18-18「前夜」
王立軍の総力を投入する決戦が行われるまで、2日の時間がある。
僕たちパイロットには、その2日間の間、臨時の休暇が言い渡されていた。
休暇、と聞いても、あまり喜べはしなかった。
何故なら、この休暇は、今回の作戦で多くの犠牲が出ることを見越した上で与えられたものだからだ。
僕たちは、自分たちよりも質、量で勝る敵に突っ込んでいく。
要するに、命を失うことになっても、なるべく悔いのないように、ということだった。
もちろん、王立軍の将兵が全員、僕の様に悲観的になっているわけでは無い。
今回の作戦に投入される王立軍の規模の大きさに、「今度こそ勝てるぞ! 」と意気込んでいる人もいるし、休暇中は基地から外出する許可も申請すれば特例で即通るため、意気揚々と街へ出かけていく人もいた。
ただ、そういう人の中には、空元気(からげんき)で無理に明るく振る舞っている人もいるはずだった。
僕も外出しようかと思ったが、止めた。
以前の休暇で外出した時、僕はクレール市の魅力をたっぷりと味わうことができたが、僕が楽しんだ街並みは、もはや思い出の中にしか存在し無い。
クレール市の市街地は連邦の戦略爆撃によってその半分以上が焼かれてしまっており、かつての美しい街並みは、無残な姿になってしまった。
焼け跡には建物の廃墟を再利用するなどして急造された新しい街ができつつあり、市場などもできて賑(にぎ)わっているという話で、それを目当てに出かけていく人もいる様だったが、僕はどうにも、それを楽しめる様な気分にはなれなかった。
僕は1度、地上に不時着して、敵中をさまよっている最中に自暴自棄になり、もう死んだっていいやと思ったこともあったが、いざ、生き残ってみると、やはり命を失うのは恐ろしいことだ。
自分や誰かのためだと思うから戦うことができるが、もし、戦わなくていいというのなら、それ以上のことはない。
どうしても、次の出撃のことが頭に浮かんできて、僕は休暇どころでは無かった。
仕方がないので、僕は、1日目の休暇はベッドで寝て過ごした。
何かやりたいことも思いつかなかったし、それならせめて、しっかりと身体を休めて体調だけでも万全にしておきたかった。
だが、僕はあまり眠ることができなかった。
元々睡眠は十分に取る時間があったし、ベッドで横になっていても少しも眠くならない上に、次の出撃のことばかり考えてしまう。
こんなことなら、他の人と同じ様に街にでも出かけていればよかった。そう思った時にはすでに日が落ち始めていて、今さらどこに行っても何もできないという様な時間だった。
僕は仕方がないので、夕食を食べ、そして、アヒルのブロンの陽気で呑気そうな顔をぼーっと眺めてから、部屋に帰ってそのまま無為(むい)に時間を過ごした。
翌朝、僕は街に出かけようと思って申請書を書き始めたのだが、ふと、外を見ると、僕たち301Aが使っている格納庫の前の駐機場に機体が引き出されて、整備班たちが何かをやっているのが見えた。
機体の整備や調整なら、昨日の内に済んでいるはずだったが、いったい、何があったのだろう。
少しだけ不安に思った僕は、書きかけていた外出許可の申請書を丸めてゴミ箱へと投げ込み、僕たちの機体へと向かった。
整備班に何をしているのかとたずねてみると、「掃除だ」という返事が返って来た。
見ると、確かに整備班たちはモップなどで機体の表面を磨いている。
どうやら、機体に何か問題が起きているわけでは無い様だった。
僕は近くで同じ様に機体を磨いていたカイザーに近づいて、どうしてこんなことをしているのかと聞いてみた。
カイザーが言うには、「機体の表面に汚れが付着していると、それが空気抵抗を増やして速度を発揮しにくくなるかもしれないから、念のためピカピカに磨いている」ということだ。
ベルランD型は層流翼という特殊な翼の形を持っているから、その効果を完全に発揮させるためには、機体の表面に埃1つついていない状態がのぞましいかもしれない、らしい。
これで差が出ると言っても、せいぜい1キロとか2キロとか、「気のせい」レベルの話だろうが、整備班は僕たちのためにできることを全部やってくれるつもりでいる様だった。
そういうことなら、僕だって黙っていられない。
何しろ、自分が乗る機体なのだ。
街に遊びに行きたいという気持ちも多少はあったが、どうせ、今の精神状態では楽しめるはずが無いし、僕はカイザーたちを手伝うことにした。
カイザーは、パイロットは休んでいた方がいいのでは、と言ってくれたのだが、今の僕はとてものんびりできる気持ちにはなれない。
こうやって身体を動かしている方が落ち着くからと、強引に掃除を手伝わせてもらった。
これは、いい選択だった。
僕はひたすら、無心になって掃除に取り組むことができたからだ。
確かに身体は多少、疲れはしたが、気持ちはずっとずっと、休まった。
昼食をとった後、整備班を午後も手伝うために歩いていた僕は、そこで、深刻な表情でじっと海を眺めているライカの姿を見つけた。
彼女も、多くは語らないが、僕と同じ様に、明日に迫った出撃のことでいろいろと悩んでいるのだろう。
あのままでは、つまらない。
