19-31「損傷機」

 その日、出撃の合間に取っていた仮眠から、目覚まし時計の音で目を覚ました僕は、周囲が何だかざわついていることに気がついた。


 何だろう、とは思ったものの、眠気の収まらなかった僕は、そのざわつきの原因を確かめもせず、眠気覚ましにコーヒーでも飲もうと、食堂へと向かった。


 義勇戦闘機連隊という、心強い味方が現れてくれはしたものの、ここのところずっと、忙しい日々が続いている。

 1日に2度出撃することも珍しくなく、しかも不定期に出撃がくり返されるので、ぐっすりと眠ることができた日は多くなかった。


 だが、疲れたなどと、弱音は言っていられない。

 僕らは今、王国の未来を賭けた戦いをしているのだ。


 王国が失われ、連邦や帝国の様な大国の思惑にただ流されるだけという状況になるか。

 それとも、僕らが、自分自身として生きていくことのできる居場所を、この世界に残すことができるか。

 その運命を決めてしまう戦いだ。


 疲れた、辛いなどと、言ってはいられない。

 だが、心ではどんなに強くそう思っていたとしても、こういう状態が長く続いていると、身体が悲鳴を上げ始める。


 しかも、戦況は良くない。

 カイザー・エクスプレスを迎撃できる頻度(ひんど)はあがっているものの、帝国側も護衛の戦闘機を増やすなどして僕らに対抗してきており、戦いは厳しい。


 僕の仲間たち、301Aのパイロットは全員無事だったが、他の部隊では、少しずつその顔触れが変わって来ている様だった。


 戦う以上は、どうしたって、犠牲が出る。

 負傷にしろ、戦死にしろ、パイロットが失われれば、新たに補充されていく。


 戦争を戦う中で、個々人としてはともかく、組織として見ると、兵士は機械の歯車に過ぎなかった。

 軍隊という組織を、敵を倒すことのできる戦闘力の持った集団として維持するために必要な歯車が、僕たちだ。

 それは、育成に長い期間と、高額な予算のかかる僕ら、パイロットであっても、何ら変わることが無い。


 歯車が壊れるか、脱落すれば、新しいものと交換される。

 それが僕にとって親しい人ではないということから、僕はそれに何かを思ったりすることは無かったのだが、考えてみれば、恐ろしいことだと思う。


 いつの間にか、人の生死に関して、僕の心は鈍感になっている。


 戦争は人間の心に大きな影響を与えるというが、それは、僕も例外ではなかった様だ。

 他の部隊では戦死者が出ているのに、僕は平然と、生きるために食事をし、眠り、そして、空に向かって出撃していく。


 誰かが傷つき、命を失うことが、悲しくないわけでは無かった。

 だが、その1つ1つにいちいち反応している様だと、僕の心はきっと、壊れてしまう。


 戦争の中では、死はいつでも身近なところにある。

 今日、命を失ったのは別の人間でも、明日には自分がそうなっているのかもしれない。


 そんな状況で、敏感に、繊細に、誰かの死に動揺していたら、とても生きていくことはできない。

 こう考えてみると、死に対して鈍感になっていくのは、人間の精神が自己崩壊を防ぐための、防衛的な対応なのではないかと思えてくる。


 僕は炊事場で熱々のコーヒーを淹れてもらうと、適当な切り株を見つけてそこに腰かけ、次のローテーションのために出撃準備を行っている他の部隊の機体を眺めながら、ずずず、とすすった。


 僕は元々、コーヒーはあまり好きではなく、お茶を飲むことが多かったのだが、眠気を覚ますためにコーヒーを飲むことがずいぶん増えた。

 砂糖やミルクを加える量をいろいろと試して、自分なりの好みというものが見つかって来ると、その素晴らしい香りや味わいが楽しめる様になってくる。


 その時、僕の足元で、クワッ、という鳴き声が聞こえて来た。

 僕ら、301Aの愛すべきマスコット、真っ白なアヒルのブロンだ。


 彼はどうやら、僕が何かを飲んでいるのを見つけて、「何を、美味しそうなものを飲んでいるんだ? 」と見に来た様だった。

 コーヒーをアヒルに飲ませても大丈夫なものかどうか、牧場生活でアヒルの飼育方法をしっかり身に着けていても分からないので、コーヒーを彼に与えるつもりは無いのだが、ブロンはしばらくの間、「味見させてよ! 」とでも言いたげな顔で僕の周囲をうろついた。


