18-5「顛末(てんまつ)」

 僕たちは誰もエルザが部隊に復帰するということを知らなかったのだが、それは、本当のことだった。

 騒(さわ)ぎを聞きつけてやって来たハットン中佐が、困った様に説明してくれた話によると、エルザが部隊に復帰するという連絡は、中佐のところまではしっかりと届いていたのだそうだ。

 だが、中佐はそこで、エルザの復帰を部隊のみんなへのサプライズにしようと考え、あえて黙っていたのだという。


 この他にも、小さな行き違いがあった。

 ハットン中佐は、エルザが部隊に復帰する際には真っ先に自分のところに報告に来るだろうと考え、その報告を受けた後、僕たちにエルザの復帰を公表しようと考えていたのだが、エルザはハットン中佐のところには向かわず、直接、僕たちのところへと来てしまったらしい。


 これは、エルザが良くない。

 普通、部隊に参加する時は、その直属の上司となる隊長に真っ先に挨拶をしに行くものなのだが、彼女はそのことをすっかり忘れてしまっていた様だった。


 ほんの少しの行き違いのせいでちょっとした事件が起こってしまったものの、僕らがエルザの復帰を歓迎する気持ちは少しも変わらない。


 彼女は、一度は敵のスパイ行為に加担した。

 だが、それは、両親を人質に取られるという深刻な事情があり、彼女はその中で、どうにか両親を救おうと、そして、僕ら部隊の仲間にできるだけ危険が及ばない様にと、たった1人で苦悩していた。


 その後、エルザのことはカミーユ少佐が引き受けていたのだが、また、僕らの部隊に戻って来ることができたということは、エルザの問題は何とか解決した様だ。

 彼女の元気そうな様子から推察するに、決して、悪い結果にはならなかったのだろう。


 僕たちはエルザの復帰を歓迎するために、作業の手を止めて、彼女の周囲へと集まった。

 エルザは予想以上の歓迎ぶりに、すっかり安心したのか涙ぐみながら、周囲の人々からかけられる言葉や質問にできる限り答えていった。


 だが、その、集まった人々の中に、整備班の1人、「カイザー」こと、フリードリヒの姿があることを確認すると、エルザは彼に向かって駆け寄り、その手を取って、感極まった様に泣き出してしまった。


 カイザーは、普段は口数も少なく、黙々と仕事をこなしている様な性格だったが、今は仕事中には見せない優しい笑顔で、エルザの手を握り返し、彼女に「おかえり」と言った。

 エルザは、カイザーの言葉に何度も頷いていたが、しかし、言葉は出てこなかった。


 あまりにも感情が高まると、人は言葉を失うことがある。

 今の彼女は、そういう状況なのだろう。


 ついさっきまで、エルザを歓迎するためにざわついていた人々は、急に、静まり返っていった。

 それから、お互いに顔を見合わせたり、肩をすくめたりしながら、1人、2人と、カイザーとエルザの側を離れていく。


 僕はエルザからもっと話を聞きたくてその場に留まっていたのだが、ライカに太腿(ふともも)をつねられて、やむを得ず引き下がるしかなかった。

 しかし、僕にはどうして、ライカにつねられたのかが分からない。


 僕が「どうして? 」と視線だけをライカに送ると、彼女は短く、「朴念仁(ぼくねんじん)」とだけ言って、ツンとそっぽを向いて自身の機体へと歩いて行ってしまった。

 僕は唖然(あぜん)として彼女の後ろ姿を見送り、それから、助けを求めてジャックとアビゲイルの方を見た。


「いや、今のはミーレス、お前が悪いよ」

「ニブチンめ」


 返って来たのは、そういう、呆れた様な言葉だけだ。

 どうも、僕たちはカイザーとエルザを、2人きりにしてあげなければならない様だった。

 僕はまだ、どうして怒られたのかが理解できなかったが、とにかく、そうしろというプレッシャーは強く感じたので、大人しく新しい機体の調整作業へと戻ることにした。


 カイザーは、エルザが窮地(きゅうち)に陥(おちい)っていた時、何も言わずに手を差し出した、ただ1人の人間だった。

 彼はおしゃべりもするが、基本的には寡黙(かもく)で、必要以上のことは話さない。

 仕事に熱心で、腕も確かな彼はいつも穏やかだったから、エルザを救うためとはいえ、たった1人でスパイ容疑を被ったり、脱走騒ぎを起こしたりするなど、とてつもない行動力を示したことは、これ以上ない驚きだった。


 苦境にあった自分を、我が身も省(かえり)みずに、見返りも求めずに助けようとしてくれたカイザーに、エルザはいろいろと言いたいことがあったのかもしれない。

 みんなの行動は、それを邪魔しないでおこうという意図なのだと僕が理解できたのは、それから15分程、後のことだった。


 確かに、僕は気がきかなかったかもしれない。

 だが、エルザの両親がどうなったのか、問題がどんな風に解決したのか、とても知りたかった。

 僕だって、カイザーほどではないが、エルザのスパイ事件に関わったのだ。


 幸いなことに、僕には、ことの顛末(てんまつ)を知る機会が与えられた。

 エルザが部隊に復帰した日の夜、夕食を終えた後、まだ少し機嫌の悪いライカと一緒にアヒルのブロンと遊んでいたところに、カミーユ少佐が姿を現したからだ。


「やぁ、2人共。ここにいたのかい? 」


 そう言いながらカミーユ少佐が現れたのは、何の予告も前触れもない、突然のことだった。


「カミーユ兄さま!? どうして、ここに!? 」


 気さくに声をかけて来たカミーユ少佐に、しゃがみこんでブロンを撫でていたライカは驚いた様に立ち上がり、それから、とても嬉しそうな笑顔を見せた。


 ライカとカミーユ少佐は、許婚(いいなずけ)という関係だ。

 だが、2人は実際にはお互いを兄妹の様に思っており、ライカは少佐のことをいつも「兄さま」と呼んで慕っている。


「ああ、ちょっとね。ちょうど近くまで来る用事があったから、ハットン中佐に、エルザさんのことでご挨拶と、ちょっとした報告を。それから、時間が余ったから、ライカの様子でも見ていこうと思って」


