19-12「曹長」
「やぁ、ミーレス。そんなところで、どうしたんだい? 」
僕が操縦席の中で、ありがたくもない勲章を目の前にぶら下げて観察していると、気さくな感じの声がかかった。
「カルロス軍曹……、あ、いえ、カルロス曹長」
僕は操縦席から身を乗り出して声の主を確認し、次いで、カルロス軍曹が曹長に昇進していたことを思い出して、慌ててそう言い直した。
「ふふ。ま、今日昇進したばかりだからね。……勲章を、見ていたのかい? 」
カルロス曹長は肩をすくめて見せると、ステップを使って僕の機体へとよじ登り、翼の上に立って両手を腰の辺りに置いて、僕の手の中にある勲章を覗(のぞ)き込んだ。
「王国でこの勲章をもらうのは、僕たちが初めてだっていうからね。光栄なことだと思うし、じっくり眺めたくもなるよね」
「……えっと、はい」
世間話でもする様な口調のカルロス曹長に僕は頷いて見せたが、しかし、曹長は僕の言葉が曖昧なものだったのに気づいた様だった。
曹長は僕の方に背を向け、ベルランの胴体に背中を預ける様によりかかる。
「何かあったのかい? 」
「……え? 」
「ミーレス、君は勲章をもらって喜んでいる様には見えないし、むしろ、何だか悩んでるみたいじゃないか。よかったら、僕が話を聞くよ。……なァに、これも、後輩の教育っていう奴さ」
僕は少し迷ったが、カルロス曹長には、僕の思いなどお見通しの様だった。
僕は自分自身の考えを曹長に打ち明けるかどうかで悩んだが、僕と曹長はこれまで戦友として何カ月も戦ってきた仲間だ。
今さら何かを隠すのも悪い様な気がしたので、僕は、自分の中のもやもやとした気持ちを、できるだけの言葉で打ち明けさせてもらった。
「階級があがったり、勲章をもらったりすることに、どんな意味があるのか、か」
カルロス曹長は、決して上手でも正確でも無かった僕の話を黙って聞いてくれた後、そう言って、僕の方を振り向く。
「そうだなぁ……、昇進すると、給料があがるし、退役した時に受け取れる年金の額が増える。勲章を受け取れば、褒賞金(ほうしょうきん)も出るし、退役して年を取った時に思い出話にできる。……とか、かな」
僕は、きょとんとして曹長のことを見上げた。
カルロス曹長が本気でそう言っているのか、それとも遊びでそう言っているのか、僕には判断がつかなかったからだ。
カルロス曹長は不思議そうにしている僕の姿をみて、とてもおかしそうに笑った。
「ウソ、ウソ。冗談さ。……本当はね、僕も君と同じ様な気持ちなのさ」
それからそれから、カルロス曹長は格納庫の天井を見上げた。
曹長の視線の先には、格納庫の採光窓の向こうに広がる、真っ青な空がある。
「実はね、僕も、とてもじっとしていられなくてここに来たんだ。……君と一緒で、今すぐに飛んでいきたい。戦いたいって、どうしても思ってしまうんだ。戦争はまだ終わってもいないし、敵はまだ、そこにいる。僕たちにはやるべきことがある、それをやらなくちゃいけない。そう思ってしまうんだよ、どうしても」
曹長はそう言うと、今日もらったばかりの勲章を懐(ふところ)から取り出し、ついさっきまでの僕と同じ様に目の前に持って来て、しげしげと眺めはじめる。
「ミーレス。君は、マードック曹長を覚えているかい? 」
「はい。もちろん」
カルロス曹長からの問いかけに、僕は即答していた。
マードック曹長。
忘れたことなどない。
マードック曹長は、僕に空の飛び方を教えてくれた教官だった。
そして、僕が無理な曲芸飛行をして機体を空中分解させそうになった時に、その見事な腕前で僕の命を救ってくれた恩人だ。
そのマードック曹長は、すでに亡い。
曹長が戦死してから、もうすぐ、1年が経とうとしている。
マードック曹長は、開戦するよりも前に、戦死した。
「雷帝」と呼ばれる黒い戦闘機に乗った帝国のエースとの戦いで、マードック曹長はあの空に、文字通り散ってしまった。
マードック曹長の葬儀に、遺体すらなかったというのを、今でも覚えている。
曹長の遺族や、戦友たちがどんな思いで、空っぽの棺(ひつぎ)に祈りを捧げていたのか。それは、僕には想像はできても、とても理解できるようなものではないのだろう。
マードック曹長の魂は、今、いったいどこにあるのだろう。
曹長は空が大好きだったから、今でもこの空のどこかにいるのだろうか。
