19-7「岸壁」
今さら確認するまでも無いことだが、僕にとっての分隊長というのは、ライカのことだ。
そのライカが、怒っている。
僕は、それをある程度は予測していた。
僕が撃墜されてしまったのは僕の不注意のせいで、ライカの指示を僕が聞き逃してしまったからだ。
だから、彼女が怒っているのは、当然のことだろう。
悪いのは僕の方だ。きっと、ライカには心配をかけてしまったはずだ。
だが、僕はそれほど深刻には考えていなかった。
以前、僕は敵中に不時着し、何日も戦場をさまようことになったが、生きのびて帰って来た僕を、ライカは暖かく迎え入れてくれた。
今回は、救出が迅速に行われた結果、2日も経過しない内に帰って来ることができたのだ。
ライカが怒っていたのだとしても、以前よりもずっと早く帰って来ることができたのだし、きっと、会えば彼女も安心して、僕を許してくれるだろうと思っていた。
僕はそう思いながら、まずは帰隊したことを報告するために、ハットン中佐のところへと向かった。
ハットン中佐は、執務室で忙しく働いていた。
いつも忘れがちになってしまうが、中佐は301Aの指揮官ではなく、第1戦闘機大隊の指揮官だ。その指揮下には僕たち301Aだけでなく、301B、301Cと、3つの戦闘機中隊が入っている。
大きな戦いがあった後で、いくつかの飛行場に分散して配備されている指揮下の部隊の状況を確認し、戦いにおける被害はどの程度だったか、いつまでにどの程度の戦力として活動できる様になるのか、元の戦力を回復するためには何が必要でどこに何をどれだけ手配してもらえばいいのか、中佐が把握し、判断しなければならないことはたくさんある。
特に、今はその全てを手早く処理する必要があった。
王立軍が王国東部に侵攻してきた帝国艦隊に大打撃を与えたのは事実だったが、まだ、帝国軍が退却したわけでは無い。
場合によっては、少なくなった王立軍の戦力で再度大規模な攻撃をかける必要が出てくるかもしれないし、その時に部隊からどれだけの戦力が出撃できるのかを明らかにしておかなければ、満足のいく作戦は立てられない。
部隊の状況を把握し、必要な時にできるだけ強力な戦力として活動できる様にすることがハットン中佐の役割で、書類の散らかった執務室こそが中佐にとっての戦場だった。
僕は、書類のやり取りなどで外部との移動が多いのか執務室の扉を開けっぱなしにしたまま仕事をしていた中佐の様子を見て少し気圧されたが、報告をしないわけにもいかないので思い切って部屋の中へと入った。
ハットン中佐は、入って来た僕を嬉しそうに迎えてくれた。
忙しそうにしているので長居はせず、報告をして、いくつか言葉を交わしてすぐに僕は部屋を後にしたのだが、上官の目に宿った心からの喜びを見ることができて、何だか嬉しい気持ちだった。
ハットン中佐はこれからも何度でも僕らに危険な戦場へと出撃せよと命じるだろうが、こんな風に心から生還を喜んでくれる上官の下で戦えることは、パイロットにとっては幸運なことだろうと思う。
すくなくとも、部下の生死を何とも思わない人とは比較にならない。
部下としての責務を果たすと、僕は部隊の宿舎へと向かった。
どうやら、昨日の戦いで受けた損傷の修理が間に合っていないことと、戦場となっている空域の天候が悪いため、今日は出撃が無かったということだった。だから、パイロットたちは宿舎で休んでいるだろうと思ったのだ。
仲間たちに、僕が無事に帰還したことを知らせておきたかった。
出撃が無かった理由だが、王国東部の沿岸地域は、今日は雨が降っているからだ。
計器頼りにはなるが、雨の中でも飛ぶだけなら飛べないことは無い。だが、出撃して敵と交戦するというのは、視界が悪くて危険すぎるし、そもそも攻撃目標を発見できないかもしれない。
このため、昨日の戦いの後、帝国軍がどれほどの勢力を維持しているかを確認するための偵察機も、飛ばすことができていない。
まだ海を漂っているかもしれない遭難者たちのことが心配だったが、天候のことはどうにもならないことだ。
天候が少しでも早く回復してくれることを祈ることしかできない。
宿舎にたどり着くと、そこを使っている人たちが集まって休憩したり、おしゃべりをしたりする場所となっている談話室に、ジャックとアリシアの姿があった。
どうやら、僕が撃墜されてしまったことで不安がっていたアリシアを、ジャックが励(はげ)ましてくれていた様だった。
突然帰って来た僕を見て、2人はものすごく驚いて、目を丸くした。
だが、僕が「ただいま」と言うと、アリシアは僕に飛びついて来て、「もう、兄さん! 心配させないでよ! 」と、怒ったような口調で喜んでくれた。
