19-11「勲章」

 あれほど強力だった帝国軍の艦隊が王国の近海から姿を消して、数日が経った。


 何だか、夢から覚めた様な、そんな、不思議な気分だった。

 王国の東部を奇襲し、大規模な上陸作戦を帝国が開始した時、僕たちは誰もが、王国の滅亡という事態を覚悟した。

 帝国軍は大軍で、しかも、精強だった。自分たちよりも強力な敵を前にしても僕たちは戦う覚悟ができていたが、それでも、自分たちは勝利に手が届かないかもしれないと、そう思い始めていた。

 戦いは激しく、犠牲は大きく、僕たちは常に王国の滅亡と隣り合わせで戦った。


 それほど苦しい戦いだったのに、終わる時は、あっけない。


 今では毎日のように、新聞の一面を、王国の勝利を伝える記事が飾っている。

 帝国軍が撤退する際に放棄していった兵器や、たくさんの捕虜。そして、それらを獲得し、勝利に笑顔を見せる王国の兵士たち。


 ある者は撃破された敵の戦車の上に征服者の様に堂々と立ち、ある者は奪還した建物に王国の旗を誇らしげに掲げ、別の者は鹵獲(ろかく)した兵器の数々の前で、満面の笑顔で映っている。

 そして、捕虜となり、王立軍の将兵の監視の下、肩を落としている帝国軍の将兵。

 そのあまりにも対照的な写真が、王国の勝利の何よりの証拠として、大々的に報道されている。


 僕たちを苦しめ、王国の消滅を覚悟させるほど強力だった帝国の艦隊が去った海は、何事も無かったかのように穏やかだった。

 王立軍は帝国軍による奇襲を許したという反省から監視体制を強化し、多数の偵察機を飛ばし、民間の漁船などを徴用して即席の監視船としたものを海上に出動させ、帝国軍の接近を見逃すまいと目を光らせている。

 だが、洋上には帝国軍の大艦隊の痕跡すらなく、ただ、太陽の光を反射してキラキラと輝く波と、春を伝える暖かな風があるだけだ。


 僕はその日、部隊の他のパイロットたちと一緒にクレール市の軍の司令部へと呼び出され、出頭させられた。

 呼び出された理由は、軍がこれまでの僕たちの功績を認め、勲章を授与することを決めたからだ。


 今回の戦いでは、何と言っても、レイチェル中尉の働きが大きかった。

 中尉は帝国軍が行っていた攻撃がカモフラージュであることを見抜き、王立軍に徹底的に追撃するべきだと進言した。

 もし、中尉が帝国軍の撤退に気がついていなければ、王国が獲得した帝国軍の捕虜はわずかなものになったはずだ。


 この戦いで、王国は4万人近くの帝国軍将兵を捕虜として獲得していた。

 帝国が王国に上陸させていた兵力は、もっとも大きな時で9万人に迫る規模となっていたそうだから、その半数近くが脱出できなかった計算になる。


 だから、中尉の功績が認められたのは、当然のことだった。

 レイチェル中尉には勲章の授与と同時に昇進も言い渡され、今日づけで大尉となった。

 中尉、いや、大尉が僕たちの指揮官であることには何も変わりはないが、変化が小さなものであるだけに、かえってレイチェル大尉にどんな風に接して良いかが分かりにくく、僕は少し戸惑っている。


 主役はレイチェル大尉だったが、昇進は大尉だけではなく、僕たちにも言い渡された。

 カルロス軍曹は曹長へと昇進になった。ナタリアも、これまでは義勇兵としていろいろ手続きをすっ飛ばしたため、曖昧(あいまい)なまま伍長相当とされていた階級がはっきりとして軍曹となり、ジャック、アビゲイル、ライカ、僕も、伍長になった。

 この他にも、レイチェル大尉が授与された勲章よりも等級は下のものだったが、これまで多くの敵機を撃墜してきた功績から、僕たちにも勲章が授与されている。


 僕たちは昨日まで二等兵だったから、伍長に昇進となると、一等兵、上等兵という階級をすっ飛ばした三階級特進ということになってしまうが、戦死者以外には前例のない特例を作らないために、僕たちの昇進はその日の内に段階を追って行われた。

 僕が一等兵でいた時間は5分だけ。上等兵でいた時間も5分だけだ。


 これだけ急な昇進が行われたのは、パイロットコースを終了した者は本来、伍長からスタートするはずだったからだ。

 僕たちが二等兵という階級にあったのはパイロットコース未了のまま配備された未熟者であったためで、昇進とは言っているものの、実態としてはようやく、パイロットとして認められたというのに過ぎない。


 聞いた話では、僕たちと同じ様にパイロットコースを未了のまま、開戦によって臨時にパイロットとなり二等兵のまま戦ってきたパイロットたちにも、順次、同じ様な昇進が行われるということだった。