 戦争で、僕自身を含め、いろいろなものが変わってしまった様に思えるが、ブロンは少しも変わらない。

 のんきで食いしん坊なアヒルのままだ。


 ブロンはやがて、僕がちっともコーヒーを分け与えてくれないと分かると、興味を失った様に歩いて行っってしまった。

 アリシアによるダイエット作戦は、301Aの総力をあげてなおも継続中だ。しつこく粘っておねだりしても、余計にお腹が空(す)くだけだということを、ブロンもとうとう学習した様だった。


 ブロンは、初夏の太陽の光を全身に浴び、その白い羽毛を輝かせながら、飛んでいる蝶々を目で追ったり、首をあっちこっちに動かしたりして、何か面白いものが無いかと探し回っている。

 そんな彼を眺めていると、自然と、僕の口元に笑顔が浮かんだ。


 空にベルランのエンジンが発する爆音が響き始め、周囲にいた人員が騒ぐ声が大きくなったのは、その時だった。

 数名の兵士や、整備班たちが鋭い掛け声を発し、駆け出していくのが見える。

 どうも、慌ただしい。


 彼らが慌てている理由は、僕にもすぐに理解することができた。


 やはり、何か様子がおかしい。僕がそう思って空を見上げていると、やがて、空を1機の友軍機が横切って行った。

 それは、いつも見慣れた、僕も乗っているベルランD型だった。


 だが、その機体は、大きく損傷していた。

 エンジンの部分に被弾している様で、そこから煙を引いている。

 火災は起こしていないが、集中してみるとエンジン音がおかしかった。


 その機体は、ゆらゆらと不安定に飛行しているから、操縦系に問題が生じているか、パイロット自身も負傷しているらしかった。

 滑走路に着陸するために飛行しているその機は車輪を開いたが、しかし、被弾しているためか右翼側の車輪が上手く開かない。

 パイロットはそれに気づいているのか、気づいていないのか。不安な飛行をしながら、滑走路に向かって飛び去って行く。


 あれは、危ない。

 僕は、ハラハラとしながら、その機が無事に着陸してくれることを祈った。


 だが、僕の見ている目の前で、その機は急に高度を落とした。

 同時にエンジン音も聞こえなくなったから、とうとう、エンジンが停止して、推力を失ったらしい。


 墜落する。

 直感的にそう思った僕は、まだ半分以上コーヒーが残っていたコップをその場に放り捨てて、その機が消えていった方向に向かって走り始めた。


 僕がわざわざ駆けつけなくても、飛行場にはたくさんの人間がいる。だから、その機のパイロットに救助が必要だったとしても、助けは十分だろう。

 だが、1人でも、より多くの手があった方が、やはりいいだろう。


 僕は他の人々と一緒になって走りながら、同時に、反射的に、僕自身があの機のパイロットを救うために走りだせたことに、安心していた。

 僕はすっかり誰かの死に鈍感になっていたが、まだ、こうやって、その誰かを救うために一生懸命になることができる。


 まだ、僕が僕であることの、何よりの証拠である様に思えた。


 被弾した機のパイロットは、しかし、機を立て直すことに成功した様だった。

 称賛するしかない操縦の腕前だったが、残念なことにもう高度が無くて、とても滑走路にはたどり着けそうになかった。


 その機は、煙を引いたまま、すぐ近くにあった誘導路へと降りて来た。

 周囲に開けている場所はそこしかなく、誘導路は転圧されているだけとはいえ普通の地面よりは強固だったから、生存に望みをかけて着陸をするつもりの様だった。


 だが、片方の車輪が出ていない状態での着陸は、誰がやっても困難だ。

 しかも、あの機はエンジンが止まっている。


 損傷機は誘導路に車輪を着けると、その瞬間にバランスを崩して車輪の無い右翼側に倒れ、翼を地面にこすりながら右に2回転ほどスピンしながら、ようやく静止した。

 すぐさま近くにいた兵士たちが駆けよって、パイロットを救助しにかかる。


 僕からは、少し遠い場所だった。

 僕は操縦席からパイロット運び出されるのを見て安心し、走る速度を緩める。


 救助されたパイロットは、用意された担架に乗せられて、鷹の巣穴に設置された野戦病院へと運ばれていく。

 その隊列は僕のすぐ近くを通ったのだが、僕はそのパイロットの姿を見て、ぎょっとした。


 どうやら、そのパイロットは、負傷していたらしい。

 飛行服に鮮血の赤い模様が描かれ、生死の境をさまよっている様だった。


 そして、パイロットは息も絶え絶えに、うわごとをくり返していた。


「黒い戦闘機……、黒い戦闘機……」

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