18-27「着水」

 奇妙な音と振動を発しながらもどうにか動いていた僕のエンジンが停止したのは、帝国軍の艦隊の上空から離脱して、数分後のことだった。

 プロペラはすぐには止まらなかったが、それは、慣性と、機体がまだ速度を持っていて、それによって正面から受ける風の力によって回っているだけに過ぎず、もはや推進力を発生させてはくれなくなった。


 こういう時に備えて、操縦席にはエンジンを再点火するための機器が備えつけられていたが、何度か試してみても全く作動しなかった。

 僕の機体のエンジンは、完全に死んでしまった様だ。


《……ライカ。たった今、エンジンが止まった》

《ぅェっ!? ちょっと!? 再始動はできないの? 》

《無理みたいだ。何度やっても反応がない》

《えーっ!? 》


 エンジンが停止したこと、復旧の見通しが立たないことを伝えると、ライカはしばらくの間、黙っていた。

 多分、一生懸命に、どうすれば僕を帰還させられるかを考えているのだろう。

 僕は2番機で、1番機の背中を守るのが仕事だったが、その1番機は、僚機を無事に連れて帰るという責任を持っている。


《ミーレス。できるだけ機体を滑空させて、なるべく陸地に近づいてから、脱出するか、不時着しましょう。そうすれば、味方に救出される可能性が高くなるはずだし》

《了解。でも、オイル漏(も)れのせいで前が良く見えないから、ライカ、誘導を頼む》

《分かったわ! 任せておいて! 》


 方針が決まると、僕はすぐに必要な操作を開始した。

 まずは、もはや推進力を生み出さず、空気抵抗を受けるだけとなっていたプロペラを停止させて、プロペラの角度を調整して少しでも空気抵抗を減らす様にする。

 僕の機体は今、グライダーと同じ様に、滑空している状態だ。

 速度がある間なら機体は揚力を得ていられるから、飛んでいることができる。そして、速度は高度があれば維持することができる。

 つまり、空気抵抗を減らし、できるだけ速度を失わない様にすれば、それだけ僕は王国へと近づけるということだ。


 次に、僕は残っていた燃料を、全て捨てた。

 エンジンが動かなくなってしまった以上、もはや燃料は邪魔な重りでしかない。

 そんなに多くの燃料が残っていたわけでは無いから、捨てても機体が大きく軽くなるということは無いのだが、やっておかないよりはましだ。


 本音を言えば、できればキャノピーの汚れも綺麗にして、視界も確保しておきたいところだったが、僕にはどうすることもできなかった。

 汚れは操縦席の外側にあり、僕の手では届かないし、ガラスを割ろうにも、前方のガラスは分厚い防弾ガラスで、叩いても、拳銃で撃ってもどうしようもない。

 風防を後ろにずらすことで、操縦席に風がドッと入り込んで来るのと引き換えに横の視界は確保できたが、前は全く見えない。


 機体の状態を知るには、計器の表示だけが頼りだった。

 心細い限りだったが、考え方を変えてみると、これは、夜間や視界不良時に行う計器飛行と一緒だ。

 大丈夫。訓練でやったことと同じだから、必ずできる。

 僕は自分自身にそう言い聞かせた。


 それに、僕のことは、ライカがしっかりと見ていてくれる。

 彼女は細かい所まできちんと見てくれていて、僕に配慮してくれるから、とてもありがたかった。

 彼女の指示があるおかげで、僕は安心して操縦に専念することができる。


 もし、僕に十分な高度さえあったら、このまま王国の領土の上空まで飛んでいくことができたかもしれない。

 だが、僕たちは帝国の艦隊を攻撃するために洋上へと出て、いつの間にか王国からかなり離れてしまっていたらしい。

 しばらく機体を滑空させていたが、王国の陸地は見えてこない様だった。


 高度計の針が回り、僕の機体がパラシュートでの降下に必要な最低高度に近づきつつあると教えてくれる。

 ここで脱出するか、一か八か、陸地にたどりつけることを祈って滑空を続けるか、決めなければならない。


《ライカ。君から陸地は見えるかい? もう、高度が無い。脱出するか、このまま飛んでいるか、決めないと》


 僕の問いかけに、ライカは数秒、答えなかった。

 きっと、遠くの水平線に陸地が見えないかどうか、彼女の青い目を細めて確かめてくれているのだろう。


《……ミーレス。まだ、陸地は見えないみたい。このまま飛んでいても、陸地までたどり着けるかどうかは、分からないわ》


 返って来たのは、あまり嬉しい話では無かった。


 僕は、悩む。

 このまま滑空するべきか、それとも、今、ここで脱出するべきか。


 僕は、できればここで脱出はしたくなかった。

 海に落ちたくは無かったし、同じ海に落ちるのだとしても、できるだけ陸地に近づいておきたかったからだ。

 だが、どうやら陸地までたどり着くというのは、難しい様だった。

 このまま行けば、海上に不時着水することになってしまう。


 胴体着陸であれば、僕は経験がある。