 僕たちだけが特別、というわけでは無いらしい。


 だが、勲章だけは別だった。

 僕たちに授与された勲章は、数多くの困難な作戦に参加し、多数の敵機を撃墜するなど、大きな戦果をあげたパイロットにだけ授与されるものだ。

 永世中立を宣言し、対外関係の問題を戦争によって打破するということを行って来なかった王国には、規定だけが存在し、これまでは誰にも授与されたことが無かった勲章だ。


 この勲章を授与されたのは僕たちが初めてだったということなのだが、僕には、いまいちありがたみが実感できなかった。


 司令部で昇進の辞令受け取りと勲章授与の式典を終え、基地へと帰って来た僕は、航空教導連隊への入隊式でしか着たことが無い堅苦しい礼服を脱ぎ捨てると、僕たちの機体が納められている格納庫へと向かった。

 何だか、無性に操縦席に座りたくなってしまったからだ。


 上陸してきた帝国軍が降伏し、帝国艦隊が後退した今、僕たちは束(つか)の間の休息を得ている。

 勲章の授与と昇進がこのタイミングで行われたのも、これが理由だ。次の戦いがいつ始まってもおかしくない状況で、勲章の授与と昇進が行えるのは今しかなかった。


 僕たちには勲章と共に、賞金や特別休暇なども授与されていたが、僕はそんなものよりも、空を飛んでいたかった。


 そして、できれば、戦場へ。


 戦うことは、今でも怖いと思う。

 だが、僕がこうやって安穏(あんのん)としていることは、何か違うのではないかと思ってしまう。


 僕たちは、ただただ、必死になって戦ってきた。

 僕たちが生きる王国を守るために、そこで暮らすたくさんの人々を守るために。

 そして、自分自身が生き残るために。


 その過程で、僕たちはたくさんのものを失ってきた。

 僕たちの故郷は今や、かつての姿を完全に留めているところは、どこにも存在し無い。

 王国の北部は全て戦場となったし、敵の占領下に置かれている。それだけではなく、中部では今も敵軍との対峙が続き、南部も攻撃の対象となった。

 王国中で戦火が燻(くすぶ)り、焼け焦げた廃墟があちこちに残されている。


 そして、友人や、家族。僕の家族や、親しい友人はまだ無事でいてくれているが、そうでない人が王国にどれだけいるのだろう。

 僕だって、幼かったころの友人たちがどうしているかは分からなかったし、僕の家族や親しい友人も、これから先も無事だとは限らない。

 戦争が終わっていない以上、いつ、大切なものを失ってもおかしくは無い。


 207Aの姿が、目の前に浮かぶ。

 彼らの中には、誰1人として死を願っていた人はいないはずだ。

 それでも、彼らは敵中に飛び込んでいくことを躊躇(ためら)わなかった。

 それは、そうする以外に、自分たちが守ろうとしているものを守る手段が無いと、彼らが知っていたためだ。


 王国は大きな勝利を得たが、戦争は終わっていない。

 戦争が終わらない限り、休暇などと言われても、とても休んでいられないし、勲章などをもらっても、一体それが何になるのだと思うだけだ。

 勲章なんて、戦争を終わらせるのに、何の役にも立たない。


 僕は、この戦争に、少しでも早く終わって欲しかった。

 そのためにできることは、この機体に、戦闘機に乗って飛ぶことだけだ。

 じっとしてなどいられない。


 僕はせっかく与えられた4211号機を失ってしまったが、その代わりに、部隊に予備機として配備されていた4212号機が新しく与えられていた。

 僕は機体の左側面に配置されている格納式のステップを展開して機体によじ登ると、その操縦席に乗り込んだ。

 この機体は、レイチェル中尉が少し乗っただけのもので、まだ真新しさが色濃く残っている。操縦席の中にはまだ、納入されたばかりの機体特有の「新品の香り」が残っている。


 コックピットに入ると、少しだけだが、僕の心の中にある焦燥感というか、「自分はこんなことをしている場合ではない」という気持ちが和(やわ)らいだ。


 それから、僕はもらったばかりの勲章を取り出し、目の前に持って来て、しげしげと観察してみる。

 よくできたもので、貴金属なども使われ、十分な格式と風格を備えた造りをしたものだったが、事情を知らない者が見れば、観光地などで売っている土産物にしか見えないかもしれない。


 だが、それは、僕がここまで戦い、生き残って来た証拠だった。

 何度も出撃をくり返し、たくさんの敵機を撃ち落として来た証明だった。

 僕が、この手で、たくさんの人々を。


 それは、貴重なものなのだろう。

 そうに違いないはずなのだが、僕には、どうしても、それをもらって嬉しいという感情が湧いてこなかった。

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