18-26「被弾」 

 僕の胸の中は、いっぱいだった。

 目の前で起きた出来事を、自分の中にどの様に落とし込んでいいのかが分からず、ただ、戸惑(とまど)うことしかできない。


 207Aは、その全滅と引き換えにして、帝国の大型空母1隻を行動不能にした。

 炎に包まれていた空母は、今やほとんど右舷側に転覆するほど傾き、右舷側の飛行甲板の端を海水が洗っている様な状況で、このままいけば沈没は確実だ。


 それは、大きな戦果だ。

 この戦果によって、王国は帝国による今回の攻勢も、耐えきることができるかもしれない。


 だが、それは、207Aの犠牲と、あの地獄と化した空母に乗っていた数千名の帝国軍の将兵の犠牲の上に成り立った勝利だ。


 僕は、王国を守るために戦っている。

 それは、王国が僕の故郷であるというだけではなく、自分が自分自身として生きていくことのできる、唯一の居場所だからだ。

 王国には僕の家族や、友人たち、その他にも大勢の人々が暮らしている。

 僕は、自分の居場所だけではなく、王国の人々にとっての居場所を守りたかった。


 その気持ちは、207Aのパイロットたちも同じだったはずだ。

 彼らは自身の命を顧(かえり)みなかったが、進んで命を投げ出したいなどと、そんな風に思っていた者は誰もいないだろう。

 自分自身が守りたいモノ、それを守り抜くには、そうする以外に方法が無かった。

 僕たちには、戦うことしかできなかったのだ。


 だが、彼らはその目的のために、自分自身を犠牲とした。

 彼ら自身もまた、誰かにとっての守るべき人、守りたい人であったはずなのに。


 僕が、この現実をうまくのみ込めないでいるのは、207Aのパイロットたちが失われたというだけではなく、帝国にも大きな犠牲が出ているからだった。


 帝国は、連邦と同じ様に、王国にとっては侵略者でしかない。

 彼らは、彼らの一方的で、僕たちからすると理不尽極まりない理由で王国に宣戦布告し、僕たちの故郷を破壊した。


 だから、王国から反撃され、多くの犠牲者が出ることは、当然の報いだ。

 そう思うこともできたが、目の前で炎に焼かれていくその姿を見ると、僕はそんな風に割り切って考えることができなくなった。


 僕は、戦果があり、王国に希望が見えたことを、喜べばいいのか。

 207Aが示した覚悟が大きな成果をあげたことを、称(たた)えればいいのだろうか。

 それとも、77名ものパイロットたちが、その命を失い、負傷したということを、悲しめばいいのだろうか。


 そして、あの、帝国の空母。

 そこに乗っていたのであろう、数千名もの将兵。

 僕は、彼らを侵略者として憎み、この結末を当然の報いだとすればいいのか。

 それとも、業火の中に焼かれ、逃げ惑(まど)っている彼らを、憐(あわ)れみ、悲しめばいいのか。


 僕には、何も分からない。


 ただ、1つだけ。

 1つだけ、僕にも分かっていることがある。


 それは、僕がこれから先も戦闘機に乗り、パイロットとして、戦い続けるだろうということだ。

 それが、例えどんなに嫌なことであろうと、僕は、そこから逃げてはいけない。

 そんな確信だけが、はっきりと存在している。


 できれば、こんなことは2度と体験したくはない。

 こんな戦争なんて、今すぐに終わればいいと思う。


 それは容易には叶(かな)わない願いだ。

 そして、いつ訪れるかも知れないその時を、僕自身が生きて、そして、できるだけ多くの王国の人々と共に迎えるために、僕にできることは戦い続けることしかない。


 帝国の空母は、やがて完全に水面下へと没していった。

 後には巨大な鋼鉄が沈んでいくことによって作り出された激しい渦巻きと、その渦巻きの中で必死に生き延びようとあがいている、わずかな生存者たちの姿があるだけだった。


 その残酷な光景を、僕は忘れないだろう。

 それは写真にも映像にも残らないかもしれないものだったが、確かに、現実の出来事として起きていることだった。

 207Aのパイロットたちが示した勇敢さも、その結果生じた犠牲も、僕は何1つ忘れるべきではない。


 僕はその時、思い違いをしていた。

 目の前の大きな出来事に心を奪われて、自分自身もまた、この戦いの当事者であるということを、すっかり忘れてしまっていたのだ。


 僕は、唐突に無線に飛び込んで来たライカからの警告を、聞き逃した。

 彼女が何かを言った、それは聞こえたのだが、僕の頭は自分が記憶するべきだと思った光景を目に焼きつけることでいっぱいで、ライカの声を咄嗟(とっさ)に理解できなかった。


《ライカ、何だって!? 》

《右よ! 右に回避! 》


 僕が問い返すと、ライカからは叫ぶような声が返って来る。

 僕の頭が、ライカが僕に対空砲火の回避を指示しているということを理解したのと、目の前に対空砲弾の炸裂によって生じる黒い煙の塊がいくつも生まれたのは、ほとんど同時だった。


