20―14「後悔」

 雷帝を、どうやって倒すか。

 帝国軍による空中補給、カイザー・エクスプレスを阻止するために集められた僕たちにとって、その1点が、最大の課題となりつつあった。


 僕たちは、少しずつだが、成果をあげている。

 帝国軍の護衛機を抑え、少しずつ、少しずつ、輸送機を撃墜し、帝国軍が今以上に大規模に空中補給を実施することを阻止し続けている。


 だが、カイザー・エクスプレスを完全に停止させ、フィエリテ市で抵抗を続ける帝国軍の戦意を砕き、降伏させるという最終目標には届いていない。


 雷帝を倒し、彼の妨害を排除して僕たちの全力を帝国の空中補給部隊に叩きつけることができない限り、僕たちに勝利は無いのだ。


 寝ても覚めても、あの、黒い戦闘機の姿が浮かんでくる。

 誰にも真似することのできない、空のことを知り尽くした、雷帝の飛び方。

 たった1機で僕たち7機を翻弄(ほんろう)し、僕たちからカルロス曹長を奪い、実質的に301Aを壊滅させた、この空の支配者の姿。


 僕は、雷帝とどうやって戦うか、そればかりを考えている。


 だが、何のために?


 自分のためではないのか。

 僕は、王国の平和のために、仲間のためにと、もっともらしい理屈をつけて、戦闘機に乗ってこの空を飛ぶことを、ただ楽しんでいる。

 自分はそんな人間になってしまったのではないか。


 雷帝の飛び方を自分なりに分析し、どう対応するか、どうすれば勝てるかを考え、そして、自己嫌悪に陥(おちい)る。

 そんなことのくり返しだった。


 誰かに、「お前は間違いなくお前だ」と言ってもらうことができれば、どんなに気分が楽になっただろうか。

 だが、誰にも、こんな悩みは打ち明けられない。


 レイチェル大尉は相変わらず忙しそうだったし、ハットン中佐は良い人だったが階級が離れ過ぎている上に忙しくて余裕がない。僕の個人的なことなど聞くことはできない。

 アリシアは僕の妹だし個人的なことでも話せる相手だったが、こんなことを聞いて心配されるのは嫌だった。


 頼りになるはずの僕の仲間たちも、今はそれぞれのことで手一杯だろう。

 ジャックもアビゲイルも負傷しており大変そうだったし、ライカはカルロス曹長を失ったことだけでもいっぱいの様だった。

 カイザーは機体の修理で忙しく働いているし、エルザも同じだ。

 他に比較的親しい人たちとしては、クラリス中尉やアラン伍長がいるが、その2人もハットン中佐の手伝いで忙しく、とても僕の悩みを聞いている様な余裕は無かった。


 僕は、こんな人間なんだと、割り切ってしまえれば簡単だった。

 戦友であり、恩人でもあった人の死を悲しむことすらできず、それどころか、その仇であるはずの人物と空を飛ぶことを楽しみにする様な、心の狂ってしまった人間だと、そう思えれば楽だった。


