18-19「開始」
僕は、起床を予定していた時間の、少しだけ前に目を覚ました。
窓が、ガタガタと揺れている。どうやら、強い南風が吹いているらしかった。
気象班の予測では、王国南部の今日の天気は、荒れるらしい。
雨が降るほどではないが、雲が多く晴れ間は少なく、少々風が強い。そんな天気だ。
だが、作戦は予定通り、決行される。
この程度の荒れ模様であれば飛行するのに大きな問題はない。離着陸の時に風に注意することと、航法を考える際に、風で流されることを考慮するくらいだ。
それに、気象班の予測では、風が強いのはクレール市やタシチェルヌ市の周辺だけで、帝国の大艦隊が遊弋(ゆうよく)している王国の東海岸沖では、同じ様に雲が多いものの風は弱いという予報だ。
出撃前の緊張から、ぐっすりと眠れてはいない。だが、それでも行かなければならない。
僕はベッドの上で軽くストレッチをし、身体を目覚めさせると、身だしなみを整えて部屋を出た。
建物を出ると、少し、風が生暖かい。今日吹いている風は、春になると吹く、南からの暖かい風で、この風が吹き始めるとやがて、王国の北部にも本格的に春がやって来る。
更衣室で飛行服や耐Gスーツなどを着込んでブリーフィングルームへと入ると、到着したのは僕が3番目だった。
レイチェル中尉とカルロス軍曹が先についていて、2人で作戦前の最後の打ち合わせをしていた様だ。
軍曹は部屋に入って来た僕に気がつくと、気さくな笑顔を浮かべて、朝のコーヒーを勧めてくれた。
魔法瓶(まほうびん)に入った、熱々のコーヒーだ。
僕は基本的にコーヒーよりもお茶の方が好みなのだが、軍曹の勧めを断らなかった。
コーヒーには目をはっきりとさせ、身体を目覚めさせてくれるという効果もあるということだから、今日みたいな日には、ぴったりの飲み物だと思ったからだ。
コーヒーが注がれたマグカップを軍曹から受け取ると、僕はそこに砂糖を少し、ミルクを多めに入れて、口をつけた。
悪くない味だ。芳(こう)ばしい香りと苦みが、頭をしゃんとさせてくれる。
僕がコーヒーをすすっていると、他のパイロットたちも、続々と集まって来た。
全員、緊張からか、表情が引き締まっている。
大きな作戦の直前らしい、張りつめた雰囲気だ。
昨日、遅くまで紙と向き合っていたジャックは、最後に部屋へとやって来た。
寝不足になりはしないかと僕は心配していたのだが、見た限りでは、彼は大丈夫そうだ。
僕は少しほっとして、コーヒーの残りを一気に飲み干し、カルロス軍曹に「ごちそうさまでした」とお礼を言って、マグカップを机の上に置いた。
いよいよ、飛び立つ時間だ。
やがて時間が近づくと、ハットン中佐が部屋にやって来て、いつもの様に、僕たちに作戦についての最終確認を行ってくれた。
それから、あの、短くて、だが、しっかりと気持ちのこもった訓示がある。
僕らはハットン中佐の言葉を整列して聞き、そして、敬礼をして、僕たちの機体が準備されている駐機場へと向かった。
機体は、昨日1日かけて徹底的に掃除をしたのだから、汚れ1つ無くピカピカだ。
倒立V型12気筒エンジン、グレナディエが快調に回る豪快な音が辺りに轟(とどろ)き、勢いよくプロペラを回転させている様子は、何とも頼もしかった。
僕たちが機体に乗り込み、飛行前の最後のチェックを終えると、ちょうど、飛行開始の時間になった。
僕たちは管制官の指示に従いながら、滑走路へと向かう。
出撃する僕たちを、基地に残るハットン中佐やクラリス中尉、アラン伍長、カイザーやエルザ、そして整備班や基地の人々が大勢で見送ってくれた。
見送りはいつもしてもらっているのだが、今回の出撃は、その規模の大きさ、そして敵の強大さから、大変なものになると誰もが知っており、いつもよりもずっとたくさんの人が僕たちを見送るために集まってくれた。
戦果をあげて来いよ、とか、いっぱい敵機を撃ち落としてやれ、とか、機体はぶっ壊していいから、絶対に生きて帰って来い、といった、激励の言葉が聞こえてくる。
エンジンとプロペラの回る音でそんな声なんて本当はほとんど聞こえないのだが、それでも、見送ってくれる人たちの気持ちは、僕の胸に確かに届いていた。
戦いは怖いし、嫌いだったが、こうやってたくさんの人たちに見送ってもらえるのは、嬉しいことだった。
少なくとも、僕はたった1人で孤独に戦っているわけでは無く、この場にいるたくさんの人々と一緒に戦っているのだということが分かるからだ。
もちろん、空に一度飛びあがってしまえば、頼りになるのは僕自身の腕と、仲間たちの存在だけだ。
それは分かっているが、それでも、こうやって僕たちの活躍や生還を祈ってくれる人たちがいるのだと知っていると、孤独な気持ちではなくなる。
見送ってくれている人たちから滑走路の方へ視線を向けると、すでに先頭の機が離陸を開始し、飛び立っていくところだった。
僕たちもすぐにそれに続き、まだ暗い空へと舞いあがる。
王国の東海岸へ向かって飛ぶのは、これでもう、何回目だろうか?
