18-2「返納」

 帝国の攻勢が始まって以来、僕たちは、ラジオからの放送に耳を傾ける時間が多くなっていった。

 それが、僕らにとって、この戦争がどんな風に進んでいるのかを知る唯一の方法だからだ。


 一般の王国民は言うまでもなく、僕らの様に王立軍に所属する将兵でも、情報などを専門にあつかう一部の人々や、高級将校でもない限り、現在の詳しい状況を知ることはできない。

 戦時下にある僕らにとって、最も知りたい戦争についての情報は統制下にあって、敵国から流れて来るプロパガンダ放送や、王国の放送局から発表されるわずかな情報から、全て推しはかるしかない。


 連邦も帝国も、もちろん、王国だって、戦争の状況に関する情報は管理下に置きたがっているし、そのことにいつも神経を尖(とが)らせている。

 もし、国民に間違った情報や、戦況が著(いちじる)しく不利であるなどの情報が伝われば、それをきっかけとして厭戦(えんせん)機運や反戦感情が膨(ふく)れ上がり、戦争どころではなくなってしまうかもしれないからだ。


 王国が戦う理由は、主権国家としての王国の存続と、王国民が有する正当な権利の保護、そして占領された国土の解放と、はっきりしているし、人々に理解を得やすいものだった。

 こういったことから、王国が行っている放送は、比較的事実に沿った内容が多い。

 これは、ここ数カ月の間に起こった戦いでは王国側が勝利していて、わざわざ隠す必要も無いからだろう。


 しかし、王国国内の放送だけでは、連邦や帝国の状況まではよく分からない。

 王国も前線で偵察活動などを行っているし、それ以外にも、諜報(ちょうほう)活動も行っているだろうから、ある程度は状況を把握できているはずだが、それらは軍事機密になる情報で、広く公開されることはまず、あり得ない。

 何故なら、その情報を公開してしまうと、王立軍の偵察能力や諜報(ちょうほう)能力のレベルが敵にも知られて、対策をされてしまうかもしれないからだ。


 そういうわけで、帝国が始めた大攻勢の状況は、連邦や帝国から流れて来るプロパガンダ放送から知るしかない。


 放送は、相変わらずだ。

 連邦も帝国も、戦況が自身にとってどれほど有利かということしか発表しないし、自国の国民に向かって、戦争に進んで参加する様に誘導し、敵対する人々に対しては、この戦争がどれほど勝ち目の無いことなのかを盛んに宣伝している。


 だが、それでも、その一部分ずつを切り取っていくと、何となくだが全体像が見えてくる。

 何だかパズルを解いているみたいで、少し面白い。


 例えば、先日の放送で、連邦は北部戦線において大規模な反撃作戦が成功したと報じ、南部戦線においては、帝国軍の攻撃に対して自国の軍隊がいかに勇敢に戦っているのかについて放送を行っていた。

 北部戦線については具体的な地名の言及や、反撃の規模などについて詳細な内容があったのに対し、南部戦線については連邦軍の将兵がどれほど勇猛果敢(ゆうもうかかん)なのかという、少し抽象的(ちゅうしょうてき)な内容にとどまっている。


 これに対して、帝国は先日の放送で、北部戦線において連邦側の反撃を撃退したと報じ、南部戦線においては、自国の軍隊がどこまで進撃し、フィエリテ市に連邦軍を包囲しつつあるという放送を行っていた。

 北部戦線についての放送は、帝国軍の将兵がいかに強靭(きょうじん)で忠誠心に富むかという内容ばかりだったのに対し、南部戦線については、連邦側から多くの兵器を鹵獲(ろかく)し、多数の捕虜(ほりょ)を得たことなど、具体的な数字つきの内容があった。


 総合すると、北部戦線では連邦が帝国の攻勢を跳(は)ね返しつつあり、南部戦線では帝国が優勢、という形になる様だ。

 連邦も帝国も、広く公開したい部分については具体的な言及があったが、隠しておきたい部分については曖昧(あいまい)で、前線の将兵を褒(ほ)め称(たた)えるなど、実際の戦況から焦点(しょうてん)をずらした放送になっている。


 正直に言うと、アルシュ山脈の向こう側、北部戦線の戦況など、僕にとってはどうでもいいことだった。

 北部戦線と僕らとの間には、峻嶮(しゅんけん)なアルシュ山脈の峰々(みねみね)があり、航空機による行き来は可能であっても、そこから連邦や帝国の大軍が王国に向かって押し寄せて来るわけでは無いからだ。


 だが、南部戦線となると、事情が違う。

 今、帝国は連邦軍をフィエリテ市に包囲しつつあり、そして、その戦いの結果によっては、王国も他人(ひと)ごとでは済まなくなるからだ。


「ちょっと、ミーレス? 手が止まっているわよ」


 ライカの、少し怒ったような声が聞こえて来たのは、僕がラジオからの放送に耳を澄ませていた時のことだった。

 彼女の方を見てみると、ライカは、ペンを動かしながら器用に僕の方を睨(にら)みつけている。


「まだまだ、たくさん書類が残っているんだから。早く済ませてしまいましょうよ。……言っておくけど、貴方の分の書類、手伝ったりはしないからね? 自分で書かないと意味が無いんだから」