涙ぐんでいるアリシアに、僕は自分が健康であることを伝え、「母さんが作ってくれた機体に乗っているんだから、そう簡単に僕は死んだりしないさ」と言って強がってみせると、彼女は「そうね……、そうよね! 」と言って、涙をぬぐって、笑ってくれた。
それから、僕はジャックと握手をした。
「おう、ミーレス。思ったよりも元気そうじゃんか。心配して損したぜ」
「もちろんさ、ジャック。……ジャックも、無事でよかった。それと、妹を励(はげ)ましてくれて、ありがとう」
「ああ。このくらい、なんてことはないさ。……お互い、生き残っているんだから、それでいいさ」
そう短く言葉を交わし、僕たちはお互いに笑顔を見せあった。
僕とジャックの間には、それだけで十分だった。
それから僕はライカとアビゲイルを探したが、先に見つかったのはアビゲイルだった。
ライカは自室にいなかったのだが、アビゲイルは部屋で休んでいたからだ。
どうやら、彼女は本を読んでいたらしい。
こう言っては失礼かもしれないが、僕には意外だった。
というのも、アビゲイルが教練に使われるもの以外で本を読んでいる所を、これまで見たことが無かったからだ。
「何だい、帰って来るなり、失礼な奴だね」
アビゲイルは、驚いている僕をそう言って睨みつけた後、ちょっと恥ずかしそうに頬を赤くする。
「クラリス中尉に勧められたんだよ。面白いからって」
どんな本を読んでいるのかがとても気になったが、あまり踏み込むと蹴られそうな気がする。
僕は話題を変えて、ライカの居場所についてたずねることにした。
幸い、アビゲイルはライカのいそうな場所について、心あたりがある様だった。
何でも、海を見に行くと言っていたらしい。
僕はアビゲイルに礼を言うと、海の方へと向かっていった。
ライカは、そこにいた。
彼女は両足を海にぶら下げながら、岸壁のふちに腰かけている。
もうすぐ夕暮れ時という太陽に照らされた彼女の金髪が、風に揺れてさらさらと流れている。光を反射して輝くその髪は、いつ見ても綺麗だった。
僕は、少しいたずらをしようと思いついた。
このままライカの後ろにこっそりと近づいて、驚かすのだ。
彼女は怒っているということだったが、僕が帰って来たと知れば、きっと、喜んでくれるのに違いない。
そうであるのに違いないのだから、少しサプライズをして驚かせた方が、リアクションが大きくなって面白いと、そう思ったのだ。
僕は、足音を忍ばせて、ゆっくりとライカの後ろに近づいた。
ライカは海の方をじっと見つめながら、何かを考えている様で、少しも僕の接近に気がつかなかった。
「ライカ! 」
十分に近づいたタイミングで、僕はいきなり、彼女にそう呼びかけた。
だが、ライカを驚かせた場所が悪かった。
「ぅぇっ!? えっ!? ミーレスっ!? きゃぁっ!? 」
ライカは僕の思惑通りに驚いたのだが、慌てて僕の方を振り向きながら立ち上がろうとしてしまい、岸壁から落ちそうになった。
下は海だから、落ちただけではライカは怪我をしないかもしれなかったが、問題は、僕が泳げないことだ。
海に落ちたライカを助けに行けない僕は、彼女が岸壁から落ちそうになった瞬間、慌てて手をのばし、彼女を両脇から抱きかかえていた。
小柄だから当たり前なのだが、ライカは驚くほど軽かった。
彼女が海に落ちずに済んだことにほっとし、そして、僕自身のいたずら心と配慮の足りなさを自己嫌悪しながら、僕は彼女を持ち上げて岸壁の上へと救いあげた。
ライカは、怪我はしていない様だった。
だが、岸壁の上に足をつけた後、彼女は今までに見た中で一番怒っている様な顔で僕を睨みつけた。
眉をピクピク、口をわなわなとさせながら、顔を真っ赤にしている。
これは、相当、怒っている。
「ご、ごめん、ライカ! こんなつもりじゃ……」
「ミーレス、黙って! 」
僕が慌てて謝ろうとしたのを、ライカが遮(さえぎ)った。
それから、彼女は命令口調で、僕に言う。
「ミーレス。まずは、そこに膝(ひざ)をついて座って」
「え? えっと、この、コンクリートの上に? 」
「そうよ! 」
僕は彼女からの命令に戸惑いながらも、とにかく、その場に跪(ひざまず)いた。
これから、一体、何が起こるというのだろうか?
※作者注
この場合の跪くは、正座が一番近いです。
日本だと「正座」で済むのですが、王国には「正座」という文化は存在し無いため、どういう表現にしようか悩んで「跪く」になりました。
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