18-32「ウヴリエ ド フェール」

 「セイウチ号」は、順調に海の上を走り続けていた。

 副機長によると、もうすぐ陸地も見えてくるのだという。


 僕としては、もう王国の土を踏みしめることができるだけで満足という気分だったが、このまま「セイウチ号」で陸地に乗りつけるのには問題もあった。

 これから見えてくる陸地が、王国の支配下にあるのか、それとも帝国の占領下にあるのか、それが分からないからだった。


 一応、機長たちは航法を計算して、まだ王国の支配地域となっているはずの場所を目がけて進んでくれている。

 だが、ついて見なければ、正確な状況は分からない。

 それに、もっと問題なのは、王国の東側の海岸線は断崖が多く、たどり着けたとしても、このままではうまく上陸できないかもしれないということだった。


 海を漂流していた状態から助けてもらえたのだから、その幸運と比べれば些細(ささい)なことに思えてしまうが、結局、王国に上陸できなければ、どんな幸運も意味が無くなってしまう。

 上陸できても、味方と合流するために敵中でサバイバル、というのは嫌だ。

 僕は同じ様なことを経験済みだから、心の底からそう思う。


 だが、僕たちは、自分たちが思っているのよりもさらに幸運だったらしい。

 何故なら、王国の陸地まであと数キロほどというところで、友軍の船を見つけることができたからだ。


 それは、王国が民間から徴用して、連邦や帝国が敷(し)いた海上封鎖線を突破し、外国から貴重な資源や物資を持ち帰るのに使われていた貨物船だった。

 今は王立海軍に属する船とはいえ、元民間の貨物船がどうしてこんなところにいたのかといえば、それは、今日の戦いで遭難したパイロットの救助を支援するために出動してきた船だったからだ。


 最初、僕たちは帝国軍の輸送艦にでも遭遇(そうぐう)してしまったのかと警戒した。

 「セイウチ号」には、武装がほとんどない。あるのは自衛用の機関銃が1丁だけだ。

 これでは、例え輸送艦が相手であっても、あまりにも頼りない。

 輸送艦には自衛のためにいくらかの火器が備わっているのが一般的で、様々な大砲や機関砲、機関銃を装備している。

 戦闘を主目的とする軍艦とは比べ物にならない貧弱な装備ではあったが、それでも、「セイウチ号」では太刀打ちできないのは明らかだった。


 何より、今の「セイウチ号」は飛ぶことができない。

 敵か味方かよく分からないまま近づいて、それがもしも敵だったら、反撃することも逃げることもできないのだ。

 だから、慎重すぎるほど慎重にならなければならなかった。


 だが、僕らが見つけたその貨物船には、王国の所属であることを示す国籍旗がかかげられ、南風に吹かれて堂々と翻(ひるがえ)っている。

 その旗を目にした時、僕たちはとても喜んで、機内には歓声や口笛、手を叩く音などが響いた。


 王立海軍所属のその船、「ウヴリエ ド フェール」、「鉄の働き者」という意味の名前を持つそれは、僕たちの姿を発見すると、手旗信号と発光信号で救助を申し出てくれた。

 無線を使わないのは、帝国軍に所在を発見されないため、無線封鎖を行っているからだ。

 副機長が発光信号で救助を要請すると、ウヴリエ ド フェールからは動力つきの小型艇が2隻降ろされ、船の近くで停止した「セイウチ号」へと向かってきた。


 それは、僕たちと、素晴らしい飛行機である「セイウチ号」との、別れの時だった。

 ウヴリエ ド フェールからやって来た小型艇は、救助された僕たち8人の搭乗員を乗せると、僕らを船へと運んで行ってくれた。


 僕たちの移動に使われたのは、2隻やって来た内の1隻だけで、もう1隻はどうやら、「セイウチ号」に燃料を補給するためにやって来たらしい。

 その小型艇には、ドラム缶に積まれたガソリンや、遭難者の救助に使う道具などが用意されており、僕たちが迎えに来た小型艇に乗り込み、船に向かって動き出すころには、手動式のポンプを使って「セイウチ号」への燃料補給が始まっている。


 どうやら「セイウチ号」は、これからもう1度飛び立って、日が暮れて遭難者の捜索が難しくなる時間まで目いっぱい、救助を続ける様だ。

 敵と遭遇するかもしれない空に戻っていくことは、かなり勇気のいることだ。

 ましてや、あまり速度が出ない機体で戻っていくのは、なかなかできることではない。


 救助された僕たち8人の搭乗員は、小さくなっていく「セイウチ号」とそのパイロットたちに向かって、小型艇の上で整列して敬礼をした。

 救助してくれたことへの感謝と、そして、これからもう1度遭難者の捜索に向かう彼らに、幸運があることを祈るためだ。


 機長と副機長は、操縦席で一仕事終えた後の煙草をくゆらせながら、僕たちに軽く敬礼を返してくれた。

 若い見習いの搭乗員も、救助のための道具を積み込む手をちょっとの間止めて、僕らに敬礼をして応えてくれた。


 僕と仲間たちは、王国で「守護天使」などと呼ばれているが、僕にとっては、彼らと「セイウチ号」こそが天使だった。

 彼らがより多くの人々を救い、そして、無事に帰って来られる様に、僕は精一杯、気持ちを込めて祈った。


 僕たちを乗せた小型艇は、ウヴリエ ド フェールの舷側に横づけすると、そこでクレーンから下げられたワイヤと接続され、そのままクレーンで船の上へと吊(つ)り上げられた。

