18-31「ウイスキー」
定員オーバーのために飛び立てなくなった僕らの「セイウチ号」は、海原をかき分けながら、今は飛行機ではなく船として進んでいた。
離陸できるほどの速度は重すぎて得られないのだが、それでも、船として見ると「セイウチ号」はずいぶん速い速度で海面を走っている。
窓が少ないので胴体の中からは外の様子が見えないのだが、かなり機体が揺れているので、その速さは簡単に想像できる。
「セイウチ号」は、大きな波を乗り越える度に、一瞬だけだがふわりと空中に浮かび上がった。
飛ぶのには足りないが、セイウチ号の翼は今も揚力を生み出しているから、空に浮かべるのは当然だ。
そして、またすぐに着水して、波をかき分けて進み続ける。
前後左右にかなり揺さぶられているのだが、不思議なことに、以前、船に乗った時の様に酔う様なことはなかった。
大きさも速度も違うが、セイウチ号は海の上を走っている。だから、船に乗った時と同じように船酔いするはずなのだが、どういうわけか気分は悪くならなかった。
船の揺れは長くて小さく、不規則なものだった。「セイウチ号」の揺れも不規則なものだったが、短くて激しい揺れだ。
揺れ方が違うおかげで酔わないのかもしれないが、一番の理由は、「セイウチ号」は例え飛べなくても、飛行機だからかもしれない。
機内の雰囲気は、明るいものだった。
みんな敵の攻撃で撃墜されてしまって、海を漂流するという経験をしてしまったのだが、無事に救助されて、生きて王国に帰れるということから、自然とそうなっているのだろう。
救助された搭乗員たちは、口々に、今日の戦いでの戦果はどうなったのだろうとか、敵の対空砲火のすさまじさについて話し合っている。
帝国の艦隊に攻撃を行う時は、任務を成功させることができるかどうかや、敵機や対空砲火による危険に身をさらしていることで緊張して硬くなっていたはずだが、無事に任務を果たし、生き残ると、緊張もほぐれる。
ベイカー大尉たちはどうやら、敵の戦艦に爆弾を命中させてきたらしい。
雲のせいで空母を発見できず、やむを得ず戦艦を爆撃したということだったが、帝国の軍旗がかかげられていたマストを折ってやったと、自慢げに話し合っていた。
その後、大尉たちは撃墜されてしまうのだが、その時ベイカー大尉が示した見事な操縦の腕前についても、いい話のタネになっている様だ。
同じ機に乗っていた全員がこうして救助されているのだから、大尉たちの雰囲気が明るいのも当然だっただろう。
僕も嬉しかった。
このままいけば、どうやら生きて王国に帰りつけるだろうし、また仲間たちや家族と顔を合わせることができそうだ。
これで、嬉しくないはずが無い。
だが、僕は、目の前でたくさんの犠牲を見て来た。
全滅と引き換えに魚雷を命中させた207A。
そして、その魚雷によって沈んでいった敵空母の乗員たち。
生きて帰れる僕たちと、帰れなかった人たちとの違いは、何だろうと思う。
戦う以上は、誰かが傷つき、誰かが命を失う。
それは、当たり前のことで、僕だって、出撃する前は、今度こそ自分の番になるかもしれないといつも思う。
もう半年以上前になるが、僕はフィエリテ市を流れる河に不時着したことがあった。その時僕を助けてくれた男性から習ったおまじないを、今でも出撃前には必ずやっているが、その祈りを欠かさないのも、今日こそは自分の番かも知れないという不安を少しでも打ち消すためだ。
そして、僕は今日の戦いでも生き残った。
だが、そうならなかった人たちだって、僕と同じ様に生き残りたいと願っていたはずだ。
「どうした、ミーレス。落ち込んでいる様な顔だが、どこか、体調でも悪いのか? 」
僕が会話に加わることも無く悩んでいると、ベイカー大尉がそれに気がついて声をかけて来てくれた。
任務の前や任務中は、厳しい人、という印象があったが、こうしてみるとけっこう面倒見のいい人なのかもしれない。
僕は、自分の悩みを打ち明けようかどうか、迷った。
雰囲気としては話しても良さそうだったし、ベイカー大尉は僕の気持ちを聞いてくれそうな感じがしたが、あまり親しい間柄でもない大尉に、個人的なことを話すのもどうなのかな、と思う。
「ま、言いたくないなら、言わなくてもいいさ。今日の戦いはいろいろ辛かっただろうしな」
大尉は、僕が迷っていることを察してくれたのだろうか、深くは踏み込んで来なかった。
だが、その次に大尉が口にした言葉で、僕ははっとした。
「自分も、いろいろ思うところはあるからな。我々はこうして生き残ったが、同じ部隊の仲間でも、やられたやつらもいるだろう。……今回の作戦には、パイロットコースの訓練生だったころの同期だった奴もたくさん参加しているんだ。特に、俺はヴィクトル大尉とは親友でな。奴は俺よりも腕がいいくらいなんだが、雷撃部隊だったから、どうなったことやら」
