20-16「それでも」

 僕は、自分の言葉で、精一杯、ライカに自分の気持ちを説明した。

 僕はこういうのはいつでも得意では無かったから、正しく彼女に伝わったかどうか、自信はまるで無い。


 それでも、ライカは僕の話を黙って、真剣に聞いてくれた。


 何かで悩んでいる時、解決策は何も思い浮かばないまでも、こうやって真剣に話を聞いてもらえるということは、嬉しいことだった。

 少なくとも、僕自身のことに無関心ではなく、一緒に悩んでくれる誰かがいる、そのことを知ることができるからだ。


「ふぅん。……ミーレス、あなた、意外と難しそうなことで悩んでいたのね」


 僕の説明を聞き終えた後、ライカはそう言った。


「私、あなたは空を飛べれば満足な、空しか見ていない人なのかと思っていたわ」

「それは、酷くないかい? 」


 ライカの言葉に、僕は思わず抗議していた。


 確かに、僕は空が好きだった。

 僕は空を飛びたいという目標のためにパイロットになり、厳しい訓練をこなして、その資格をやっとの思いで手にしたのだ。


 だが、それだけしか考えていないと言われるのは、心外だった。


「冗談よ、ジョーダン」


 僕の抗議に、ライカは少しだけ笑いながらそう言った。

 どうやら、僕は彼女にからかわれたらしい。


「……うーん、そうねぇ……。私が思うに、ミーレス、あなたは別におかしくなってなんかいないわよ」


 それから、少し考え込んだ後、彼女は僕にそう言った。


「だって、本当におかしくなっちゃっていたのなら、カルロス曹長のために泣けない自分が変だって、そんな風に悩んで、自分を責めたりなんかしないはずだもの」

「そう……、なのかな? 」

「そうよ。あなたは涙が出ていないだけで、本当は、泣いているのよ」


 ライカはそう断言してくれたが、僕はすぐには納得することができなかった。


 例え涙を流すことができなくても、そのことで悩んでいる僕は、カルロス曹長の死を悲しむべきものとして捉えて、そして、本当に悲しんでいるのかもしれない。

 だが、雷帝とのことは?

 僕は、彼との生死を賭けた戦いを、あの時、あの瞬間、確かに喜ばしいものだと思っていた。

 己の全力を出し切って、戦う。その極限の状態に僕は喜びを感じ、その瞬間が永遠に続けばいいのにと、そう思っていた。


「確かに、私は戦っていてそんな風に思ったことは無いけど……。でもね、ミーレス。私もね、あの時、あなたと、雷帝が戦っているのを、ずっと、見ていたい。そんな風に思ったのよ」


 ライカは、少し迷った様にそう言った。


「もちろん、ミーレスがやられちゃうかも、って思ったら、すごく嫌だったけれど。……でもね、何て言うか、あれは、綺麗だったの」


 ライカは空を見上げると、僕と雷帝が戦っていた時の光景を、彼女なりの言葉で教えてくれた。


「私でも、よく分からないわ。戦っている光景が、綺麗だなんて。だけど、私は確かにあの時、あなたと雷帝の戦いに見とれてしまっていたの。あなたと雷帝が、お互いに入れ替わりながら、踊っているみたいに戦っていて。私は、どうしても、そこから目が離せなかったの。……私も、できれば、一緒になって飛んでみたかった」


 立場は違っていたが、ライカもどうやら、僕と同じ様な感覚を持っていた様だった。

 僕は、そのことに意外でもあり、同時に、僕自身の悩みを解決する糸口になるのではないかと思って、彼女の次の言葉を黙って待った。


「戦っている時にそう思うのって、おかしいって、私もそう思うんだけど、だけど、私もあんな風に飛べたらって、そう思った。ミーレスも、雷帝も、本当に自由に、この空を自分たちだけのものにしてしまった様に、そんな風に飛んでいたから」