そう思った僕はブロンをパンくずで釣って捕獲し(彼は心配になるくらい簡単に捕まった)、ライカの背後から彼をけしかけて、彼女を笑わせることにした。
ライカは最初にまず驚き、それから怒った後、笑ってくれた。
そしてその後は、ライカも一緒になって機体を磨いた。
おかげで、僕らの機体はどこもかしこも、ピカピカになった。
あまりにもピカピカになったので、空中で光を反射し、かえって敵からの視認性が良くなってしまったのではないかと思えるくらいだった。
もちろん、これは冗談だ。
作戦を前に、できることは全部、やり終えた。
僕は、少しだけだが、そんな満足感を得ることができた。
明日は、朝が早い。
僕たちは前回の出撃と同じ様に、夜明けと同時に敵艦隊がいるはずの海域に到着していなければならない。
僕は少し早めに夕食をとり、シャワーで汗を流して、自分の部屋へと向かった。
今日こそはすぐに眠れるだろうと思っていたのだが、残念ながら、僕の思い通りにはならなかった。
どうにも、寝つけない。
機体は万全、後は僕の腕と、敵とのめぐり合わせ次第。そう思うのだが、やはり、どうにも落ち着いていられない。
何か、やり残したことがあるのではないか。そう思えてしまう。
僕は、気分を変えるために、冷たい夜の風に当たってみることにした。
だが、部屋を出てすぐに、僕はジャックの部屋の扉が薄く開いていて、そこから明かりが漏れているのに気づいて、気が変わった。
本来であれば、とっくに寝ついていなければならない時間だ。
ジャックは、こんな時間まで、何をやっているのだろう?
気になって、僕は少しだけ扉の隙間を広げて、ジャックの部屋の中をのぞいてみた。
すると、彼は、机に向かい、紙の上に熱心にペンを走らせている。
まさか、と思った。
ジャックは元々、士官学校に進み、大学相当の高等教育を受けるためにパイロットになったという経緯を持つ。
だから、普段から勉強熱心で、戦争になってからも、時間を見つけては勉強をしていたのだが、こんな時になってもまだ、勉強をしているのだろうか?
「ジャック。寝なくていいのかい? 」
彼の体調が心配になった僕は、ジャックに申し訳ないと思いつつも、声をかけることにした。
僕の声を聞いた瞬間、ジャックの肩がびくりと跳ね上がる。
「ぅわっ!? ……ミーレスかよ? 驚かすなってば」
「ごめん、ジャック。でも、明日は大事な作戦だし、勉強も大切だろうけど、寝た方が良いんじゃないかって思ったんだ。」
「ん? あ、あぁ、これのことか? いや、こいつは別に、勉強している訳じゃないぜ」
「じゃぁ、何をしていたんだい? こんな時間まで? 」
「いや、その……。あのな? 」
ジャックは、少し答えにくそうにしてから、僕に教えてくれた。
「遺書を書いていたんだよ。……一応、だけどさ」
僕は、驚きで声が出なかった。
遺書。
考えたことも無かった。
だが、確かに、必要になるかもしれない。
むしろ、今まできちんとしたものを用意していなかった僕たちの方が、おかしいのだろう。
「そういうわけだからさ、ミーレス。ごめんな? もうちょっとしたら、寝るからさ」
「……。うん、分かった。それじゃぁ、また明日」
「おう、また明日な」
暗に邪魔をしないでくれと言われて、僕は大人しく部屋へと引き返すしか無かった。
遺書。
その言葉を、部屋へと戻る間にもう1度頭の中で繰り返した僕は、気がつくと、机の上に紙とペンを用意していた。
もし、明日、生きて帰れないのだとしたら。
僕の気持ちを、考えを、誰かに書き残しておくべきなのではないか。
僕が何かをやり残しているとしたら、これではないのか。
そんな気がしたからだ。
だが、いざとなると、何を書くべきか、全く思いつかない。
父さんや母さん、アリシア、弟と妹たち。
宛先は思いつくのに、何を書いていいのか、分からない。
僕は、僕の大切な人々に、これまでのことを感謝すればいいのか、先立つことを謝ればいいのか、それとも、心配させないように強がって見せればいいのだろうか。
ジャックはかなり悩みながら書いていた様だったが、彼はきちんと書くことが思いつくのだから、立派だと思う。
僕は、戦いに臨む覚悟や、少し格好をつけて、「王国万歳! 」とか、「打倒帝国! 」とか書こうかとも思ったが、僕の気持ちをうまく表現できるものではないから、止めた。
僕は、数十分、真っ白な紙の前で悩んだのちに、結局、遺書を書くことを諦(あきら)めて、眠ってしまうことにした。
このまま出撃の時間まで悩み続けても、ロクなものは書けないはずだし、遺書も書けず、また、それを書くために悩み過ぎて体調不良となり、戦場で不覚をとるということになったら、やりきれない。
要は、生きて帰ってくればいいだけのことだ。
僕は、そんな風に思考を切り替えると、真っ白なままだった紙をくしゃくしゃに丸めてゴミ箱へと放り投げ、明かりを消してベッドに横になった。
明日、僕たちは、出撃する。
僕は、その日、生きて帰ってくるために、そして、仲間たちと一緒に帰ってくるために、全力を尽くす。
それだけを、考えよう。
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