20-13「葬儀」

 僕を救ってくれたのは、ナタリアだった。

 被弾し、雲の中へと逃げ込んだはずの彼女は、仲間を、僕たちを救うために戻ってきて、僕を撃墜しようとしていた雷帝を撃ちまくった。


 その攻撃は雷帝にかわされて命中しなかったが、それでも、彼を僕から引き離すのには十分なものだった。


 雷帝はナタリアからの攻撃をかわすと、そのまま、戦場を離脱していった。

 僕はそれを、真っ白になった頭で、呆然と見送る。


 彼が僕を見逃すのは、これで、3度目だ。


 これまでの2回は、僕は彼に、雷帝にとって倒すべき価値のある存在とみなされなかったから、彼にとっての脅威としてみなされなかったから、生かされた。

 だが、今回は、どうして見逃されたのだろう?


 もしかすると、雷帝もまた、この瞬間を「惜しい」と感じたのかも知れなかった。

 僕がそう思った様に、自身の全力を尽くして戦うべき強敵との時間を、彼もまた、得難いものだと、そう思ったのではないだろうか。


 もっとも、それは僕の思い過ごしという可能性の方が大きい。

 燃料不足、弾薬切れなど、それらしい理由は他にいくらでもある。

 僕たちを無力化したことで、先に離脱していった僚機の安否を確認することを優先したのかもしれないし、この頃には帝国軍の輸送機部隊はフィエリテ市の上空を離れていたから、輸送機を守るという彼の任務が終わったということだったのかもしれない。


 雷帝は鋭く急降下すると、雲の影に隠れて、僕らの目の前から消えていった。


 雷帝と、帝国の輸送機部隊が空域から離脱し、僕たちの敵はこの空からいなくなった。

 僕は戦いの感触を忘れることができないまま、ぼんやりと飛んでいたが、ナタリアからの呼びかけで我に返り、基地に帰還するための針路を取った。


 この日の戦いは、僕たちの敗北だった。

 完敗だ。


 7機中、3機が撃墜され、基地へと帰りつくことができた機体は4機だった。

 僕とライカとナタリアの3機の他に、途中ではぐれてしまったジャックの機体が、どうにか基地にたどり着くことができたのだ。


 だが、帰還できた4機も、満身創痍(まんしんそうい)だった。

 王国の生産力では十分な補充機が用意できず代わりの機体が不足していたから、整備班がその総力をあげて機体の修復作業に入ってくれたのだが、再飛行可能となるまでには最低でも3日、悪ければそれ以上かかってしまうということだった。


 それも、整備班がほとんど不眠不休で作業を行って、という条件でのことだ。

 普通にやっていれば、1週間以上はかかる様な作業をしなければ、僕たちは再び飛ぶことさえできなかった。


 基地まで帰りつくことのできた僕たち4人の他の2人、レイチェル大尉とアビゲイルは、雷帝との2回目の交戦があった日の翌々日に、鷹の巣穴に物資を運び込む貨物列車に便乗して基地へと帰って来た。

 レイチェル大尉は自身の機体をうまく不時着させ、無傷での帰還となったが、アビゲイルはパラシュート降下した時の着地に失敗して右足首と左手首をねんざし、包帯を巻いて杖を突いた姿での帰還だった。