ヴィクトル大尉。
それは、207Aの指揮官だ。
僕と彼とは、ほんの数分の間だが同じ編隊を組んで飛び、そして、僕は彼らの最後をこの目で見ている。
そのヴィクトル大尉と、ベイカー大尉は親友であるという。
僕と、ジャックの様なものだ。
僕は、ジャックに生きのびていて欲しいと思っているが、もし、仮に、ジャックがこの戦場で倒れることになったのなら、その最後の状況を知りたいと思うだろう。
もし、僕が戦死して、ジャックが生きのびていたら、彼も同じ様に思ったはずだ。
僕がジャックのことを心配する気持ちと、ベイカー大尉がヴィクトル大尉のことを心配している気持ちは、全く同じものだった。
そして、僕は、ヴィクトル大尉の最後を知っている。
海面にうまく着水した機もあったから、本当に207Aの全員が戦死したわけでは無かっただろうが、少なくとも、大尉が帰って来ることは2度と無いだろう。
大尉が乗っていた機体は、敵艦からの対空砲火の直撃を受けて炎に包まれ、そして、敵空母へと体当たりする直前で、空中でバラバラに砕け散って行ったからだ。
あれでは、どんな幸運があろうと、助かることは無い。
例え無傷で機体から脱出できたとしても、海面に叩きつけられてしまう。
僕は、ヴィクトル大尉たちがどうなったのかを知っている。
それを知っているのは、恐らくは、ライカと、僕だけだ。
もしそうであるのなら、僕は、ベイカー大尉にヴィクトル大尉のことを話すべきだ。
死者は、何も語れない。
だが、恐らくは、彼らは自分がどんな風に戦い、死んでいったのかを、自分がどんな風に生きたのかを、できることなら家族や友人に伝えたいはずだ。
それができるのは、どういうわけか生きのびてしまった、生者である僕しかいない。
僕は、話すべきことを頭の中で整理した後、他のパイロットたちとの会話に戻って行ったベイカー大尉に呼びかけ、ヴィクトル大尉たちのことを打ち明けた。
僕とライカが、乱戦の中で偶然、207Aと合流し、ヴィクトル大尉たちを護衛したこと。
207Aは敵空母を発見して攻撃を行い、そして、3本の魚雷を命中させ、撃沈することに成功したこと。
207Aはそれと引き換えに全滅し、ほぼ確実に、ヴィクトル大尉は戦死してしまったということ。
そして、僕には、自分が生きのびて、勇敢に戦った207Aが生きのびることができなかった違いが、分からないということ。
ベイカー大尉は最初、突然話しかけて来た僕に戸惑っている様子だったが、たどたどしい僕の話し方でも、何を言おうとしているのかを理解してくれ、途中から真剣に僕の話を聞いてくれていた。
「そうか。207Aは、ヴィクトル大尉は……。そうか……」
僕が話し終えると、ベイカー大尉は、自身の中の感情を噛みしめる様にそう言った。
それから大尉は、短く黙祷(もくとう)を捧げ、ウイスキーの入っているボトルを祈る様に天に向かって捧げると、それを一口、ゆっくりと味わいながら飲み込んだ。
「俺とヴィクトルは、不思議と気の合う仲間でな。部屋も一緒だったし、パイロットコースにいた時は結託(けったく)していろいろ悪さもしたんだ。その時はまだ若かったしな。……奴は、いいパイロットだった。同期の中でも1番腕が良くて、頭もいいから、俺たちの中じゃ出世頭だったんだ。もう少し生きてれば、少佐にだってなれたはずだったんだがな」
いつの間にか、機内は静まり返っていた。
先ほどまでは生き残ることができた安堵(あんど)から明るい雰囲気だったのだが、やはり、それぞれの内側には、抱えているものがあったのだろう。
誰にも大切な人、守りたい人がいる。
それがあるから、どんなに恐ろしくとも、僕たちパイロットは戦場に向かって飛んでいくことができる。
やがて、ベイカー大尉がポツリと、呟くように言った。
「そうか……。そういえば、アイツはソレイユの出身だったな。家族が住んでいると言っていた。……だが、死んじまったら、どうにもならないだろうが」
大尉はウイスキーのボトルにもう1度口をつけると、何かをこらえる様に天井へと顔を向けた。
自然と、機内のパイロットたちの間で、ウイスキーの回し飲みが始まった。
それは、自分が守ると決めたもののために必死になって戦い、命を失っていった人々に対する、複雑に入り組んだ気持ちを全員で共有して、死者を悼(いた)むための儀式だった。
僕も、一口だけだが、ウイスキーを飲んだ。
最初に渡された時はとても飲み込めなかったが、今は、無理やりにでも飲みたい気分だった。
やはり、僕にはウイスキーの良さは分からない。
ただ、体中がカッとなって、少し息苦しくなるだけだ。
だが、僕は、この時飲んだその味を、これからずっと、覚えているだろう。
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