19-3「帰還」
老艦長に指揮されたウヴリエ ド フェールは、幸運の船だ。
それを、僕はもう疑いはしない。
対潜戦闘を終えて元の航海に戻ったウヴリエ ド フェールの損傷状況は、朝が近づき、周囲が明るくなり始めるまでははっきりと分からなかったのだが、ほとんど無傷と言っていい状態だった。
敵の潜水艦に体当たりした後に行われた点検では、わずかな浸水さえも発見されなかったのだが、それは見落としなどがあったからではなく、本当にダメージらしいものを受けていなかったためだ。
傷らしい傷と言えば、潜水艦に体当たりをした時に塗装がはがれて、すり傷のように接触した跡が船体に残っている、それだけだ。
僕はあまり信心深い人間では無かったが、これだけの現実を見せつけられると、老艦長と彼に指揮されたウヴリエ ド フェールの強運をもう、信じるしかない。
僕たちを攻撃したのは、帝国軍の潜水艦だった。
彼らはオリヴィエ海峡を通行する王立軍の艦艇を攻撃せよとの任務を受けてここまで進出して来たのだが、ウヴリエ ド フェールを発見した時、戦果をあげる絶好の機会が来たと思ったらしい。
だが、彼らには十分な数の魚雷が無かった。
それは、前日の夜に、帝国艦隊へと向かう王立海軍の艦隊を発見し、雷撃を加えていたからで、その時の戦いで魚雷を最後の1本を残して使い果たしてしまっていた。
そこで、彼らは慎重に計算して狙いを定めて魚雷を発射したのだが、彼らが放った魚雷は、命中せずに回避されてしまった。
これは、ウヴリエ ド フェールの老艦長が不思議な勘の冴(さ)えを発揮して、雷跡の発見前に回避運動を開始したおかげだった。
魚雷が命中したと僕が勘違いしてしまった大きな揺れは、この時の回避運動によるものであったらしい。
だが、最後の魚雷がかわされたからと言って、20000トンに迫る大型船という大きな獲物を、帝国軍はどうしても見逃したくなかった。
そこで帝国軍は潜水艦に装備されていた大砲を使用しての浮上砲戦を挑んで来たのだが、それが、彼らの運の尽きだ。
彼らにとっての誤算だったのは、ウヴリエ ド フェールが非武装船ではなく、何門もの大砲を備えた特設巡洋艦だったことだ。
帝国の潜水艦は僕らを非武装の貨物船だと思って攻撃し、反撃なんてされないだろうとタカをくくって浮上砲戦まで挑んで来たのだが、潜水艦には大砲が1門しか装備されておらず、ウヴリエ ド フェールとの砲撃戦で撃ち負けてしまうことになった。
彼らは被弾した際の誘爆で、潜水艦の最大の利点である「海に潜(もぐ)る」ことが実施不可能となり、何とか逃げようと回頭を始めたものの機関も不調を起こしてしまって、突進してきたウヴリエ ド フェールから逃れることができなかった。
潜水艦に直撃した砲弾は1発だけだったが、その1発が彼らにとっての致命傷になった。
何と言うか、ウヴリエ ド フェールの強運さとは正反対だ。
救助された潜水艦の乗員たちは皆、不運が重なったことに加え、捕虜になったショックもあって気落ちした様に肩を落としており、僕は思わず同情してしまったほどだった。
僕が少しも予想していなかった出来事の後は、ウヴリエ ド フェールの行く道は穏やかなものだった。
オリヴィエ海峡の中にまで敵の潜水艦が入り込んでいることが明らかとなり、老艦長は見張り員の増員を指示して、船は厳戒態勢で進むことになったが結局、タシチェルヌ市に入港するまでこれ以上のトラブルは何も無かった。
見張には、僕たちパイロットも協力させてもらった。
何しろ、パイロットには視力がいい者が多い。だから見張には適任だった。
僕たちとしてもせっかく助かったのだから、このまま無事に仲間たちのところに帰りつきたかったし、協力を惜しむ様な理由は何も無い。
夜の海というのをじっくりと眺めるのはこれが初めてだったが、美しい景色というよりは、不気味な印象の方が強かった。
夜の海は明るい昼に見るものと違って黒く、暗闇が形を持ってうごめいている様だった。
子供のころ、地下室に勝手に入らない様にと両親からいろいろなおとぎ話を聞かされたが、そのお話の中に出てくる様々な怪物が、今にも飛び出してきそうな感覚だった。
そして、その海の中にはおとぎ話の怪物ではなく、敵の潜水艦という、現実の脅威が潜(ひそ)んでいるかもしれないのだ。
もちろん、良い意味で印象的な部分もあった。
波が月の明かりを反射して輝く様子は、細かく砕いた水晶をまき散らした様で、とても綺麗だった。
その光の中を、イルカと呼ばれている海獣が飛び跳ねたりしたのだが、そんな景色は船に乗っていても滅多(めった)にみられるようなものではないらしく、僕はライカの様にカメラを持っていないのが残念でならなかった。
やがて、徐々に東の空が白くなり始め、朝がやって来た。