その魂は、平穏を得ることができているのだろうか。
「僕はね、ミーレス。曹長になったんだ。マードック曹長と同じ、曹長にさ」
カルロス曹長はそう言うと、その手の中に勲章を握りしめた。
「マードック曹長はすごいパイロットだったんだ。生きてさえいれば、この勲章を最初に手にしたのはきっと、僕たちじゃなく、マードック曹長だったはずなんだ。……だけど、マードック曹長はいない。いないんだ。……死んでしまったから」
僕は、カルロス曹長がそう言うのを、黙って聞いていた。
その言葉は僕に向けてという形を取ってはいたが、実際のところは、カルロス曹長が自分自身に向けて言っている様に思えたからだ。
「だけど、僕たちはこうして生きている。生きているんだ。……生かされているんだ。生きている僕たちは、死んでしまった人たちがもう、できなくなってしまったことを、代わりにやらなくちゃいけない。僕が、マードック曹長の代わりにならなくてはいけないんだ」
カルロス曹長はそう言って、しまらく無言になった。
それから、勲章を自身の懐(ふところ)にしまうと、少し自分のことをしゃべり過ぎたとでも思ったのか、オホン、と咳(せき)ばらいをし、僕の方を振り向く。
「要するに、さ。ミーレス、君が思っていることは当然のことで、僕も、それにきっと、他の仲間たちも、誰しもが似た様に思っているだろうっていうことさ。……そして、僕たちパイロットにできることは、操縦桿を握って飛ぶことしかない。そうやって飛んで、何度でも戦って、いつか、王国に平和を取り戻すんだ。それが、死んでしまった人々の代わりに、生きるっていうことだと、僕はそう思う」
僕はカルロス曹長を見上げ、僕の命の恩人と同じ階級章を身につけたベテランのパイロットに、頷(うなず)いて見せた。
結局、僕の胸の中に渦巻いているもやもやとした気持ちと向き合い、それを晴らす手段は、1つしかないのだ。
操縦桿を握って、この空を飛ぶ。
そして、この戦争を、終わらせる。
僕がどんなに思い悩んだところで、戦争が終わり、王国に平和が取り戻される、故郷や大切な人たちが危険な目に遭うことのない時代を手にするという、死者たちの願いが叶うまで、この気持ちは消えることなど無いし、例え戦争が終わったのだとしても、僕は、この時の気持ちを忘れることは無いだろう。
戦争が始まる前、僕は、戦争というものに無関心だった。
自分が直接、その当事者となることなど少しも想像していなかったし、戦争の方が僕の目の前に現れ、僕を包み込んでしまっても、訳も分からないまま無我夢中で走り続けることしかできなかった。
そうしている間に、戦争というものはすっかり僕の身体に染みついて、僕は、いろいろなものを背負って飛ばなければならなくなっている。
今さら、別の自分など考えられない。
僕は王国の人間で、1人のパイロットで、この戦争の中を必死になって戦い、生き抜いていく。
僕は、僕以外の何者にもなることができない。
他の誰でもない。この戦争の中で、僕は、僕が、死んでしまった人々の分まで戦わなければならないのだ。
そうして、王国に平和が取り戻される。その時にこそ、僕の心の中に居座っているもやもやとした感情も晴れて、いつか、僕自身の記憶へと変わっていくのだろう。
ふと、あの黒い戦闘機の姿が脳裏に浮かんだ。
「雷帝」と呼ばれ、恐らくは今、空を飛んでいるどんな戦闘機パイロットよりも古く、そして強い、帝国の絶対的なエース。
マードック曹長を屠(ほふ)り、その一方で、僕を「未熟者」として生かした、彼。
彼はずいぶん長い間僕たちの前に姿を現してはいないが、この空のどこかを、飛んでいるのだろうか。
きっと、飛んでいるはずだ。
僕は、特に根拠があるわけでもないのに、そんな風に確信していた。
僕に飛ぶ理由ができた様に、雷帝にもまた、飛ばなければならない理由がある。
それが、猛禽が持つような闘争本能と狩猟本能の様なものなのか、それとも、僕と同じ様に、ただ、彼にとっての守りたい何かのためなのか。
それが何なのかは分からなかったが、僕は、彼がこの大陸のどこかで戦い続けているだろうということを、少しも疑いはしなかった。
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