19-8「説教」

 僕とライカはしばらくの間、無言のままだった。

 まずはライカが何かを言うのだろうと思って僕は黙っていたのだが、当のライカはと言うと、何かを言おうとして口を開きかけ、だが、うまく言葉にできずに引っ込めるという様なことをくり返している。

 僕に対して言いたいことはたくさんある様だったが、多すぎてうまく言葉にできない、そんな感じだった。


 僕は、彼女が言葉を整理するのを大人しく待ち続けた。

 コンクリートの上に膝(ひざ)をついたままでいるのはちょっと痛かったが、僕の方に非がある以上、動くことはできなかった。


「ミーレス。あなた、一体、何を考えているのよ! 」


 やがて、ライカは口を開くと、そう言って僕に怒った。


「急に戻って来て! しかも、私を驚かせて! そ、そ、それに! 変なとこまでさわって! 」


 変なとこ?

 変なとこをさわったって、いったい、何のことなのだろう?


 僕のその疑念は、どうやら顔に出ていたらしい。

 ライカはさらに顔を赤くして、両手をきつく握りしめながら僕を睨みつける。

 何だか、ちょっと悔しそうな顔だった。


「とにかく! あなた、私がどんな気持ちでいたか、分かってるの!? 」

「ごめん、ライカ」


 僕はそう言って、ライカに向かって頭を下げた。

 ライカは怒っている。それも、いろんなことに怒っている。

 その1つ1つは僕にははっきりとは分からないことだったが、僕が彼女に謝るべきだということは明らかだ。


 それに、ライカがこれほど怒っているのは、僕の軽率な行動が原因だ。

 変ないたずら心など無視して、普通に彼女に話しかければよかった。


「あなたは少しも、分かっていないわよ! 」


 ライカは頭を下げている僕に向かって、叫ぶ様に言う。


「私はね! あなたが海に1人ぼっちでいると思って、ちゃんと救助してもらえるか心配で! 基地に帰って来る間のこともよく覚えてないし、昨日はよく眠れなかったし、お夕飯も朝ごはんもお昼ごはんも、全然、食べられなかったの! それなのに、それなのに、あなたときたら! いきなり帰って来て、私のことを驚かせて! 」


 ライカは、泣いている様だった。


「もう、散々よ! 海には落ちそうになるし、びっくりするし、あなたは全然、私の気持ちが分からないし! ……胸にさわったのに、気づきもしてないし! 」


 僕は、頭を下げたまま黙っていた。

 ライカが言いたいこと、その全てを聞くことが、今の僕が彼女にできる精一杯だからだ。


「何なのよ、何なのよあなたは! 私がこんなに心配して、不安で、苦しい思いをしていたっていうのに、全然、なんてこともなかっみたいに帰って来て! ……こんなの、こんなの、私がバカみたいじゃない! 」


 心の中で渦を巻いていた感情を一通り吐き出し終わったのか、ライカは、それで口を閉じた。

 ただ、しゃくりあげる様な声だけが聞こえてくる。


 僕は、恐る恐る、彼女を見上げた。

 今、僕は跪(ひざまず)いているから、小柄なライカでも、見上げる様な形になる。


 彼女は、思った通り、泣いていた。

 その青い瞳からはとどまることなく涙が溢(あふ)れ出し、ライカの頬を伝い落ち、彼女がそれをぬぐっても、ぬぐっても、零(こぼ)れて来る。


 僕は、一瞬だけ、そんな彼女の姿に見とれていた。

 自分でもよく分からないが、ライカの姿を、僕は綺麗だと思っていた。


 それから、自分の胸が苦しくなるのを自覚する。

 僕は、ライカがこんな風に泣いているところを見たいと思っていたわけでは無かった。

 彼女を驚かそうとしたのも、僕が元気であることを示して、彼女が笑ってくれるだろうと思ったからだ。


 僕は、ライカに向かって、もう一度頭を下げた。


「ライカ、ごめん! もう、こんなことはしないって、もっと、君の気持ちを考えるって誓うよ。ライカからの指示だって、聞き逃さない様にする! 撃ち落とされて、君を心配させるようなことは、もう絶対にしない! 約束する! 」