 301Aの負傷者は、アビゲイルだけでは無かった。

 ジャックも、被弾した時に破片が左肩に直撃し、裂傷と打撲を負って、包帯を巻いている。

 生還した6名の内、2人は負傷のために当分は戦列に復帰できない見込みだ。


 帝国軍が態勢を整え、本格的に反撃して来るまでの時間は、もう、あまり残ってはいない。

 その貴重な時期に、僕たち301Aは活動不能となるのと同時に、その戦力を実質的に半減させてしまった。


 カルロス曹長は、帰って来ることができなかった。

 雷帝との交戦があった翌日には、すでに曹長の機体の残骸が発見され、その操縦席から、曹長の遺体が救助隊によって回収されたのだ。


 曹長は、首の動脈に被弾した時の破片を受けて、出血多量で亡くなったらしい。

 雷帝に最後の射撃を行った時にはすでに死の直前で、カルロス曹長はそのまま意識を失い、そして、2度と目を覚ますことは無かった。


 カルロス曹長の遺体はフォルス市近くの遺体安置所へと送られ、そこで火葬されて、遺骨がその遺族へと送り届けられることになっている。


 戦時下における戦死者の扱いとしては、手厚いものだった。

 前線では毎日多くの死者が出ていて、そういった戦死者は前線近くにそのまま埋葬されるか、少し手が加えられても、前線後方の集団墓地へと埋葬されるだけだからだ。

 1人1人の身元を正確に確認し、火葬まで行って、遺族のもとに遺骨が届けられるのは、戦死者の内でも幸運だった一握りの者でしかない。

 死者の多くは、遺品が遺族に届けられるだけだ。


 死者を、まともに埋葬することさえできない。

 それが、戦争だ。


 出撃することのできなくなった僕たちは、カルロス曹長の死が知らされた後、レイチェル大尉とアビゲイルが部隊に帰還したその翌日に、部隊内でカルロス曹長の葬儀を行った。

 森の中に小さいが静かな空き地を見つけて祭壇(さいだん)を作り、蝋燭(ろうそく)に火を灯し、カルロス曹長の遺品を祭った。


 遺骨は遺族の元へ直接送り届けられることになっており、正式な葬儀はそちらで行われるはずだったが、僕らはカルロス曹長を送り出すために、この儀式を必要としていた。

 ハットン中佐が弔辞を読み上げ、続いてレイチェル大尉が曹長の勇敢さを証言し、グラス1杯のウイスキーを地面に注いで、曹長を弔った。


 僕は、うつむいたまま、顔を上げることができなかった。


 カルロス曹長は、亡くなった。


 僕は、ただ、「死んでしまったのか」と、空虚な思いだった。


 カルロス曹長の姿。

 曹長が僕たちにかけてくれた言葉。

 それらは全て、明瞭に思い出すことができるのに、僕はカルロス曹長の死に対して、涙1つ流せないでいる。


 悲しいという気持ちが、生まれてこないからだった。


 僕たちは、戦争の中でたくさんの死を見て来た。

 戦場で、たくさんの兵士が倒れ、そして、僕たちはたくさんの兵士を倒して来た。


 戦争という日々の中では、死は、いつでもそこにあった。


 誰かが死ぬのは、当たり前のことだ。

 人間には寿命というものがあって、そうでなくても、事故や、病気などで死ぬ。

 ましてや、戦場で戦うのだから、傷つき、命を失うのは、当然のことだった。


 そんな日常の中に長く身を置いたせいで、僕の心はいつの間にか、すっかり麻痺(まひ)してしまっている様だ。

 麻痺(まひ)してしまわなければ、とても耐えられないからだ。

 だから、僕の心はカルロス曹長の死に対して、空虚でいる。


 曹長の死があまりにも突然で、まだ受け入れられないというのもあるのかも知れなかったが、それでも、自分はおかしくなってしまったのだと思う。

 僕は、カルロス曹長の死に、悲しみらしい感情を持てなくなってしまったことが恐ろしかった。


 怖いと思うことは、他にもある。

 あの戦いの中での一瞬、僕が雷帝と戦うことに喜びを覚えていたことだ。


 雷帝の、あの飛び方。

 誰にも真似することができない、唯一無二の飛行。


 絶対的な存在であり、たった1機で帝国の戦線を支え、この空を支配している彼と、己の死力を尽くして戦う。

 そこには、今までに味わったことのない充足感があった。


 だが、その結果に待っているのは、言うまでも無く、死だ。


 戦争という日常の先に待っている結末に僕の心は麻痺(まひ)して、そして、危険であるはずの戦いの中に、喜びを見出す様になっている。

 雷帝は、僕にとってはマードック曹長の仇であり、今、カルロス曹長の仇ともなったはずなのに、僕はもう1度、雷帝と共に死力を尽くして飛ぶことを考えている。


 僕は、本当に、僕自身なのだろうかと思う。


 僕はこれまで、仲間のため、王国に平和を取り戻すために戦っているのだと、そう思ってきた。

 それは、嘘偽りのない、僕の確かな気持ちだったはずだ。

 この大切な仲間を守るためにこそ、僕は、危険な戦いからも逃げ出さなかった。


 だが、僕は、変わってしまったのではないだろうか。

 命を賭けた戦いの中に喜びを見出してしまった僕は、もう、かつての自分とは別人になってしまったのではないだろうか。


 僕は、カルロス曹長と一緒に、約束した。

 雷帝と戦い、彼を倒して、この戦争を終わらせると。

 王国に、平和を取り戻すのだと。


 だが、例え王国が再び平和になったのだとしても、僕は、かつての僕の様に、その穏やかな時を生きることができるのだろうか。


 こんな、戦争の中に喜びと充足感を見出してしまう様な人間に、平和な時代を生きる資格があるのだろうか。


 カルロス曹長は、王国に、自分自身の手で平和を取り戻すのだと決意していた。

 曹長はそのために自らの全てを賭けて戦いに臨み、そして、その全てを失った。


 曹長の遺族は、老齢の、ご両親がいるだけだそうだ。

 これから、曹長の遺骨と遺品が、戦火で故郷を追われ、苦しい避難生活を送っている老夫婦の元へと届けられる。


 いったい、どれだけの悲しみが生まれることだろうか。

 生まれた順番であれば、自分たちよりもずっと遅く逝くはずだった息子の死を知らされることになる老夫婦は、これから何を思い、どんな時を過ごすことになるのだろうか。


 辛い日々になるのに違いなかった。


 だが、僕にはそれが分かるのに、涙の1つも出て来ない。


 こんな僕に、生きる資格などあるのだろうか。

 カルロス曹長の様に、王国に平和を取り戻すために戦うことができるのだろうか。


 戦闘の中に喜びを見出す様な僕が、カルロス曹長の遺志を継ぐことなど、許されるのだろうか。


 僕たちは全ての儀式を終えると、カルロス曹長の遺品を、残されるご両親へと送り届けるために木箱の中に箱詰めしていった。

 1つずつ、丁寧に。


 その作業を続ける間、僕の手は、ずっと震えていた。

 それは、カルロス曹長を失ったことによる、悲しみから来る震えでは無かった。


 僕は、カルロス曹長の死を前にして、涙1つこぼさない自分自身が、気がつかない内に別人になってしまった自分が、怖くて仕方がなかった。

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