20-15「夢は夢のままに」

 もし、僕がパイロットになっていなかったら。


 僕は学校を卒業すると、そのまま牧場で暮らし、そして、徴兵されて、王立陸軍の歩兵部隊などに配属されて、どこかの戦場で戦っていたかもしれない。

 そうして、僕は空がどんな場所かも知らないまま、ただ、そこはどんな世界なのだろうと、憧(あこが)れを抱き続けていただろう。


 しかし、現実の僕は、戦闘機に乗り、この、美しくも危険な空を飛んでいる。

 毎日、王国の命運を背負って飛び、誰かの死を目の当たりにしながら、自分自身もそうなるかもしれないという恐怖を腹の底に飲み込んだまま、戦っている。


 そうして見続けてきた人間の死に、僕の感覚はすっかり麻痺(まひ)してしまった。


 僕は今、カルロス曹長の死を目の当たりにしても、涙1つ流さない人間になってしまった。


 こんなことなら、空なんて、目指すのではなかった。

 憧(あこが)れは、憧(あこが)れのまま。

夢は、夢のまま。

 それを手にしたいと空を見上げ、そして、手が届くことは無いと諦(あきら)め、それでも、内心では諦(あきら)めきれずに空を見上げている。


 そんな生き方をしていた方が、ずっと、楽だったのではないだろうか。


 夢を見ている間は、僕は、空の本当の姿を知らずにいることができた。

 ただ、純粋に。憧(あこが)れるだけでいられた。

 そして、現実を知らずに、夢だけを見ていられたなら、僕はきっと、幸せだっただろう。


 空は僕が思い描いていたのよりもずっと美しく、素晴らしい世界だったが、同時に、残酷な世界でもあった。


 僕たちパイロットは、ただ空を飛ぶだけではなく、そこで戦い、死んでいく。


 戦争の中で、それが、当たり前になっていく。


 僕は、こんな自分になりたくて、パイロットを目指したわけでは無かった。

 あの日、僕の牧場に偶然舞い降りた冒険飛行家たちの様に、まだ見たことの無い世界を、この惑星(ほし)の隅々までを目にする。

 そんな、冒険をしたかったのだ。


 だが、結局、僕は戦争という枠組みの中にとらわれている。

 僕は自由に空を飛ぶことができるのに、実際には、牢獄(ろうごく)の中にいる様なものだった。


 戦って、命を奪い合って。

 僕は、いつの間にか、人の死に何とも思わなくなり、そして、その命の奪い合いに、喜びを見出してさえいる。


 僕は、いったい、どうしてしまったのだろう。

 まるで、得体の知れない、怪物になってしまったかのような気持ちだった。


 僕は、自分自身が、怖くて仕方がなかった。

 例え王国に平和を取り戻すことができたとしても、その平穏な世界を、僕は生きていくことができないのではないか。

 戦争の中で、人間らしい感覚を失いつつある僕は、平和に耐えられないのではないか。

 そんな不安が頭をよぎって、離れない。


「ミーレス。あなた、大丈夫? 」


 うつむいていた顔を上げると、そこには、ライカの姿があった。


 僕の顔を心配そうにのぞき込んでいる彼女の目元が、少し赤くなっている。

 きっと、カルロス曹長のために、彼女は泣いていたのだろう。

 もしかすると今までも泣いていて、僕の姿を見つけて、慌てて涙をぬぐったばかりなのかもしれなかった。


 僕は、その時、彼女がとても遠い存在に思えた。


 元々、僕とライカは大きな違いを持っている。

 ライカは、詳細は知らないが、王国のかつての貴族階級の出身で、それも、かなり高貴な家柄だった。彼女は家柄より自分を見て欲しいと言い、その言葉通り、出自などまるではなにかけず、目の前の物事にいつも一生懸命に、僕たちと一緒に頑張って来た。

 彼女はこの戦争の中でもその純粋な感情を失わず、誰かの死を悲しむ、人間らしい感情を失っていない。


 ライカは、強いのだなと思う。


 僕は、片田舎の牧場の長男として生まれた、貧乏人に過ぎなかった。

 僕の父さんは現役だったころ、当時はまだ王国にも存在していた騎兵隊の将校だったということだが、今は1人の農民に過ぎず、僕の家には家柄と呼べるようなものは何も無い。

 そして僕は、戦争の中ですっかり打ちのめされて、人の死を悲しむという、ごく当たり前の感覚さえ麻痺(まひ)し、それどころか、戦いの中で喜びを見出すまでになってしまった。


