第18話:「決戦」

18-1「帝国の目覚め」

 僕らは、自分たちの必死の努力と、そして、ケレース共和国をはじめとするいくつかの国家が支援してくれるという、得難(えがた)い幸運とによって、かろうじて望みを繋(つな)ぐことができた。

 飢えという、生きていく上でもっとも基本的で、それだけに深刻な危機を乗り越え、王国は何とかその命運を保っている。


 1つ、問題を乗り越えると、また、新しい問題が現れる。

 終わることの無い迷路の中を、手探りで進んでいる様な感覚だ。


 王国にとって、この戦争は、最初から最後まで、翻弄(ほんろう)されるばかりのものだ。

 僕らは、連邦と帝国という巨大な勢力の思惑に振り回されるだけで、その意図にささやかに抵抗することしかできない。


 どうにか危機を乗り越えたと思ったら、今度もまた、僕らの手の届かないところで、戦争は大きく動いた。

 これまで、連邦に比べると消極的な行動しか示してこなかった帝国が突然、眠りから目覚めたかのように活動を開始したのだ。


 王国が食糧を輸送する船団を受け入れ、飢餓(きが)からどうにか脱することができた時期、マグナテラ大陸には、2つの戦線が形成されていた。

 1つは、連邦と帝国がそれぞれの主力部隊を投入し、激しく戦いながらもずっと膠着(こうちゃく)状態が続いている、マグナテラ大陸の中央部を東西に貫くアルシュ山脈の北方に形成された戦線。

 そしてもう1つが、連邦、帝国、そして王国が3つ巴(どもえ)になって戦っている、アルシュ山脈の南方にある戦線だ。


 公式に名称が定められているわけでは無いが、アルシュ山脈の北は北部戦線、同じく南を南部戦線と呼んでいる。

 この2つの戦線は、つい最近までほとんど変動を見せず、特に、王国側の南部戦線では、全くと言っていいほど動きが無かった。


 これは、北部でも南部でも、本格的な冬が訪れて軍事行動が難しくなっていたためだ。

 南部では、連邦が降雪の中、冬季攻勢を王国に対して実行していたが、これは王国によって撃退され、以来、前線は少しも移動しなかった。


 冬の間、王国は連邦が実行して来た戦略爆撃に応戦したり、飢餓(きが)を回避するために海上で戦ったりと、何だかんだ忙しかったのだが、前線の位置は、本当に、少しも変化していなかった。

 このため、かえって前線に展開していた王立軍の将兵たちは暇(ひま)を持て余し、まるで冬眠中の熊の様な気分であったという。


 だが、春が近くなってきて、状況が一変した。

 北部戦線でも、南部戦線でも、帝国が大攻勢を開始したからだ。


 もっとも、北部戦線に関して言えば、帝国がこの様な攻勢を開始したのは、別に驚くべきことでも何でも無かった。

 第4次大陸戦争が始まってすでに4年以上が経過している。その中で、寒冷なアルシュ山脈北方の北部戦線においては、毎年春が近くなると、連邦か帝国、いずれかが大規模な攻勢を開始することが、半ば恒例行事となっていたからだ。


 その度に、前線は多少の前進、もしくは後退を見せるものの、最後には元の様な位置にまで戻っている。

 そんな戦いが、ずっと繰り返されてきた。


 例年と異なっていたのは、帝国が、アルシュ山脈の南側、南部戦線でも攻勢を開始したことだった。

 これは、南部戦線が形成されたのが去年のことで、今回が、王国が戦場になってから初めての冬の終わりなのだから、当たり前と言えば、当たり前のことではある。


 だが、帝国はこれまで、フィエリテ市の前面にまで自身の前線を押し上げると、そこで動きを止め、連邦と王国が戦い続けるのに静観を決め込んで来た。

 それだけに、南部戦線における帝国の攻勢は、僕らにとって驚きだった。


 王国領を、膠着(こうちゃく)状態の続く北部戦線の迂回路とし、一気に帝国領にまで進攻しようと目論んでいた連邦に対して、帝国が王国に対して侵攻してきたのは、連邦側の攻撃を王国領内で迎え撃ち、帝国の領域へ連邦を踏み込ませないためだった。


 これは、「帝国領は神聖にして不可侵であるべき」とする帝国側の考え方に根差した行動だったが、帝国領内を戦場とすることは必然的に、帝国臣民やその財産に危害が及ぶということで、それを防止するために王国を侵略するというのは、見ようによっては合理的なことだった。


 そういう意図でいたことと、帝国としては、君主を国家元首として持つなど、連邦よりも帝国と似た体制にある王国が、自身に恭順(きょうじゅん)して来るのではないかという期待もあって、これまで南部戦線では積極的に動かなかった。

 フィエリテ市の前面にまで前線を押し上げたことで、帝国領に連邦軍が迫るのを阻止するために必要な防御縦深(ぼうぎょじゅうしん)を十分に確保できたことで、帝国としてはそれ以上動く理由も無かった。