 甲板にまでたどり着くと、そこには何人もの王立軍の兵士たちが待っていて、僕たちを船内へと案内してくれた。

 案内された先は船内の医務室で、そこで僕たちは、軍医による診察を受けることができた。


 医務室には僕たち用の着替えも用意されていたし、シャワーもあった。

 僕はそこでシャワーを浴びて身体をきれいにし、びしょ濡れのままだった衣服を着替えることができて、ようやく、自分が助かったのだということを実感することができた。


 それから、僕たちには暖かい食事が待っていた。

 衰弱しているかもしれない遭難者のために用意されたその食事は、粥(かゆ)などの簡易的なものではあったが、それでも、実際に何時間も漂流して、空腹だった僕たちにとっては十分過ぎる御馳走だった。


 食事を食べている間、ベイカー大尉が、配膳をしてくれた船の乗組員に、戦況がどうなったのか、これからこの船はどう行動するのかを聞いていた。


 戦況については、まだ、正確なことは何も分かっていないのだという。

 ウヴリエ ド フェールは今日の戦いによって生じた遭難者の救助を支援せよという命令を受けて出動してきたが、敵の攻撃を避けるために無線封鎖中であり、外部からの情報は無線傍受(むせんぼうじゅ)に頼るしかない。


 傍受(ぼうじゅ)した無線によると、少なくとも、王立空軍が帝国艦隊への大規模な攻撃を実施し、その後で王立海軍の艦隊が敵艦隊への突入に成功したということは分かっている。

 だが、その後のことは、断片的にしか分からず、王国がその作戦目的を果たしたのかどうかは、分からない。


 ウヴリエ ド フェールの今後の行動については、はっきりしていた。

 船はこのまま、深夜までこの近海に留まり、遭難者の救助を支援する。

 だが、その後は、救助することができたパイロットたちを乗せて、タシチェルヌ市に向かって移動を開始するのだという。


 これは、捜索を1日で打ち切るということでは無く、王国にとって貴重な存在であるパイロットを少しでも早く基地へと帰還させ、また戦列に復帰してもらう、ということだった。

 王国が救助を行っているのは、少しでも多くの命を助けるという目的ももちろんあるが、しかし、王国にとって、戦況が厳しいというのも事実だ。

 貴重な戦力であるパイロットたちを遊ばせておく余裕は、王国には無い。


 救助は、ウヴリエ ド フェールが去った後も引き続き行われる。

 捜索の支援は、入れ替わりに別の船がやって来て行うことになっているし、詳細は分からないものの、他に潜水艦なども活動しているらしい。


 どうやら、明日にはタシチェルヌ市に到着できそうだった。

 そこから、僕の仲間たちがいるクレール第2飛行場まで帰るのにはもう少し手間がかかるが、どちらにしろ、僕は帰ることができるのだ。


 僕はそう思いながら、残りの粥を器ごと持ち上げて、スプーンを使って勢いよく口の中にかきこんだ。

 お行儀が悪いと、母さんやライカなどが見たら眉をひそめるかもしれないが、今は誰も咎(とが)める様な人はいない。


 それに、無性に、風に当たりたくなってしまった。

 以前船に乗った時の様に酔ったわけでは無かったが、とにかく、頭を冷やして、落ち着きたかった。


 出された粥は、王国ではどこでも食べられることがあるありふれたもので、何の変哲(へんてつ)もないものだったが、それが僕の体の中に入り、その暖かさが体中に広がって来た時、どういうわけか、僕は心の中はざわついた。

 僕には、その暖かさが、嬉しくて、辛かった。


 僕は、生きている。

 こうして、目で見て、鼻でかいで、耳で聞いて、肌で触れて、心で何かを感じている。

 僕の心臓は今も一定のリズムで鼓動し、僕の肺は膨(ふく)らんだり、しぼんだりをくり返している。

 体中に広がった粥の暖かさが、そのことを僕に思い起こさせてくれる。


 僕は、かなり幸運だった。

 大海原にポツンと、孤独に漂っていたのに、「セイウチ号」が僕を見つけ出してくれた。

 だが、この戦いでは、たくさんの人間が命を失った。

 今もきっと、来るかどうか分からない救助を待ちながら、この海のどこかを漂っている人だって、大勢いるはずだ。


 生き残って、助かって本当に良かったという気持ちと、目の前で多くの死を見て来た苦痛、そして、まだ海に取り残されているであろう人々への切なさで、僕の感情はぐちゃぐちゃにかき混ぜられている。


 助かって嬉しいという気持ちと、死んでしまった人や、まだ漂流しているかもしれない人がいるのに、自分が生きのびて嬉しいと思ってしまう自分に対する嫌悪感。

 生き残ってしまって、申し訳ないという気持ち。

 この、どうにもうまく処理できない気持ちと向き合う方法は、1つだけだ。


 生き残った僕は、何かをすることができる。

 死んでしまった人たちにはできなくなってしまったことを、僕は、できる。

 そして、やらなければならない。


 甲板へとたどり着くと、もう、世界は夕焼けに染まり始めていた。

 船上からは王国の大地がかすかに見え、その地平線に、赤くなった太陽がゆっくりと沈んでいく。

 毎日のように、くり返される景色。


 それを明日も、明後日も、変わらずに見られるという保証はどこにもない。

 生きることと、死ぬことは、表裏一体のもので、決して、切り離すことができないものだ。

 そうであるのなら、生きている僕は、生きている人間にしかできないことをやる。


「よしっ! 」


 僕は、その夕日を眺めながら、自分の頬を両手でバシバシと叩いて、自分で自分に気合を入れ直した。

 僕は、帰ったらまた、仲間たちと飛ぶつもりだ。

 この戦争が終わるその時まで、少しでも多くのものを守るために。

 命を失ってしまった人が、できなくなったことを、僕が代わりになってやるのだ。

 それが、生き残った僕にできることで、僕がやらなければならないことだった。

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