 パイロットコースの訓練で、胴体の下に車輪ではなくソリをつけた練習機で、エンジンを停止させた状態で飛行場の滑走路の上に機体を不時着させる訓練をしたことがある。


 だが、設備の整った滑走路に機体を不時着させるのと、水面に機体を着水させるのとでは、難易度は全く異なっているだろう。

 それに加えて、今の僕には、前方の視界が全くない。

 そんな状況で難しい不時着水を行おうものなら、どんな事故につながるか分かったものでは無かった。


《ライカ。陸地までたどり着くのはとても無理そうだから、僕はここで脱出するよ。今ならまだ機体の操縦はできるから、上手く出られると思う》

《……分かった。ミーレス、気をつけてね! 絶対、救助は呼ぶから! 》

《了解。ライカ、後はよろしく頼む》


 僕は無線でライカに連絡をした後、数回、深呼吸をした。

 パラシュートでの降下というのも訓練でやった経験はあるが、実際にやるのはこれが初めてだった。

 僕は頭の中で数回、手順をシミュレートした後、高度が完全に無くなり切ってしまう前に機体からの脱出を開始した。


 僕は計器を見ながら機体の姿勢を安定させ、それから風防を限界まで開いて脱出経路をしっかりと確保した。

 次に、座席の下にしまってあったサバイバルキットを取り出し、身体の前方にある留め具にしっかりと装備する。

 そして、パラシュートを開く紐(ひも)の位置と、ライフジャケットを展開する紐(ひも)の位置を確かめ、酸素マスクを外した後、自分を操縦席に固定していたベルトを取り払った。


 後は、勢いをつけて機外へと飛び出すだけだ。

 その際に注意するのは、機体の尾翼にぶつからない様に飛び出すことだ。

 僕は機体をほんの少しだけ左に傾けると、機体の左側に向かって操縦席から飛び出した。


 もう高度が無いから、すぐにパラシュートを開かなければならない。

 僕はパラシュートがきちんと開いてくれる様にと祈りながら、思い切り紐(ひも)を引っ張った。


 シュルシュル、という衣擦れの音がした後、ガクンという衝撃を受けて、僕は上の方へと引っ張られた。

 どうやら、パラシュートはきちんと作動してくれたらしく、僕が海面へ向かって落ちていく勢いをきちんと減らしてくれている様だ。


 僕がパラシュートにぶら下がっていた時間はわずかなものだったが、空中にいる間に、僕が乗っていた機体の最後を見届けることができた。

 僕の機体、機体番号4211番のベルランD型は、僕が脱出した後もしばらくは空中にあった。

 だが、推力を失った機体は高度を保てず、僕が脱出する際に機体を左に傾けたために左に緩く旋回をしながら、海面へと突っ込んでいった。


 機体は、海面へと衝突した。

 左の主翼側から海面に接触した機体は、その接触した部分を回転軸としてぐるんと半回転し、海面へと叩きつけられて、そのままズブズブと沈んでいく。


 まだ受領してから日が浅く、機体寿命もたくさん残っていた機体だったのに。

 僕は、僕自身の不注意で、愛機を失ってしまった。


 僕には感傷に浸(ひた)っている時間は無かった。

 機体から脱出した僕の方も、どんどん高度を失って、海面へと近づいているからだ。


 何度もくり返しになってしまうが、僕は、泳ぐことができない。

 足のつかない、深い深い海の上に落ちるとなると、恐怖も一層大きかった。


 だが、僕の足元には何も無いのは事実で、変えられない現実だ。

 僕は着水に備えて両足をそろえ、着水したらすぐにライフジャケットを作動させられる様に紐(ひも)に手をかけ、空気を思い切り吸い込んで息を止めた。


 僕は、ザブン、と海の中へと落ちた。

 そしてそのまま、落ちてきた勢いで海の中へと沈んでしまう。


 僕はたまらなく恐ろしかったが、ここでパニックを起こしてしまっては、それこそ命を失ってしまうことになる。

 僕は両眼をきつく閉じながら手探りでパラシュートを切り離し、ライフジャケットの紐(ひも)を引っ張った。


 ライフジャケットは、うまく膨らんでくれた様だ。

 完全に膨らみきるのには数秒の時間が必要だったが、首の周りと胸の辺りにかけて圧迫感があり、僕の身体は上に向かって引っ張られる。


 後は、海面へと出るだけだ。

 だが、僕と一緒に落下してきたパラシュートの下に浮かんだのでは、僕は呼吸ができずに窒息(ちっそく)してしまう。


 目をあけるのは嫌だったが、僕は海面の光を探すために目を開いた。

 幸いなことに、僕が身に着けていたゴーグルのおかげで目の周りに浸水は少なく、少しぼやけてはいるが周囲の状況を確認することができる。


 僕は泳ぎ方を知らなかったが、ライフジャケットのおかげで、少なくとも沈むことは無い。

 僕は少しでも明るい方向へ向かって、必死になって手足を動かし、ジタバタともがきながら進んで行った。

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