18-29「飛行艇」

 僕が海に漂い始めてから、いったい、どれくらいの時間が経ったのだろう。

 数時間?

 10時間?

 全く、分からない。

 防水仕様のおかげで最初は動いていたはずの腕時計がいつの間にか止まってしまったせいで、どれだけの時間が経過したのか、知る方法は無くなってしまった。

 防水と言っても、あまり長く水に浸(つ)かっていると駄目になってしまうらしい。

 海水だから良くなかったのかもしれない。


 10時間というのはさすがに大げさだったかもしれないが、僕の気持ちとしてはもう、そのくらいは海に浮かんでいる気分だ。


 王立空軍と帝国の機動部隊との間に起こった戦いは、早朝に行われた。

 だから、僕が機体を失って海に着水してしまった時間も、まだ朝だった。

 だが、海に漂っている間に、太陽は僕の頭上を通り過ぎ、もう西に傾き始めている。

 10時間は経っていないかもしれなかったが、もう、何時間も海にいるのは確かだ。


 救助が来てくれる気配は、未だに無い。

 僕は絶対に生きのびるつもりだったが、やはり、今回ばかりは無理なのではないかと、そんな風に思えてしまう。


 弱気になってはだめだ。

 今はきっと、帝国軍との戦いが忙しいだけだ。

 戦いが少し落ち着けば、必ず、救助は来てくれる。


 ケレース共和国からの食糧を輸送する船団を護衛した時も、そうだった。

 戦いが終わった後、王国は遭難したパイロットを救出するために飛行機や潜水艦を派遣し、漂流していたパイロットたちを救出することに成功している。

 今回だって、王国はいろいろな手段を使って、僕たちを救助してくれるだろう。


 戦況はいったい、どうなったのだろうか。

 僕たち王立空軍による総力をあげての攻撃は、多くの犠牲を伴ったが、成果も得られているはずだ。

 少なくとも、帝国の大型空母が1隻、沈没していくのを、僕はこの目で見ている。


 王立空軍機による攻撃の後には、王立海軍が敵艦隊へと突入することになっていた。

 僕は王国の艦隊が突入するところを見ていないが、海に浮かんでいる時、遠くの方から、無数の砲声の様な音も聞いた。

 確証は何も無かったが、きっと、王国の艦隊が帝国の艦隊に突入し、激しい砲撃戦を行っていた音だろう。


 その音は、戦いが終わったのか、少し前に聞こえなくなった。

 王国は、勝ったのか。

 それとも、負けてしまったのか。

 僕にはその結果を知る術が無いのが、もどかしい。


 王国には、僕が思っていたよりもずっとたくさんの軍艦があった。

 最新鋭の戦艦であるロイ・シャルルⅧを始め、強力な大砲と装甲を備えた戦艦が7隻もあって、今回の作戦ではその全てが帝国艦隊に向かって殴り込みをかけることになっていた。