 カミーユ少佐は、ライカに向かって優しそうな笑顔を浮かべていた。

 2人の関係を側から見ていると、何とも微笑ましく、そして、少し羨(うらや)ましい様な気もする。

 ライカもカミーユ少佐も、2人で話している時は、いつもは見せない様な、心の底から打ち解けている様な笑顔をしているからだ。


 カミーユ少佐は、僕たちの部隊で、スパイによる破壊工作の疑いがある事案が発生した時、憲兵として、調査のために派遣されてきた人だ。

 だが、どうやら、実際には諜報(ちょうほう)に関わる部署の人物であったらしく、エルザがスパイ行為に手を染めざるを得なかった事情を知ると、相棒として一緒に派遣されてきていたベテラン憲兵のモリス大尉と一緒に、その状況の解決を引き受けてくれた。


 当然、エルザがどんな紆余曲折(うよきょくせつ)を経て、僕らの部隊に帰って来ることができたのかの、全ての顛末(てんまつ)を知っていた。


 エルザの気持ちに気づいて、僕にあまりしつこく詮索(せんさく)しない様にと注意をしてきたライカだったが、彼女も何が起こっていたのかには興味があった様だ。

 カミーユ少佐はライカの最近の様子や、僕たちの様子について気にしていた様子だったが、どうやらライカや僕たちが元気にやっていると分かると安心した様で、「軍事機密だから、全部は話せないけど」と前置きし、僕らに何があったのかを教えてくれた。


 エルザの両親を人質に取り、スパイ行為を強要していたのは、連邦であったらしい。

 連邦はフィエリテ市から逃げ遅れ、連邦側に捕らえられたエルザの両親に、兵役のため王立軍に整備兵として参加している娘がいるということを知ると、当時準備を進めていたフォルス市へ向けての冬季攻勢をより有利に進めるために利用しようとした。


 エルザにスパイ行為の指示を与える際には、連邦側も細心の注意をはらい、エルザにその正体を知られない様にしていたのだが、カミーユ少佐は諜報(ちょうほう)活動で得ていた様々な情報から背後関係を特定し、エルザの両親を救うために動き回った。


 そこで、エルザの両親を奪還するために、映画の筋書きの様な派手なやり取りがあったのかというと、そうではなかったらしい。

 連邦は、エルザが「死んだ」という嘘の情報を信じ、利用価値の無くなったエルザの両親を、自ら解放したのだ。


 だが、大変なのはそこからだった。

 エルザの両親が解放されたのは、戦火によって焼きつくされ、無人の廃墟ばかりになってしまったフィエリテ市の中だったからだ。


 王国はフィエリテ市を失う前、出来得る限り、そこに住んでいた人々を南へ向けて避難させたのだが、中には、エルザの両親の様に、取り残されてしまった人々も多くいたらしい。

 連邦軍に占領されたフィエリテ市では、連邦軍による大規模な物資の徴発なども行われ、逃げ遅れた人々は乏(とぼ)しい物資で苦しい生活を強いられているという状況だった。


 エルザの両親は、そういう場所に、着の身着のままで放り出されてしまったのだ。


 カミーユ少佐は、生存の厳しい状況にあるエルザの両親を救うため、相棒のモリス大尉と共にフィエリテ市に潜入して捜索(そうさく)を行ったのだそうだ。

 これは、エルザの両親を救うためだけでなく、占領下にあるフィエリテ市の人々の現状を正確に把握し、逃げ遅れてしまった全ての人々を、どうにか救出するための調査でもあった。


 カミーユ少佐とモリス大尉はどうにか逃げ遅れた人々の状況をつかみ、そして、その中に混ざって暮らしていたエルザの両親も発見した。


 飛行機を飛ばして戦っている僕たちは全く知らず、気づきもしていないことだったが、王国はカミーユ少佐とモリス大尉の調査結果を元に、フィエリテ市に残る逃げ遅れた人々に少しずつ支援物資を送り届け、そしてそこから脱出する手助けを行っているということだった。


 連邦軍の占領下にあるフィエリテ市からは、秘密裏に作られた地下トンネルなどを利用して、すでに数百名の人々が救出されたということだった。

 救出作戦は、帝国軍が開始した攻勢によって停滞を余儀(よぎ)なくされているものの、それでも、今も細々と続けられている。


 エルザの両親も、その、逃げ遅れた人々を救出する作戦によって、無事に王国へと脱出して、今は安全な場所で暮らしているのだという。

 エルザの表情が明るかったのは、僕たちの部隊に復帰する前に、救出された両親と再会することができ、元気とは言えないものの、無事に生きていることを確認できたからだった。


「いや、何とか助け出せて、本当に良かったよ」


 カミーユ少佐は、そう言って満足そうに笑顔を浮かべていたが、しかし、その表情には少しだけ、影がある様に思えた。


 連邦軍の占領下にあるフィエリテ市に直接潜入し、調査を行ったのだから、そこには相当な苦労があったのだろう。

 それに加えて、すっかり廃墟と化したフィエリテ市で、逃げ遅れてしまった人々が、言葉では表現できない様な苦しい生活を強いられていることを、その目で見て来たのだ。

 王国はそういった人々をどうにか救い出そうと努力をしてはいるものの、まだ、全員を救い出せたわけでは無い。


 僕には、想像もつかない様な体験だったはずだ。

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