20-11「勝者」

 僕たちが雷帝を射程に捉えようとした時、不思議なことが起こった。


 僕たちの機体が急に減速して、雷帝との間が急に開いたのだ。


 実際には、それは僕の錯覚だった。

 急上昇によってベルランが減速しつつあることは確かだったが、速度計が示す数値の減り方は常識の範囲内でしか無かったし、機体が急に減速したということでは無かった。


 雷帝が、加速したのだ。


 だが、どうやって?

 この世界には重力というものが常に働いていて、上昇しようとすれば減速するというのは、普遍の法則であるはずだった。


 雷帝は、その制約から解き放たれたかのように天高く舞い上がって行った。


 僕は何が起こっているのかを理解できず、戸惑いながらも、彼を懸命に追った。

 これは、僕たちがようやく手にしたチャンスだ。

 カルロス曹長がその身を危険にさらして、やっと作り出したチャンスなのだ。


 こんなところで、雷帝を逃がすわけにはいかなかった。


 だが、雷帝はまるですべてを超越した存在であるかのように振る舞った。

 上昇を開始した時、彼は僕たちとほとんど変わらない速度しか持っていなかったはずなのに、彼は僕たちの遥か先に行ってしまった。


 重力など、存在していないかの様に。


 そんなことは、あり得ない。

 そう頭では理解していたが、雷帝の飛び方は、本物の魔法の様だった。


 やがて、僕は理解することができた。

 雷帝は魔法などではなく、彼のやったことには種も仕掛けもある。


 彼は、雲の近くで吹き荒れている気流を利用したのだ。

 今日吹いている風は不規則に乱れたものだったが、よく観察してみると、局所的には一定の法則もあることが分かって来る。


 雷帝が突っ込もうとした雲は、風に吹かれてうごめいていた。

 その風は、強い上昇気流だ。

 雷帝は雲の近くを吹いている上昇気流のことを分かっていて、雲の中に突っ込むほどに接近し、その風を捉えて上昇力に変えたのだ。


 だが、トリックが分かったからと言って、僕にはどうすることもできなかった。

 僕たちは雷帝を必死になって追いかけたが、急上昇したせいで速度を失い、もう少しで失速する様な状態になっている。


 これ以上無理に雷帝を追いかければ、僕たちの機体は失速して、操縦不能となってしまう。

 そうなれば、僕たちは自分の機体の制御を失い、最悪事故につながる可能性もあるし、何より、敵機からの攻撃を避けることができなくなる。


《くそっ! 全機、追撃止め! 機体が失速する、機首を下げて速度を回復しろ! 》


 このまま追いかけていっても雷帝には追いつけないだろうし、何よりも、失速して機体の制御を失うわけにはいかなかった。

 僕は悔しかったが、レイチェル大尉の指示に従い、機首を下げて降下に入る。


 だが、1機だけ、その指示に従わない機体があった。


《おい!? カルロス! 引き返せ! 》

《いいえ、それはできません! 大尉! 》


 驚いた様なレイチェル大尉の声に、カルロス曹長は迷いのない口調で言った。


《これは、チャンスなんです! たった1つしかないかもしれない、雷帝を倒せる、この戦争を終わらせる、チャンスなんです! 》

《このっ! 大馬鹿野郎がぁっ! 》


 レイチェル大尉の怒鳴り声が、無線機越しに轟(とどろ)いて、その迫力に僕は思わず首をすくめた。


 だが、カルロス曹長は、それでも引き返そうとしない。

 遠く、空高く駆け上って行った雷帝に何とか食らいつこうと、喘(あえ)ぐように上昇していく。


 危険な状態だった。

 今すぐに援護しに行くべきだったが、僕たちは失速寸前の速度で降下に転じたばかりであり、今からもう一度機首を上げようとしてもその動きは鈍く、緩慢にならざるを得ない。


《くそっ! 曹長を援護する、ナタリア、来い! 》

《了解ネ、大尉サン! 》

《他の機は速度をつけ直してから援護しろ! 速度のない機体が束になってかかっても全滅させられるだけだ! いいな!? 》

》》


 レイチェル大尉とナタリアは動きの鈍った機体でカルロス曹長を援護するために上昇に転じ、僕たちはそのまま降下を続けた。

 大尉たちがカルロス曹長を救い出せたとしても、その速度は失われたままで、危険な状態が続く。その窮地(きゅうち)を抜け出すためには速度を回復して機体の俊敏(しゅんびん)さを取り戻した僕たちが必要だった。


 理屈では理解できる。

 だが、本当にこれでいいのかと、僕の心はざわついた。


 そして、その瞬間は、僕の記憶に生涯、刻み込まれることになった。


 レイチェル大尉とナタリアの機体が再上昇に転じたが、失速しそうな状態では満足に上昇できるはずも無く、孤立したカルロス曹長と合流することは絶望的だった。


 カルロス曹長の機体は、まるで、空で溺(おぼ)れている様だ。

 雷帝という、王国の平和を取り戻すための最大の障害へと向かって何とか食らいつこうとし、必死にもがいて、あがいている。


 僕には、祈ることしかできなかった。

 神様と、ありとあらゆる聖人、そしてマードック曹長に、カルロス曹長を救ってくれる様に祈った。


 だが、僕の祈りは届かなかった。


 雷帝は上昇気流によって天高く押し上げられた後、僕たちが速度を失って降下に転じたのを見て、素早く機首をこちらへと向けていた。

 それは、僕たちを攻撃するための行動以外の何ものでもない。


 雷帝の機体は、上昇気流を利用したことで、僕たちの機体の様に速度を失ってはいなかった。

 だから、その動きには鋭さがあり、空中であがいている様な状態のカルロス曹長の機体を照準に捉えることは簡単だった。


 発砲の光が瞬き、無数の曳光弾がカルロス曹長の機体を押し包む。

 エンジン、主翼、胴体、尾翼。機体の表面に次々と弾丸が突き刺さり、空中に破片が舞って、曹長の機体は炎に包まれた。


 だが、曹長は諦(あきら)めなかった。

 雷帝を倒すことで、この戦争を終わらせる。

 そのために、曹長はその全てを捧げるつもりでいる様だった。


 炎に包まれながら、カルロス曹長の機体は操縦によく応え、緩慢な動きながらも雷帝へと機首を向けることができた。

 そして、ベルランの5門の20ミリ機関砲が咆哮(ほうこう)した。


 それは、しかし、雷帝へ届くことは無い。

 未だに速度を有し、十分な運動性を発揮する雷帝の機体は、カルロス曹長が放った攻撃を軽々とかわしてしまった。


《カルロス! 脱出しろ! カルロス! 》


 レイチェル大尉の、大尉らしくない悲鳴の様な叫び声。

 その声がカルロス曹長に届いていたのかどうか、僕には分からない。


 やがて、カルロス曹長の機体は完全に失速すると、重い機首が自然に下を向いて、垂直に降下し始めた。

 機体に燃え広がった炎は熱感知式の自動消火装置が作動したことで消し止められたが、カルロス曹長がどうなったのかは、黒煙に包まれていてよく見えない。


 カルロス曹長の機体は、そのまま真っ直ぐに墜ちていった。

 その機体は被弾によるダメージからか徐々に空中分解しながら眼下にあった雲へと突っ込み、見えなくなった。


 僕はその光景から一瞬も目を離さなかったが、カルロス曹長が操縦席から脱出する様子も、真っ白なパラシュートが開くところも、確認することができなかった。

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