 僕はそんな人間では無かったはずだし、そんな人間にはなりたくなかった。

 だが、いくらそう思ったところで、実際の僕自身は、すでにそうなってしまっている様に思えてならなかった。


 大義を隠れ蓑(みの)にして、自分自身の欲求を追い求める口実にしている。

 僕は、自分がそうなってしまったのではないかと思えて、恐ろしかった。


 空で戦い、誰かが死んでいく。

 僕はただ、仲間たちと一緒に生きのびるためだと思って戦ってきたが、この手でいくつもの命を奪ってきたことは、言い逃れのしようのない事実だった。


 平和のため。王国の人々のため。仲間のため。

 そういう理由は、実は表向きで、僕は、戦いの結果に起きる犠牲を、実際には自ら求め、そして楽しんでさえいたのではないか。


 僕は、自分がそんな存在に思えて、恐ろしかった。


 だが、誰にもそんなことは言えない。

 言っても分かってもらえない様な気がするし、僕がそういう気の狂った人間だと思って、嫌われてしまうのは嫌だった。


 結局、こんな時に行きつける先は、動物しかいない。


 アヒルのブロンは僕たちのマスコットで、今ではすっかり部隊の一員となっている。

 僕はアヒルがどんな気持ちで鳴くのか分からないし、アヒルも人間の言葉などは分からないだろう。

 だから、ブロンが僕の悩みを理解してくれることは無い。


 その分、気が楽だった。

 どうせ何を言っても分かりはしないし、例え理解できるのだとしても、僕はブロンが何を言っても理解できない。

 通じないと分かっている分、割り切れる。


 それでも、ブロンを見ていると、少しだけだが心が落ち着く様な気がした。


 ブロンは、動物だけは、変わらない。

 彼は最初に出会った時と変わらず、のんきでお気楽で、食いしん坊なアヒルに過ぎず、僕たちがこの戦争という状況から抜け出すために必死に努力を続けているのをわき目に、クワッ、クワッ、と楽しそうに鳴きながら散歩をしている。


 鷹の巣穴は廃鉱山を利用して建設された巨大な航空基地だったが、廃坑になってから時間が経っている場所も多く、自然豊かな場所でもあった。

 周囲には雑木林や草原が広がり、湧水によってできた池まである。


 最近のブロンのお気に入りは、近くの池で泳ぐことだった。

 アヒルは元々水辺で暮らすのが好きな生き物だから、彼は本当に楽しそうに池を泳ぎ回っている。


 池には彼と同類のアヒルの仲間たちもいる様で、何と、ブロンには彼女までできた様だった。

 アリシアが厳しく監督してブロンにダイエットをさせ、ぶくぶく太った醜く怠惰なアヒルから、ぎゅっと引き締まった精悍なアヒルに生まれ変わった成果なのだろうか。


 彼は、本当に幸せそうに生きている。


 彼の周囲には、まるで、戦争なんて存在していないかのようだった。

 僕はアヒルになりたいとは思ったことが無かったが、ブロンの自由な生き方は、本当に羨(うらや)ましいと思える。


 もっとも、全ての動物が戦争と無縁でいられるわけでは無かった。

 戦闘に巻き込まれて住処を失ってしまった動物だっているだろうし、馬の様に、積極的に戦争のために利用される生き物だっている。


 例えば、僕にとっては兄弟の様な存在だったたくましい軍馬、ゲイルは、僕を生かすためにその命を失ってしまった。

 僕はどうにか彼の埋葬だけは済ませてきたが、戦争さえ無ければ、すでに現役を引退していた彼は、僕たちの牧場で楽しく老後を過ごすことができたはずだった。


 戦争は、憎むべきもののはずだった。

 それは僕や王国の多くの人々から故郷を奪い、都市を破壊し、日常を消し去ってしまった。


 それなのに、僕は、その戦争の中に、やりがいや、充足感を見出してしまっている。


 やはり、僕は、おかしくなってしまったのではないだろうか。

 かつての自分にとって、憎むべき、嫌悪するべきはずだった存在へと成り下がってしまったのではないだろうか。


 空を見上げると、そこには、夏を迎えつつある王国の真っ青な空が広がっている。

 僕がかつて無邪気に憧(あこが)れ、そして、無我夢中で手にした世界。

 それは、美しい場所だ。


 僕の様に、戦いに喜ぶような人間がいていい様な場所ではないと、そう思えた。


 僕は、いったい、どうしたらいいのだろう。

 本当の僕は、どこに行ってしまったのだろう。

 僕はまだ、僕自身でいることができているのだろうか。


 ブロンは、いつもの様に、自由気ままに、戦争のことなど知らん顔して、楽しそうにクワッ、クワッ、と鳴いている。

 そして、時折翼を広げて、彼には飛ぶことができない空を見上げ、「そこはどんな世界なのだろう」と、夢と希望に瞳を輝かせている。


 かつての僕は、きっと、ブロンと同じ様に空を見上げていたのだろう。

 だが、その憧(あこが)れの世界を手にした僕は、戦争という状況の中ですっかりと変わってしまった様に思える。


 僕は、欲しかったものを手に入れたはずなのに、代わりに、大事なものを失ってしまったのではないだろうか。


 空なんて、目指すのではなかった。

 僕は、ブロンを眺めながら、そう後悔していた。

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