明るくなっていく中で、夜通し敵の姿を警戒し、無言のまま海を見つめ続けていた僕たちが最初に聞いた声は、「港に着いたぞ! 」と叫ぶ船員の声だった。
僕たちは予定よりも少しだけ遅れてしまったのだが、無事にタシチェルヌ市へとたどり着くことができたのだ。
海から見るタシチェルヌ市には、王国の産業の中心地らしく、数えきれないほどたくさんの工場の姿があった。
それらの工場は戦争の遂行(すいこう)のために夜も眠らずに活動を続け、今も、空に向かって建ち並んだ数々の煙突からはもくもくと煙が吐き出され続けている。
中には爆撃によって破壊されたまま、復旧されないままになっている工場もあった。
工場だけではない。恐らくはそこで働く労働者たちの住処(すみか)であったはずの住宅や、そういった労働者たちを相手に商売をしていた商店などが建ち並んでいたはずの区域が、その地区ごとまるまる焼失してしまった場所もある。
数カ月前まで激しく行われていた、連邦軍による戦略爆撃の傷跡だった。
胸の中が寒くなる様な光景だ。
戦争によって、失われなくてもよかったはずの物が次々と失われ、奪われていく。
しかも、王国にとっては本来、無関係と言っても良かったはずの戦争で、だ。
これほど理不尽で、虚しいことは無いだろう。
だが、そこには希望もあった。
焼けた街並みの中を、たくさんの人々が歩いている。
どうやら、焼け跡の外に作られた避難民のキャンプから、工場へ働きに向かう通勤者たちの様だ。
その多くは元々ここで働いていて、爆撃で家を焼き出されてしまった人たちなのだろうが、中には、王国のいろいろな地域から避難してきた人たちも混ざっているに違いない。
街並みは焼けてしまったが、生き残ることができた人々は、精一杯生きようと努力している。
ふと、あの中には、僕の家族も混じっているのだろうかと思った。
僕の妹のアリシアから聞いた話だと、僕の家族は故郷から王国の南部へと避難し、今はタシチェルヌ市の近郊に作られた難民キャンプで暮らしているらしい。
キャンプには工場労働者の募集も来ていて、毎日、通勤用のトラックが往復しているとのことだった。
下の弟や妹たちはまだちゃんと働けるほどの年ではなかったからあの中にはいないかもしれないが、僕の父さんなら、いてもおかしくはない。
父さんは確か、故郷の街を守るために戦った後、難民キャンプで家族と再会し、家族を支えるために前線に戻らずにキャンプに残っていたはずだ。
通勤者たちの間をのろのろとたくさんの人を乗せたトラックが走っていくが、もしかすると、父さんもその中にいるのかも知れなかった。
僕は、家族がどうしているのかを確かめてみたかった。
直接目で見える様な距離にはいなかったが、僕は今、この戦争が始まってから一番、家族に近い場所にいる。
だが、ゆっくり家族を探している時間も、難民キャンプをたずねる様な時間も、僕には無かった。
生き残った僕には、やらなければならないことがある。
そして、僕が戦闘機に乗って飛ぶことは、あのたくさんの人の中に混じっているかもしれない僕の家族を、守ることにも繋(つな)がるのだ。
きっと、平和な時代はやって来る。
家族と再会して喜ぶのは、その時まで取っておこうと思う。
タシチェルヌ市の港は王国でもっとも大きな港で、戦争が始まる前は、入港待ちの商船で行列ができるほど賑わっていた。
だが、ウヴリエ ド フェールは少しも待たされることも無く、すぐに港へと入港することができた。
これは、連邦と帝国が行っている海上封鎖により、外国との貿易がほとんどストップしてしまっているからだ。
王国の国内の輸送、特にタシチェルヌ市とクレール市との間の輸送は今も活発に行われているから、船の出入り自体はあるのだが、港の受け入れ能力と比べるとずっと少ない量しかない。
港の中には、運ぶべき積み荷を失って、手持無沙汰(てもちぶさた)そうに錨(いかり)を下ろして停泊している船舶の姿が何隻もあった。
その合間に作られた水路を、ウヴリエ ド フェールはタグボートの助けを得ながら進んで行き、岸壁の1つに横づけして停泊した。
すぐに乗員の出入りのためのタラップが下ろされ、救助された王立軍の将兵と、獲得した捕虜たちの上陸が始まった。
幸運をもたらす老艦長によって指揮された強運の船、ウヴリエ ド フェールとお別れする時が来たようだ。
ウヴリエ ド フェールでは以前乗った船の様に船酔いはしなかったし、強運の持ち主であることは疑いようもなく、その船から降りることは何だか名残惜しい様な気持ちもしたが、僕には戻らなければならない場所がある。
僕は見送りに集まった船員たちや、幸運の老艦長たちに敬礼をし、お礼を言うと、駆け足でタラップを降りて行った。
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