 王国がこれまで戦って来られたのは、僕らをはじめ、王立軍の将兵、そして王国民が必死になって戦ってきたからだったが、実を言うと、帝国側のこの消極性も大きく作用している。

 もし、開戦初期の様に、連邦と一緒になって帝国まで王国を攻め続けていたら、僕らはとても耐えきることなどできなかっただろう。


 王国にとっては、そもそも連邦か帝国、どちらか一方を相手とするだけでも精いっぱいだ。

 戦前には、「そんなことは不可能」だとされて、その様な事態は外交によって全力で避けることとし、王国では連邦と帝国を同時に相手取った作戦計画を準備していなかったほどだ。


 帝国が動かないことによって、連邦はその総力を王国に向けることができず、常に一部を帝国への備えとして残しておかなければならなかった。

 もし、連邦が昨年の冬季攻勢の際にもっと大きな兵力を投入していたら、王立軍が反撃を実施して連邦軍を包囲し、降伏に至らせるということは実現されていなかっただろう。

 連邦は豊富な兵力で、包囲環を閉じようとする王立軍に反撃し、王立軍の反撃は失敗。連邦軍の主力部隊がフォルス市を陥落させるという事態になっていたかもしれない。


 連邦も帝国も、王国に対して一方的な都合で攻撃を開始した。

 だが、王国は、その一方的な都合、思惑によって、生かされているという面もある。

 何だか、複雑な気持ちだ。


 その、今まで動くことが無かった帝国が動き始めたということで、僕らは、王立軍の将兵も一般の王国民も、緊張に身を固くしながら成り行きを見守っている。


 帝国軍の矛先は、ひとまずは連邦軍へと向けられている様だった。


 昨年、僕らからフィエリテ市を奪った連邦軍は、冬季攻勢に失敗した後もその場に留まり、占領を継続していた。

 だが、冬季攻勢に失敗したことで、南部戦線に展開する連邦軍の勢力は大きく弱体化していた。


 冬季攻勢の失敗でその主力野戦軍を失うことになった連邦だったが、それでも、王国にとっては強大な戦力を維持し続けていた。

 冬季ということもあって、王国はせっかくの勝利をフィエリテ市の奪還に繋(つな)げることができなかったのだが、王国にとってはなお強大である連邦軍の勢力も、帝国から見ると御しやすいと映った様だ。


 帝国はこれまでの方針を転換し、この際に連邦に大打撃を与え、南部戦線での主導権を完全に掌握(しょうあく)することを意図しているのだろう。

 場合によっては、連邦が当初計画していたのとは逆に、王国領内を突破して連邦の領域へと逆侵攻をかけるつもりでいるのかもしれない。


 帝国の攻勢は、そう思わせるほどに大規模で、積極的なものだった。

 南部戦線での帝国軍による攻勢は雪解けが始まるのとほとんど同時に開始され、これまで沈黙を保っていた間に蓄(たくわ)えていたのであろう戦力を、一気に開放して行われた。


 攻勢開始の日、太陽が地平線に顔を出し始めるのと同時に、砲門を揃(そろ)えた帝国軍の火砲が一斉に火を噴き、無数の帝国軍機が連邦軍の飛行場や陣地に群がった。

 その直後に、工兵隊に先導された帝国軍の戦車部隊が突進を開始し、フィエリテ市の北と南から包囲機動を開始した。


 連邦軍は王立軍がフィエリテ市防衛のために築いていた陣地なども利用して防衛線を形成していたのだが、冬季攻勢の際に王立軍の攻撃によって失った航空戦力を立て直すことができておらず、帝国によって航空優勢を掌握(しょうあく)され、今や、かつての王立軍と同じ様に、フィエリテ市に包囲されつつある。

 防衛線を突破し、連邦軍の後方へと突き抜けた帝国軍の先鋒部隊を阻止するだけの力を、今の連邦軍は持っていない様だった。


 かつての王国の首都であり、古くからの伝統と文化が息づいていたフィエリテ市が再び戦場となり、僕らの手が届かないところで蹂躙(じゅうりん)されていくのは、心の痛むことだった。

 だが、僕らは、再び戦火に焼かれることになったかつての我が家を、遠巻きに見ていることしかできない。


 僕たちはここ何度か勝利を重ねてきてはいたが、全体的な状況がそれで変化したわけでは無い。

 連邦も帝国も、王国にとっては大き過ぎる敵だった。


 今のところ、帝国側が有利に作戦を進めている様だ。

 北部戦線での戦況の推移は、例年通り一進一退という感じだったが、南部戦線においては、このままいけば帝国側が勝利を納めるのは間違いないだろう。


 僕らにとっては、その後が問題だった。

 帝国が連邦に勝利し、フィエリテ市をその手中に収めた後、その矛先をそのまま連邦へと向けるのか、あるいは、僕ら、王国へと向けて来るのか。


 もし、王国へと向かって来るのであれば、王国は再び、存亡の危機に直面することになるだろう。

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