 僕は、弱い。

 戦争という状況の中で、自身の心を破壊されないために感情を麻痺(まひ)させ、徐々に狂い始めている。


 僕には、ライカは遠く、眩(まぶ)しい存在に思えた。


 だからこそ、僕は、彼女に本当の自分を見せることはできない。


「大丈夫って、何が? 」

「何が、って……。だって、あなた、泣いているみたいだった」


 取り繕った僕の言葉に、ライカから返って来たのは、意外な言葉だった。


 僕は、涙1つ、こぼしていない。

 それなのに、ライカは僕が泣いている様に見えたというのだ。


「僕が? ……でも、僕は、涙なんか流していないじゃないか」

「うん。でも、ミーレス、すごい顔してる。何だか、もう、何もかもに耐えられないって、そういう顔をしているじゃないの」


 僕は、驚きのあまり、ライカの顔をまじまじと見つめてしまった。

 そんな僕の、恐らくは鬼気迫る様な視線を避ける様に、ライカはそっぽを向く。


「その……、あんまり、見ないで? 私も、多分、酷い顔をしてるだろうし」


 確かに、ライカも酷い顔をしていた。

 目元は泣き腫(は)らして赤くなっていたし、髪の毛も、最近の忙しさから十分に手入れができていないのか、癖(くせ)っ毛がいつもよりも激しくなっている。


「あ、ご、ごめん」

「んーん、ま、お互い様だから。……そこ、座ってもいーい? 」


 僕はライカから視線を逸(そ)らした後、彼女からそう言われて、慌てて「どうぞ」と手で指し示した。

 それから、座っていた倒木の上を少しだけ移動して、枝の出ていない座りやすい場所をライカに譲(ゆず)り、そこを軽く手ではらって綺麗にする。


 ライカは「ありがと」と言うと、僕が作った席に座ろうとした。


「うわっ!? 」

「あ、あぶないっ! 」


 だが、地面にあったきの根っこにライカは気がつかなかった様だ。

 僕は左足をひっかけて転びそうになった彼女を、慌てて立ち上がって抱き留めた。


「えへへ、ありがとう、ミーレス」

「どういたしまして。ライカ、大丈夫? 」

「んーっと、……うん、私は、大丈夫だから」


 ライカはそう言うと僕から離れて、一度後ろを振り返り、転ぶ原因になった木の根っこを、何度か確認する様に右足で軽く触っていた。


 それから、僕たちは倒木の上に腰かけると、池で楽しそうに仲間たちと遊んでいるブロンの姿を一緒になって眺めた。

 彼はいつでも幸せそうだったが、今は彼女まで作って、本当に嬉しそうに池を泳いでいる。


「ブロンは、元気ねー。ちょっと羨(うらや)ましいかも」


 そんな彼の姿を眺めて、ライカも僕と同じ様な感想を持ったらしかった。


 それから、彼女は身体を捻(ひね)って僕の方へと顔を向け、僕の顔を覗(のぞ)き込む様に首を傾げた。

 顔を、というよりも、何だか、僕の心の奥底を見透かそうとしているかのようだった。


「それで、ミーレス。あなたは、どうしてそんなに辛そうにしていたの? 」


 僕は、思わず彼女から視線を逸らした。


 ライカだって辛いはずだったし、そんな彼女に、僕の悩みまで負担してもらうのは心苦しいものがあった。

 それに、僕の悩みを打ち明けて、彼女に嫌われでもしてしまったらと思うと、不安でたまらない気持ちになる。


「何よ? 分隊長の私に言えないの? 」


 ライカはそんな僕の態度に少し不機嫌そうな態度になると、顔を正面へと向け、目をつむりながら何かを思い出す様に言う。


「何だか寂しいわ。それに、ミーレス、あなた、もう私を心配させないって約束したのに、雷帝と戦っている時、また、無茶をしたわね? 体当たりをしようとしたでしょ」

「あれはっ。……弾切れになって、他にやり様がなかったんだ」


 僕の控えめな抗議に、ライカはそっぽを向いた。


「分かっているわよ。……あなたに助けられたっていうことくらい。いつも、助けられてばかりだっていうことくらい。お礼を言わなくちゃいけないって、分かってはいるけど、けど、やっぱりああいうのは、嬉しくないよ」


 それから、ライカは小さな声で言う。


「私だって、あなたのこと、いつも心配しているんだから」


 僕は、そう言われて、困ってしまった。

 ライカに心配してもらえていることは嬉しかったのだが、何だか、隠し事をしているのが気まずくなってしまったからだ。


 僕は、少し迷った後、結局、ライカに全て話してみることにした。

 やはり、僕はライカにはかなわない様だ。

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