 僕は、思わず悲鳴をあげ、慌てて機体に回避運動を取らせた。

 機体を右に90度ロールさせて、操縦桿をできるだけ引いて急旋回をする。

 だが、ライカからの指示を聞き逃してしまったせいで、間に合わない。


 僕の機体は、僕から見ると下側から、突き上げる様な衝撃を受けた。

 機体がバラバラにならなかったので直撃では無いと分かったが、僕の機体の至近距離で敵艦から放たれた対空砲弾が炸裂した様だ。


 幸い、操縦系統は生きていて、僕の機体は制御が可能だった。

 可能だったが、状況はかなりマズい。


 敵弾の破片は、僕の機体のエンジンへ命中した様だった。

 機首部分へと飛び込んだ砲弾の破片はいくつかのパイプ類を傷つけ、エンジンからはまるで水道管が破裂でもしたかのような勢いでオイルが溢(あふ)れ出し、一瞬で風防を黒く染めあげてしまった。

 そして、僕の機体のエンジンからは白い煙があがり、異音が聞こえ、異常な振動が僕の身体に伝わって来る。


 僕を撃ったのは、207Aによって撃沈された空母の護衛についていた、帝国の重巡洋艦だった。

 攻撃時、彼らは戦闘機に乗っている僕たちを重要な脅威と見なさず、途中から207Aに対空砲火を集中させて僕らのことを無視していたのだが、戦果を確認するために上空に留まっていた僕たちを、空母を失った腹立ちまぎれに撃った様だ。


 その証拠に、敵はあまりしつこくなかった。

 僕が機体の姿勢を立て直し、僕を心配して隣に機体を位置させたライカと一緒に逃げる針路を取ると、敵はそれで僕らを撃ってこなくなる。

 艦艇に対してまともな攻撃手段を持たない僕たちは、彼らにとっては大きな脅威ではなく、追い払うだけで満足した様だった。


《ちょっと!? ミーレス、無事!? 無事なら返事をして! 》

《こちらミーレス。被弾したけど、僕に怪我は無いよ》


 焦った声のライカに、僕は落ち着いた声で返事をしていた。

 ライカよりも僕の方が慌てていなければならないはずだったが、不思議なことに、僕は少しも慌てていない。


 被弾する直前まで抱いていた様々な感情と、ライカからの指示を聞き逃して被弾するという僕自身の間抜けさ。

 そのあまりのギャップに、かえって僕の気持ちは落ち着いてしまった様だった。


《そう。怪我はないのね? もぅ! ちゃんと無線を聞いていてよ! びっくりするじゃ無いの! ……まぁ、仕方ないわね。なるべく早く王国に戻りましょう! ミーレス、陸地までエンジンはもちそう? 》

《分からない。目の前がオイルで真っ黒で、エンジンの状態が分からないんだ。でも、かなりマズいと思う》


 僕は怒った口調のライカにそう答えながら、計器類を確認し、少しでも正確に自分の現状を理解しようと努力した。


 まず、機体の操縦系統だったが、大きな問題はない。どう被弾しているか分からなかったから空戦中に行う様な操作はできないだろうが、まっすぐ飛ぶだけなら問題無い様だった。

 それと、燃料計の減り方は通常のままだったし、異常を示すランプなども点灯していないから、燃料漏(ねんりょうも)れなどは起こしていない様だ。


 だが、エンジンの温度が、どんどん上昇している。

 エンジンの動作を円滑にするためのオイルが漏(も)れ出てしまったというのもあるが、エンジンを冷却するための冷却液も、どこからか漏(も)れ出している様だった。


《エンジンの温度が上がっている。変な音もするし、おかしな振動もしている。多分、長くは飛べないと思う! 》

《分かった! でも、何とか頑張って! せめて、陸地までは! 》


 ライカの言う通り、王国の陸地が見えるところまではたどり着きたかった。

 例えエンジンが停止してしまっても、操縦系統は生きているから、不時着することも、パラシュートを使って脱出することもできそうだ。

 だが、帝国の艦隊からあまり離れていない海域で不時着したり脱出したりして、そのまま捕虜になってしまう様なことにはなりたくない。


 それに、大きな問題がある。

 僕は、泳げないのだ。


 洋上で作戦するため、僕たちパイロットはライフジャケットを着こんできているから、水に落ちても浮かんでいることだけはできるだろうが、僕はできれば水の中につかることさえ避けたかった。


 きっと、大丈夫だ。

 僕は自分自身にそう言い聞かせた。

 僕の機体は、カイザーやエルザたちが丁寧に整備してくれた機体だ。

 だから、被弾したとしても、必ず僕を守ってくれる。

 現に、機体の操縦系統は無事だった。

 この素晴らしい機体は、僕を王国の陸地まで送り届けてくれる。


 だが、そんな僕の思いは、叶(かな)わなかった。

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