 それから、ライカは僕の方に顔を向け直すと、微笑んだ。


「きっと、私たちも、雷帝も、一緒なのよ。……空が、好きなの。好きだから、いつまでも飛んでいたい、そう思っちゃうのよ、きっと」


 空が、好き。

 それは、僕にとっては、空を目指すきっかけになった感情だった。


 僕は、パイロットになったことを後悔し始めていた。

 夢は、夢のまま。手に届かないものとして諦(あきら)めて、何もしなければ、ずっと、無邪気に憧(あこが)れていることができたのに。

 そう思い始めていた。


 だが、もし、僕がパイロットにならなければ。

 僕は、空の美しさも、そこから見下ろす世界の素晴らしさも、そして、その危険も、知ることは無かっただろう。


 そして、ライカの様な、素晴らしい仲間たちとも出会うことは無かっただろう。


 過去に戻って、全てを忘れて、もう一度やり直せたら。

 そう思い始めるとキリがなかったが、僕たちは誰も、そんな都合のいい魔法を使うことはできない。


 どんなに辛くても、嫌なことでも、その中で生きていくしかない。

 苦しみながら、あがくしかない。

 何もしなければ、何も起こらないで済むが、それでは、僕はつまらない。


 ライカに言われて、僕は、もう一度、そして以前よりもはっきりと自覚した。


 僕は、空が好きだ。


 どこまでも広がる、美しい世界。

 風と、光が作り出す、地上からでは決して目にすることができない光景。


 僕は、その中を自由に飛び、そこでしか見られないものを、この目に焼きつけて来た。

 それは、パイロットになった者だけの特権だった。


 他の、どんな人生を生きても、絶対に見ることのできなかったものを見て、僕は、空をこの手にしっかりと手にしている。

 僕が、僕自身が選んで来たことの結果が今であり、僕は、僕自身の選んだ今を生きている。


 やって後悔するより、やらないで後悔する方が良い。

 そういう考え方もあったが、僕は、どうしても、そう思うことはできなかった。


 人間は、誰もが、いつかは死ぬことになる。

 それは生物にとっては必ず用意されている結末であり、僕の人生、僕だけの物語に用意されている終幕だ。


 あの時、ああしていればよかった。

 こうなっているはずだった。

 きっと、僕はこれからも後悔し、悔やみ続けるのに違いない。


 だが、何もしないでくすぶっているだけでは、つまらない。


 少なくとも、僕はそうやって選択して、手にしたいと思ったものを手にすることができた。

 そこは、僕が思っていたような素晴らしいだけの世界ではなく、辛く、苦しいものだったが、もし、僕が何もせずに諦(あきら)めてしまっていたら、僕は何も知らないままだった。


「今は、戦争をしているから、命の奪い合いをしているから、素直に飛ぶことを楽しいって、そう思えないのよ。……だけど、平和になったら、きっとまた、ただ、空を飛ぶことが楽しいって、そう思えるはず。私は、そう信じているわ」


 ライカはそう言うと、僕に左手の小指を差し出した。


「だから、一緒に、この戦争を終わらせましょうよ。……そうしたら、また、平和になった空を自由に飛ぶの。みんなで楽しく、ね! 」


 僕は、ライカにそう言われて、平和になった空を、はっきりと想像した。

 そして、その美しい世界を、自由に、どこまでも、僕の大切な仲間たちと一緒に飛んでいきたい。

 そう思った。


 僕たちは、カルロス曹長を失ってしまった。

 曹長は、その最後の瞬間まで、王国に平和を取り戻すことを願っていた。


 いったい、何人の魂が、思いが、この空を漂っているのだろう?


 僕は、きっと、この空に平和をもたらして見せる。

 あの、雷帝と戦うことになったとしても。


 そして、死んでしまった多くの人々の魂を翼に乗せて、もう一度、平和になった空を、仲間たちと一緒に飛ぶのだ。

 パイロットは誰でも、きっと、空が大好きなはずだから。


「……ありがとう、ライカ」


 僕はそう言うと、僕の右手の小指を差し出して、ライカの小指と重ね合わせた。

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