20-7「決意」前編

 久しぶりに、王国北部の天候が荒れた。

 強い風が吹き、雲が出て、大粒の雨がザーザーと激しく降っている。

 少しの間雨が止むこともあったが、それでもまたすぐに降り出して、地面は乾くことなく、すっかり水浸しになっている。


 嵐が来ていた。


 こんな天候だから、僕たちは出撃することができなかった。

 飛行すること自体が危険となる様な気象条件だったし、無理に出撃したとしてもこの天候では敵機を発見することなどできないだろう。


 それに、飛行場の状態も悪かった。

 砕石を利用したマカダム舗装の滑走路は水はけも良く、少し雨が降り止めばすぐに使用可能な状態にまでなるのだが、そこと格納庫をつなぐ誘導路は土を転圧しただけだから酷い状態だ。

 あちこちに水たまりができているし、土の性質が悪くてぬかるんでいるところもたくさんある。

 雨があがれば、無理をすれば出撃は可能だったが、ぬかるみにはまった機体を救出するための車両が何台も必要になるだろう。


 帝国の側も、今日は空中補給を実施することができない。

 強い風が不規則に吹いているから物資を投下しても安全に目標に着地させることができないし、そもそも、安全に飛行すること自体が難しい。


 いっそのこと、このままずっと、こんな天気だったらいいのに。


 僕は、自分の機体の操縦席に座り、セメントを吹きつけて固めただけの荒い格納庫の天井を眺めながら、そんなことを考えていた。


 もし、何日かでもこんな天気が続けば、フィエリテ市に包囲されている帝国軍はいよいよ食べるものが無くなって、王国に降伏して来るかも知れない。

 そうなったら、とても楽だ。

 僕たちは出撃しなくて済むし、雷帝と戦わなくて済む。

 何より、犠牲者が減る。


 だが、この嵐は一時的なもので、今夜にはすっかり収まって、綺麗な星空が見えるだろうという予報になっている。

 そうなればまた、カイザー・エクスプレスはやって来る。


 雷帝を、どうすれば倒せるのだろうか。

 いや、僕たちはそもそも、その僚機に対してでさえ、力が及ばない。


 出撃が無く、飛行機も飛ばせないからやることが無く、パイロットである僕がぼーっとしているのは嵐のせいだったが、今の自分では力が足りないと分かっているのに、何もできないというのは何とももどかしい。

 焦燥感ばかりが、どんどん、大きくなってくる。


 雷帝と戦って、勝つにはどうすればいいのだろう。

 僕は、こんなところでじっとしていて、いいのだろうか。


 だが、機体の操縦席におさまっていると、少しだけ落ち着く様な気がする。


 ベルランは、いい機体だ。

 優れた速力と攻撃力があり、エメロードの様な軽快さはないものの、空中戦ではどんな機体が相手でもその強さを見せてくれる。

 そして、僕の命を守ってくれる。


 相棒、という言葉がしっくりとくる。

 王国にとってベルランは戦闘機という兵器で、消耗品に過ぎなかったが、自分自身の命を預け、運命を共にしながら戦っていれば、そんな情も湧いてくる。


 この機体と一緒ならば、きっと、戦える。

 操縦席に座っていると、何だかそう思えて、焦るばかりの心が落ち着いていく。


 そう感じるのは、僕だけでは無かった様だ。

 今、僕たちの機体は雨を避け、丘に掘られた横穴、突貫工事で作られた掩体を兼ねた格納庫の中に並べられているが、その機体には特に用も無いはずなのに4人が乗り込んでいる。

 いつもの4人組、ジャック、アビゲイル、ライカ、そして僕だ。


 僕たちは、雷帝そのものとは戦わなかったのだが、その僚機と戦って、たった1機なのにもかかわらず、撃墜することができなかった。

 みんなエースと呼ばれる様になったが、決して、傲慢(ごうまん)にはなっていない。だが、自分だって戦闘機のパイロットなのだという、自信も持つ様になっていた。


 だから、雷帝の僚機でさえ撃墜できなかったという現実にショックが大きく、僕たちは気がついた時には、焦る気持ちを抑えるために自然とそれぞれの機体の操縦席におさまっていた。


 何かおしゃべりでもできれば気も紛(まぎ)れるのかもしれないが、僕たちはずっと無言で、武骨な質感の格納庫の天井を眺めている。

 工期短縮のために最低限の照明しか用意されていない天井は薄暗く、見ていて少しも面白いものではなかったが、僕たちはずっとそれを見ている。


 いや、これは実際には見ているとは言えないのかもしれない。

 僕たちは起きていて目を開いてはいたが、意識は雷帝とその僚機との戦いのことへと向けられていて、自身の目に映っているものには少しの注意も行っていない。

 これでは、何かを見ているとは言えないだろう。


 いつもならジャックが何か気の利いた冗談でも言ってくれるのだが、さすがの彼も今回ばかりはそんな余裕は無い様だった。

 レイチェル大尉の実の親類であり、その豪胆さがよく似ているアビゲイルも、天井を睨んだまま動かない。

 ライカも、困ったような顔で腕組みをし、必死に考えている様子だったが、やはり何も思いつかないのかどこか悲しそうなままだ。

 僕が何か言えれば良かったのだが、何も思いつかないし、僕にも少しも余裕は無い。


 僕たちは、自信を打ち砕かれてしまって、すっかりしょげてしまっていた。

 目の前に現れたあまりにも高い壁を前にして立ちすくみ、途方に暮れている。


 ぱん、と乾いた拍手の音が辺りに響いたのは、突然だった。


 天井へと向けていた視線を音のした方向へと向けると、そこには、カルロス曹長が立っていた。

 曹長は状況が飲み込めずきょとんとしている僕たち4人の顔を見回すと、「全員、集合! 」と声をかける。


 いったい、何だろう。

 カルロス曹長の意図は分からなかったが、きっと、何かあるのに違いない。

 そう考えた僕たちはとにかく機体から降りて、カルロス曹長の周りに集合した。

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