊が敵の護衛機に突っ込み、エメロードⅡ装備の部隊が輸送機に向かう。

 僕らは、雷帝を倒す。


 高度を水平に保ちながら速度を上げていく他の中隊を眼下にしながら、僕たちは少しずつ高度を取って行った。


 僕たちが雷帝を狙っていることは、彼もすでに知っている。

 雷帝に与えられている役割は恐らく、遊撃兵力として戦場全体を俯瞰(ふかん)し、最大の効果を発揮するタイミングで戦闘に参加し、戦場を支配することだ。

 だから彼はいつも輸送機の編隊を見下ろせる、編隊から少し離れた高所に陣取っているのだが、僕らが彼を狙っていると知って以来、その高度はより高くなっている。


 僕たちは雷帝に勝つために自身の機体に出来る限りの改造を施したが、パイロットの技量ではまだ、彼に到底及ばないということを自覚している。

 足りない部分は、機体の性能と、できるだけ有利な形で交戦することで補うしかない。

 そのためには、僕らもできるだけ高度を取る必要があった。


 やがて、積乱雲を背景として飛ぶ、カイザー・エクスプレスの大編隊の姿が見えてくる。


 ちょうど、補給物資を投下している所の様だ。

 帝国軍への補給物資が詰まったコンテナをぶら下げた、数えきれないくらいたくさんのパラシュートが空に漂っている。

 見ようによっては、白い花畑の様にも見える光景だった。


 物資の投下を終え、帝国軍の輸送機は積乱雲を避ける様に旋回し、帝国側へと引き返していく。


 そこへ、僕たちは襲いかかった。


 先頭をきって突入していった301Cのベルランと、帝国の護衛機のフェンリルとの間で射撃戦が開始され、空に曳光弾の軌跡が生まれ、被弾し、撃墜された機が、炎と黒煙を引きながら墜ちていく。

 撃墜された機体はフェンリルの方が多い様だったが、こちらにも損害が出ている様だった。


 どちらも、必死だ。

 僕たちは空中補給を停止させなければならないし、敵は、飢えに苦しむ友軍をどうにか救いたいと思っている。


 同じパイロット同士、地上で出会えば、意気投合して、楽しく食事をしたり、話をしたりできたのかもしれない。

 だが、僕たちは王国人で、彼らは帝国人だった。


 僕らは、相手の姿も、声も知らないのに、こうやって殺し合っている。

 平和な時に出会えば、友人になれたかもしれない様な人々と、戦っている。


 僕らは誰も、相手のことを憎いから、殺したいから戦っているわけではない。

 これが戦争だから、戦わなければならないから、戦っているのに過ぎない。


 僕らはみんな、1人のパイロットに過ぎないのに。

 自分と、仲間を守るために、引き金を引くことを躊躇(ためら)ってはいられないのだ。


 それは、不幸なことだと思う。

 戦争という事象は個人の手には届かないところにあって、僕たちはその巨大な流れに左右されるしかない。

 だが、もし、それを変えるチャンスがあるのだとしたら、僕はそれをこの手にしたい。


 そして、今の僕には、そのチャンスが与えられている。


 僕たちは、眼下でくり広げられる激しい戦いから意識を周囲の空へと向け、雷帝の姿を探した。

 高度は約5000メートル。雷帝はきっと、同高度か、少し上にいるはずだ。


《いたぞ! 11時の方向、やや下、機数2! 雷帝だ! 》


 ハットン中佐の叫ぶ声で、僕は、自分の予想が外れたことを知った。

 彼らは、上でも、同高度でもなく、僕らの下側にいたのだ。


 雷帝は、いつも僕たちに対して優位な位置にいた。

 だから今回もそうだろうと思っていたのだが、これは、僕の思い込みだったのか。

 それとも、僕たちが高度を取ったことで、雷帝に対して優位に立つことができてしまったのだろうか?


 だが、僕は雷帝の姿を見て、すぐに、全て彼の作戦通りなのだということを知った。


 雷帝は、速い。

 いた、と思うと、その直後には僕たちのすぐ近くにまで突っ込んできている。


《各機、散開! 回避(ブレイク)、回避(ブレイク)っ! 》


 僕たちは、レイチェル大尉の指示で回避運動を取るだけでも精いっぱいだった。

 雷帝に反撃できる隙など、少しも無い。

 慌てて散開して回避運動に入った僕たちの編隊の間を曳光弾が貫いて行き、次いで、2機の黒い戦闘機が一瞬で飛び去って行った。


 雷帝が下側にいたのは、僕たちが上を警戒しているということを見越した上で、僕たちの意識に無い下方に潜り込んで奇襲をしかけて来たのだ。

 しかも、ただ僕たちの意識の死角に入り込んだというだけではなく、そうする前に高高度から降下して速度をつけた上で、僕たちが反撃できない様な高速で突っ込んで来たのだ。


 ハットン中佐は、雷帝と戦うのは今回が初めてのことだった。

 だから、僕たちが意識していなかった下方にも十分な警戒をしており、雷帝を発見することができたのだ。

 もし、僕たちだけだったら、このたった1度の攻撃だけで、少なくとも2機はやられてしまっていただろう。


 やはり、雷帝だ。

 彼らは巧妙で、強い。


 僕はレイチェル大尉の後方に機体をつけ、2機編隊を組みなおしながら、上空に駆け上がって、僕たちに再攻撃をかけようと機首を向け直している雷帝の姿を見上げていた。


 僕たちは、彼の手の平の上にいる。

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