 だが、帝国の側にも、戦艦は何隻もいる。

 王国には存在し無い艦種である航空母艦だって、帝国はたくさん持っていた。

 そんな強力な敵に対して、王国の艦隊はどんな風に戦い、そして、どちらの側が勝利したのだろうか。

 どれだけの損害を敵に与え、また、どれだけの被害を味方が受けたのか。


 僕は、戦いの結果を知りたかった。

 それが王国の将来を大きく左右するという以上に、僕自身が救助されるかどうかにも大きく関わって来ることだからだ。


 もし、味方が勝っていたのなら、救助はきっと来る。

 帝国の艦隊が完全にこの世界から消滅してしまうということはまず無いだろうが、それでも、王国との戦力差は小さくなり、帝国軍の活動は確実に弱まる。

 そうなれば、航空機や潜水艦などで僕たちの様な遭難者を捜索し、救出することだってできるはずだ。


 だが、もしも、王国が敗北してしまっていたら。

 帝国は王国に対しての優勢を保ち、この海で活発に活動を続け、逆に王国は何も手出しができなくなってしまうだろう。

 その場合は、救助が来ることは無い。

 良くて、帝国軍に発見されて、捕虜になるだけだ。


 僕は、王国が勝利してくれていることを必死になって祈った。

 神様、そして思いつく限りの聖人に向かって、熱心に。


 帝国の捕虜になるとしても、自分が生きのびることができるならそれでもいい様に思えるかもしれないが、そうなった場合は、王国の方が失われるということになる。

 それでは、僕たちが何のために戦っているのか、分からなくなってしまう。

 命がけで敵艦へと攻撃を行った207Aが示した覚悟が、無駄になってしまう。

 僕らは、自分自身として生きていくことができる居場所を失い、帝国にとっていい様に使役されることになってしまう。


 そんなことは、嫌だ。

 死にたいわけでは無いが、できれば僕にとって望ましい形で生きのびたかった。

 贅沢(ぜいたく)な要求だったが、祈るだけならタダだ。


 そして、どうやら僕の祈りは通じた様だった。


 微(かす)かに、波以外の音が聞こえてくる。

 それはあまり聞き慣れないエンジンとプロペラの音で、どうやら飛行機が近くを通りかかった様だった。


 僕は慌てて、どこを飛んでいるのかを探した。

 そして、低空を飛行している、その奇妙な形をした飛行機の姿を見つけ出した。


 それは、飛行艇と呼ばれているタイプの飛行機だった。

 飛行艇というのは機体の胴体が船の様になっている種類の飛行機のことで、水の上から離水したり、反対に着水したりできる様に作られたものだ。


 古くて懐(なつ)かしい複葉機で、船の形をした胴体の上側に1段目の翼が取り付けられており、そのさらに上側にもう1つの翼が取り付けられている。

 エンジンは1基で、波を被らないよう、機体の上側に台を作って取り付けられており、機体の前ではなく後ろ側に取り付けられているプロペラを元気に回している。

 ぶーん、と飛んでいるその機体は、あまり速度は出せないらしい。僕からするととてものんびり、呑気(のんき)に飛んでいる様に思えた。


 僕は最初、その機を警戒して、水の中に潜(もぐ)って隠れようかと思った。

 僕はその機を見たことが無く、もしかしたら帝国軍機かもと、そう思ったからだ。


 だが、それは僕の心配のし過ぎだった。

 僕はその飛行艇の胴体に、王国の国籍章である「王国の盾」がしっかりと描かれていることを見つけて、思わず手を振っていた。


 声も出した。

 僕は、エンジンとプロペラの音で声など届くはずが無いと分かっていたが、それでも「おーい! おーい! 」と、必死になって叫んでいた。


 きっと、あの機は、今回の作戦で遭難した王立空軍のパイロットたちを救助するために出動してきた機体に違いなかった。

 あの、少しばかり古めかしく、かわいらしいとさえ思える外見をした飛行艇が僕を発見してくれれば、僕は生きのびることができる。


 逆に、あの機が僕を発見してくれなかったら、僕は助からないかもしれない。

 王国の近海の海は暖流が流れているおかげでまだ春先なのに暖かく、低体温症になる心配は少なそうだったが、それでも長い間漂流していれば身体が弱っていって、衰弱して命を失ってしまうだろう。


 それに、今、あの機に見逃されてしまったら、次に救助部隊が出動したとしても、きっと翌日になってしまう。

 もしそうなったら、夜の間に僕はどんどん流されて、捜索範囲外にまで出てしまい、2度と救助隊に発見されなくなってしまうかもしれない。


 僕は、必死に手を振った。

 あの機に発見してもらうことが、僕が生きのびる最も確実な方法であり、ただ1度だけのチャンスかもしれないからだ。


 飛行艇は、僕のことをちゃんと発見してくれた様だった。

 一度は僕を横目にしながら飛び去る様に思え、僕は絶望しかけたのだが、その直後、飛行艇は旋回して、僕の方へ向かって飛んできてくれた。


 そして、少しずつ高度を下げると、ふわりと着水をして、白い波をかき分けながら僕の近くまでやって来る。

 見事な操縦の腕前で、飛行艇は僕のすぐ近くまで来ると、乗降用に胴体側面に作られた扉が僕の目の前に来るあたりで、ピタリと停止した。

 完全に計算されつくした、並大抵の腕ではできない操縦だった。


 僕は、その機の垂直尾翼に、水兵帽を被り、パイプをくわえた小粋(こいき)なセイウチが描かれていたことを、生涯忘れないだろう。


 やがて扉が開かれると、そこからは、濃い髭をボウボウに生やした、よく日焼けした壮年の男性パイロットが顔を出した。

 彼は目の前でぷかぷか浮かんでいる僕の姿を見つけると、にっ、と笑い、少ししわがれた声で言った。


「おう! 若い兄(あん)ちゃん! どうだい、乗ってくかい? 王立海軍水陸両用偵察機、セイウチ号! 王国まで直行の、特別機だぜ! 」


 僕は、思わず泣いてしまっていた。

 もちろん、うれし泣きだ。


※作者注

 今回登場した飛行艇は、英国で運用されていた「スーパーマリン ウォールラス」がモデルです。「セイウチ号」なのはその名前が由来です。

 若かりし頃の熊吉は、「英軍はどうしてこんな低速の旧式機を運用していたのだろう? 」と疑問に思うばかりだったのですが、最近、海上を漂流中の遭難者の救出などにとても有能な機体だったことを知り、長年の疑問が解消して感動してしまったので、登場させることにしました。


 ウォ―ルラスは作中の様に着水して水上から直接遭難者を救出できる上に、要救助者が負傷していても、飛行艇なので扉の位置が水面に近く、フロート式の水上機よりも簡単に機上に救い上げることができるというメリットがありました。

 しかも車輪付きなので、陸上でも、空母でも(王国に空母はありませんが)運用できるという特徴を持ちます。

 あまりに便利だったのか、英軍は後継機にも同様の性能を求めて機体の開発を行っています。

 熊吉は、愛すべき隠れた名機だと思っています。


 最初は駆逐艦とかを出そうと思っていたのですが、ウォールラスがあまりにも印象的だったので、この様にさせていただきました。

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