 ライカは、僕の言葉に答えてくれなかった。

 だが、僕の言葉はきっと、彼女に届いているはずだ。

 僕は彼女を見上げると、僕の胸の中にある感情を言葉に込めた。


「だから、もう、泣かないでよ、ライカ」


 ライカは、まだ泣いていた。

 だが、少し、おさまって来ている様だ。


「立って、ミーレス」


 やがて、ライカは服の袖(そで)で目元をごしごしと拭うと、僕にそう命じた。

 僕は当然、言われた通りにする。


 僕が立ち上がると、ライカは数歩前に出て、僕の胸にぽすん、と顔をうずめた。


「ミーレスの、バカ」


 そして、ライカは僕に向かって言う。


「約束を破ったら、もう、絶対に許さないんだから」


 そんなライカの肩に、僕は少し迷った後、自分の手を回して、彼女を抱きしめた。

 服の布越しに、じんわりとライカの体温が伝わってきて、胸の奥まで暖かくなっていく様な気がした。


「ああ。約束するよ、ライカ。絶対に」

「うん。ミーレス。絶対だから」


 僕の胸の中で、ライカは微笑んでくれた様だった。


 その時、クゥワァッ! と、猛(たけ)り狂った様なアヒルの鳴き声が、辺りに轟(とどろ)いた。


 何事だろうと思って視線を向けると、そこには、アヒルのブロンがいた。

 どういうわけか分からないが、彼は僕を威嚇(いかく)する様に翼を広げ、今まさに攻撃しようとしているかのように鋭い眼光で睨みつけて来る。


 いや、彼は、実際に僕に向かって襲いかかって来た。


 しばらく前まで、ブロンはまさに食べごろ、丸々と太っていて、歩くのはのしのしと言った感じで、走るのはヨタヨタ、すぐに息切れするというあり様だった。

 天敵に襲われでもしたら、絶対に逃げることなどできない。危機感のない、自由気ままで怠惰な1羽のアヒルだった。


 だが、彼は、アリシアによって世話をされる様になってから、様変わりしていた。

 アリシアは明らかに太り過ぎだった彼に対してダイエット作戦を開始し、その作戦への協力体制を部隊全体にまで広げて構築し、断行した。

 そのおかげもあってか、今のブロンはすっかりスリムになって、しかも、アリシアが散歩などの運動もさせていたおかげで、筋肉もしっかりとついている。


 のろまにしか見えなかった彼の面影は、もはやどこにも無い。

 精悍なアヒルへと変貌(へんぼう)したブロンの突進は、何度も実弾の飛び交う戦場を飛んで来た僕をして、恐怖を抱かせるようなものだった。


「ライカ、危ない、離れて! 」

「えっ!? ちょ、ちょっと、どうしたのよ!? 」


 ブロンが僕の顔面目がけて飛びかかって来るのと、僕がライカを巻き込まないために慌てて彼女を逃がしたのは、ほとんど同時だった。


 ダイエット前のブロンであれば、どんなに頑張っても、僕の膝(ひざ)くらいの高さまでしか飛びあがることができなかっただろう。

 だが、痩(や)せて、筋肉まで身に着けたブロンは僕の腰のあたりまで軽々と飛びあがり、そこから僕のズボンのベルトを踏み台とし、自身の翼を羽ばたかせることで得たわずかな揚力をも利用し、見事に僕の顔の高さまで到達した。

 そして、その嘴(くちばし)によって、僕に激しい攻撃を加え始める。


 僕は、思わず悲鳴をあげて、その場に尻もちをついた。

 ブロンの嘴(くちばし)の先端は丸くなっているから怪我はしなかったが、それでも、突かれればかなり痛い。


 ブロンは、僕が尻もちをついてからも攻撃を止めなかった。

 それどころか、翼をバタバタさせて飛びあがっては、その足のヒレで僕の顔面を蹴りつける様な始末だった。


「こ、こら、ブロン! 何するのよ! 」


 だが、ライカがそう言ってブロンを抱きかかえ、僕から引き離すと、彼は途端(とたん)に大人しくなった。

 僕が閉じていた目を開き、状況を確認すると、ブロンは何だか不思議そうに、僕とライカとを交互に見比べている。

 それから、「あれ? 」とでも言いたげに、クワ? と鳴いて首を傾げた。


 どうやら、ブロンは僕がライカをいじめて泣かせているのだと思って、攻撃してきた様だった。

 彼はアヒルに過ぎなかったが、僕らとのつき合いも長い。そのくらいのことは、お互いに分かるようになっている。


 僕とライカは視線を交わし、それから、こらえきれずに笑い合った。


※作者の一言

 熊吉も、こんな甘酸っぱい青春を送ってみたかったものです……。

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