「わ、分かっているよ、ライカ」


 小柄な体格から放たれるよく冷えた視線に射すくめられた僕は、慌てて目の前の書類を始末する作業に戻って行った。


 僕らがいるのは、いつもはブリーフィングルームとして使っている、格納庫のすぐ隣にある建物の中の一室だった。

 そこには、レイチェル中尉とカルロス軍曹を除いた、301Aに所属する戦闘機パイロット全員の姿がある。


 僕たちは折り畳み式の机を広げ、その机の周りにみんなで集まって椅子に腰かけ、黙々と書類に必要事項を書き込む作業を行っていた。

 紙の上にペンを走らせる音の他には、ラジオの音しかない。


 何をやっているのかと言うと、僕らは、これまで自分たちの機体を、いつ、何のために、どれだけの時間飛行させたのかという飛行記録の書類を作っている。

 そして、どうしてそんなことをやっているのかを説明すると、僕らは、自分たちがこれまで使ってきた機体を返納し、新しい機体を受領しなければならないからだ。


 返納というのは、規定の飛行時間に達した飛行機を、定められた場所へと返すことだ。


 飛行機というものには、安全に使用できる時間というものが決まっている。

 いわゆる寿命というやつで、その寿命まで使われた飛行機は実戦部隊から返納され、僕らはその返納をすることによって、代わりとなる新しい機体を受け取ることができる様になっている。


 飛行中、飛行機は外部からいろいろな力を受けているから、目に見えない形でダメージが蓄積(ちくせき)されている。

 ダメージがあることを無視して飛行を続ければ、当然、いつか、どこかの段階で、空中分解を起こしてしまうなど、重大な事故が起きることになる。


 特に、僕らが乗っている様な戦闘機は、空中で激しく運動し続けるため、安全に、かつ十分に性能を発揮できるとされている寿命が短い。

 連邦でも帝国でも、そして王国でも、戦闘機の寿命はおよそ150時間と決まっている。


 もっとも、これはあくまで「正規の規定」であり、僕らが乗っていた機体は、300時間に達する飛行時間を持っている。

 これは、王立空軍が戦時になってから定めた「戦時特例」の基準で許可されている最大の時間であり、本来であればとっくに返納されていなければならない機体を、僕らはすっかり使い潰すまで飛ばして来たことになる。

 危険な行為ではあったが、この戦争は王国にとって不利な状況が続いていて、そうせざるを得なかった。


 連邦や帝国は自身の都合によってこの戦争を戦っているが、王国にだって、王国なりの思惑がある。

 それは、フィエリテ市を奪還し、占領下にある王国領を解放するという目標だ。

 その目標のために、王立軍は反攻作戦を計画し、僕ら、第1航空師団はその中核兵力となることが求められている。


 作戦の実施はまだいつ、とは決まっていないが、僕らはいつでも作戦に対応できる準備をしておかなければならない。

 だから、戦時の特例で認められている機体寿命まで目いっぱい使い潰した機体を返納し、新しい機体を受領することになったのだが、そこで、1つの問題が生じてしまった。


 機体が寿命に達していることを証明するためには飛行記録が必要なのだが、その書類に、不備が見受けられたのだ。


 僕らはパイロットコースに入ってから、飛行する度に飛行記録をきちんとつけるという、パイロットの日常業務についてもしっかり教わっていたのだが、ここしばらくの間は激しい戦いが続いたこともあって、おろそかになりがちだった。

 それでも、一応形だけでも飛行記録をつけていたのだが、その内容がパイロットによってちぐはぐになっていたことが、書類審査で引っかかってしまった。


 僕たちは普段、あまり意識して来なかったが、戦闘機というのは高価なものだ。

 しかも、国民からの税金によって、その費用は捻出(ねんしゅつ)されている。


 僕らが乗っているベルランD型は、基地の隣の新工場で昼夜生産され続けているが、だからといって戦闘機が貴重品であるという事実は動かない。

 当然、必要だからと言って簡単に配備してもらうことはできず、正式な書類が必要になる。

 僕たちが多数の撃墜記録を持つエースであろうと、それは変わらない。


 僕らが必死に、黙々と書類を書いているのは、不備ありとして返って来たものを、不備の無い状態にするためだ。

 それをしないと、機体の返納を受けつけてもらえず、代わりの機体も受け取ることができない。


 机の上には、レイチェル中尉とカルロス軍曹から提供された「お手本」が用意され、僕らはそれをひたすらコピーし続けている。

 同じ飛行中隊だからと言って、飛行記録が全く同じであったら、かえってその方が怪しいだろうと僕は思うのだが、レイチェル中尉が言うには「軍隊も役所だから、体裁(ていさい)が整っている方が大事」だということだった。

 内容がコピーであろうと、それぞれのパイロットがそれぞれの筆跡で飛行記録を作成しており、そしてそのつじつまが合ってさえいれば、書類を受け取る側はあまり気にすることが無いのだという。


 つまり、僕らは300時間分の飛行記録を、最初から書き直している最中だった。

 これも、僕たちパイロットの「仕事」だ。


「やったーっ! 終わったネー! 」


 僕らの中で真っ先に仕事を終えたのは、ナタリアだった。

 彼女はペンを机の上に置くと、固く凝(こ)った身体を背伸びしてのばしながら、嬉しそうな声をあげる。


 彼女の書類が最初に終わったのは、当然だ。

 何故なら、ナタリアが僕たちの部隊に途中から加わったので、彼女が書き直すべき飛行記録は、僕らよりもずっと少なかったからだ。


 仕事が終わったのでウキウキとしているナタリアを、アビゲイルが睨(にら)みつける。


「ナタリア。静かにしないなら、中尉に、あんたが作業の邪魔をしたって報告する」

「アッ、ハイ」


 ナタリアはレイチェル中尉の名前を出された瞬間、押し黙った。

 心なしか、視線に光を感じない。

 ナタリアはまだ、トラウマを克服(こくふく)しきれていない様だった。


 僕は少し気の毒に思ったが、すぐさま、自分自身の作業に没頭することにした。

 書類の書き直しは、まだまだ、時間がかかりそうだ。

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