20-27「夏」

 気がつくと、王国の北部に夏が訪れようとしていた。


 夏は、いい季節だ。

 植物の緑は青々と濃く、瑞々(みずみず)しくなり、空もその青色を鮮やかにする。

 王国の南部などではこの時期、海水浴が盛んで、暮らしに少しでも余裕があれば、人々は列車で長旅をして南にバカンスに行き、夏を思う存分に楽しむのだ。


 もっとも、僕の家では、そんな優雅な夏を過ごしたことは無いのだが。

 王国に平和が戻ったら、僕も1度はそんな夏を過ごしてみたいと思う。


 眼下に映る王国の様子は、しかし、そんな楽しそうなものとは無縁だ。

 フィエリテ市の市街はそのほとんどが破壊しつくされ、瓦礫(がれき)と廃墟の山となってしまっているし、豊かな田園風景が広がっていたはずの場所は、戦っている双方の軍隊が必死に構築し続けて来た陣地によって掘り起こされ、砲弾や爆弾で抉(えぐ)られ、無残な姿をさらしている。


 僕たちが雷帝との戦いに臨むための準備を整え、出撃を再開して1回目の飛行は、カイザー・エクスプレスの補足に失敗し、何の成果もあげられずに終わった。

 だからこそ僕はこうやって眼下の景色をじっくり眺めることができたのだが、会敵できるかできないかは敵次第というところが大きく、仕方が無いとは思うものの、やはり焦燥感が大きくなってくる。


 僕たちがこうやって虚しく引き返す間にも、フィエリテ市では市街戦が続いている。

 王立軍は兵力不足と砲弾の不足から、帝国軍は物資全般の欠乏から、その活動が鈍くなってはいるものの、戦闘自体は休むことなく続けられている。

 フィエリテ市の市街地では、壁一枚隔てて向こうに敵がいる、という様な状況が続いているらしい。


 夜も眠れない様な緊張が続いている状況を終わらせることができないのは、何とも申し訳ない気持ちだった。


 ただ、王立陸軍も、ただ手をこまねいて僕たちの成果を待っているだけではなく、新しい作戦も開始した様だった。

 それは、フィエリテ市内に水を供給している水道網を掌握し、包囲下にある帝国軍に食糧だけでなく水も与えないようにするという作戦だった。


 王国の首都だったフィエリテ市には、王国でもっとも早くから近代的な水道設備が建設されていた。

 川や地下から取水した水を処理し、清潔な水として、市街地中に張り巡らされた配管を通して供給する。

 フィエリテ市では、こういった設備があるおかげで、水道の蛇口をひねれば豊富に水を使うことができるという環境が整っていた。


 だが、その水道設備は、これまでの戦いの結果、すっかり破壊されて、使い物にならなくなっている。

 今、焦点となっているのは、それよりも古い設備だった。


 それは、地下に張り巡らされた水路だ。

 フィエリテ市は古くからイリス王国の王都として発展してきた街であり、歴代の王が城下を少しでも豊かにするために、様々な設備を建設してきた。

 地下水路もその1つであり、上流などから取水したきれいな水を市内に行き渡らせる上水道と、使用済みの水や雨水などを排水する下水道が分けて作られている。


 近代的な水道システムが作られたことにより、この古い上水道は使われなくなっていたが、下水道に関しては今でも現役で使われている。


 この上下水道は、カミーユ少佐たちがフィエリテ市に潜入して活動していた時にも利用されただけではなく、フィエリテ市内に取り残されていた数百名の民間人の命を救うためにも使われたということだ。


 水は、人間だけでなく、どんな動物でも生きていくのに欠かせないものだ。

 帝国軍にとってもそれは変わりなく、まして、フィエリテ市には20万もの帝国軍が包囲されている。

 必要とされる水の量は、飲み水だけでもかなりの量になる。


 古くから上水道と下水道が整備されてきたフィエリテ市の市内には井戸の類は数が少なく、地下にあって、これまでの戦火にも耐えて機能し続けている、王国の古くからの遺産によって、帝国軍は渇きを癒している。


 王立陸軍が狙っているのは、この、上水道の取水設備だった。

 ここを占領し、水の供給を断ってしまえば、帝国軍は数日もしない内に喉の渇(かわ)きで戦うどころではなくなってしまう。


 だが、帝国軍もそうなることを阻止するために取水設備で守りを固めているらしく、現在は、その取水設備を巡って激戦がくり広げられているということだった。

 地上で、地下で、両軍の将兵は激しく戦い、銃撃戦だけではなく、時には白兵戦までくり広げて、ここ数日、一進一退の攻防を続けている。


 また、取水設備への攻撃に加えて、王立陸軍は帝国軍の飛行場への攻撃も再開しようとしている。

 フィエリテ市唯一の飛行場は、帝国軍の輸送機の着陸場所となっており、カイザー・エクスプレスの度に数機の輸送機がごく短時間の離着陸を実施し、帝国軍の人員の移動を行っている。