帝国軍の上陸が始まってまだ数日しか経過していないが、ずいぶん、長い時間が経っているように感じる。
きっと、1日1日の出来事が濃いせいだ。
そして、今日はきっと、これまでで一番濃くて、長い1日になるはずだ。
今日の作戦に参加する機体は、これまでで最も多くなるが、タシチェルヌ市の上空での空中集合は順調だった。
同じ様なことをすでに行っていたし、地上の管制官たちも、そして誘導を受ける僕たちも、やり方がよく分かっている。
南風のせいで少し位置はズレてしまったが、それでも、予定の時刻までには空中集合は完了し、僕らは東へと針路を取った。
タシチェルヌ市の上空で空中集合を行ったのは、戦闘機約100機、爆撃機約200機だった。
これは、第1航空師団と第3航空師団が合同して編成した部隊だ。
残りの作戦参加機の内、第2航空師団から出撃した戦闘機約50機、爆撃機約100機はもっと北の空域で集結し、こちらと同じタイミングで帝国艦隊の上空に到着できる様に進撃する手はずになっている。
この他に約150機の戦闘機部隊が作戦に参加することになっているが、これらは防空旅団や義勇戦闘機連隊などから出されたもので、オリヴィエ海峡を東へ向かって航行中の王立海軍の艦隊上空を護衛するために使用される。
王立空軍にとって、ほぼ総力と言っていい規模の部隊だ。
まだ空は暗いので、見えるのは識別灯の明かりだけだったが、朝になればきっと壮観な光景を目にすることができるだろう。
右を見ても、左を見ても、味方の飛行機が飛んでいる。
帝国の上陸作戦に対する反撃を行うために、僕は何度かこういった大きな部隊での出撃を経験しているのだが、今でも心が躍る。
だが、単純に喜んでもいられない。
この、たくさんの友軍機たちがどれだけ帰って来られるかは、僕たち戦闘機部隊の活躍に大きく左右されるからだ。
今回、僕たちは帝国の艦隊を攻撃する側で、帝国は僕らを迎え撃つ側だ。
攻撃側にはいつ攻撃を開始するかという選択権があるから、いつでも攻撃する側を迎え撃てる様に兵力をローテーションさせて運用しなければならない防御側に対して、優位に立つことができる。
しかし、艦隊を防空する側は、艦隊が装備するレーダーなどから得た情報によって支援され、例え攻撃側に対して少数であっても、効果的な迎撃を実施することができる。
それはつまり、これから僕らが突入していく空で遭遇する敵機は、常に僕たちに対して優位な態勢で攻撃してくるということだ。
間違いなく、そうなる。
それは、僕たちが一番よく知っている。
何故なら、僕たちはケレース共和国から輸送される食糧を積んだ船団を護衛した際、連邦軍の攻撃部隊を、そういうやり方で迎撃して勝利しているからだ。
僕は、まだ敵機が来るはずが無い場所を飛んでいるのにもかかわらず、つい、空へと視線を向け、どこかに敵機の姿がいないかを探してしまう。
まだ空は暗く、雲が多いせいで月も隠れているから敵機なんて見つかりっこないのに、どうしても視線が向いてしまう。
これでは、本当に敵機と戦うことになる前に疲れてしまうだけだ。
僕は、深呼吸をして、自分の頬をはたき、気合を入れ直した。
やがて、海岸線が近づいて来るのと同時に、東の空が白くなり始めた。
予定通りの時間に、僕たちは戦場へと到着することができたらしい。
後は、敵の艦隊を探し出し、突っ込んでいくだけだ。
僕は、夜明けと同時に攻撃という作戦を立てた王立軍の思惑通り、帝国の艦隊がまだ直掩機を多く上げていない様にと祈りながら、敵艦隊がいるはずの海面へと視線を凝らした。
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