 これも止めることができれば、帝国軍に与える絶望感と敗北感は、より強いものとなるだろう。


 王立陸軍は王立陸軍で、この戦争を王国の勝利という形で終わらせるべく必死に戦い続けているのだが、そのために多くの犠牲が出ていることは、やはり、僕にとっては心苦しいことだった。


 僕たちが雷帝を倒し、帝国の輸送機を撃墜してカイザー・エクスプレスを継続不能になるほどのダメージを与えることができれば、王立陸軍の将兵が血を流さずとも、この戦争を終わらせることができるからだ。


 だが、翌日の出撃でも、敵機を捕捉することはできなかった。

 やり方を変えたおかげでフィエリテ市の帝国軍から僕らの存在を通報されることは無くなったはずだったが、なかなか、うまく行かない。


 僕たちが帝国軍の出撃して来る時間を予測している様に、もしかすると、帝国軍も僕たちが待ち構えている時間を、何とか予測しようと努力しているのかもしれない。

 僕たちが知っていることを、敵も全く考えていないと思ってしまうのは、慢心というものだろう。

 勝負するべきは、似た様な考えであるのなら、どちらがよりうまくその考えを実現できるかという点だ。


 ベルランの改造機で出撃する様になって2回飛んだが、やはり、これまでにない長時間の飛行は大変だった。

 いつ敵が来てもいい様に上空で待機しているだけでも2時間以上、そして、基地と往復するだけでもさらに2時間以上がかかってしまう。


 仮に、一直線に飛ぶとしたら、軽く1200キロメートル以上先まで飛んで行ける様な時間だ。

 双発機ならともかく、単発の飛行機で、しかもパイロット1人だけで何もかもやらないといけないとなると、なかなか大変だった。


 特に、着陸では気を使った。

 離陸するときは十分に速度をつけて操縦桿を引くだけだからそこまででは無いのだが、着陸する時は、時速100キロ以上は優に出ている状態で、機体の車輪をうまく滑走路に接地させなければいけない。

 出来なければ、簡単に事故になってしまう。


 しかも、何時間も空を飛んだ後に、それをやらなければならない。

 休みなしでずっと集中力を維持するには、体力も精神力も必要だった。


 トイレなどは出撃前の食事や生活習慣を工夫したり、赤ん坊よろしくオムツを履いていったりすることでどうにかなったが、長時間飛行した後の疲労だけは、どんなに努力をしてもどうにもならなかった。


 僕たちが今乗っている機体は雷帝を倒すために作られた改造機で、代わりがない

 1度事故を起こしてしまえば、ただでさえ4機しかいないのに、それが3機になってしまう。

 それどこか、僕が乗っているベルランD改Ⅱは、たた1機しかなく、これを失ってしまえば雷帝に勝てる見込みは無いも同然になってしまうのだ。


 だが、改造機で出撃し始めてから3日目の出撃で、僕たちはチャンスを得ることができた。


 その日は天候の悪化が予想されており、フィエリテ市の上空に巨大な積乱雲ができて、激しい雨が降ると予想されていた。

 目下、水を巡って血みどろの戦いをくり広げている王立陸軍にとっては残念な、そして帝国軍にとっては嬉しい知らせだったが、僕たちにとっても悪くない知らせだった。


 何故なら、帝国の空中補給が行われる時間が、積乱雲の発生によって大きく絞り込まれるからだ。


 カイザー・エクスプレスは毎日の様に続けられていて、気象条件が許す限り、中止となったことが無い。

 これは、100機を超す輸送機を使用しても1日に補給できる物資がフィエリテ市の20万名もの将兵のためには不十分なものでしかなく、空中補給が止まればもう、その日は何の食事にもありつけないというほど、帝国軍が困窮し切っているからだ。


 こんな状態にまでなってもまだ降伏しないことには驚かされるばかりだったが、僕たちはあと1歩で帝国軍を屈伏させられるところまで彼らを追い詰めている。


 次の出撃では、きっと、帝国軍の空中補給を捕捉することができる。

 それは、僕の中に生まれた予感であり、藁(わら)にもすがるような祈りだった。

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