17-19「海面」
ライカの機体が、海面スレスレを、背面飛行の状態で飛んでいる。
あと、もう1、2秒でも操作が遅ければ、彼女の機体は海面に衝突(しょうとつ)して、バラバラに砕け散ってしまっていただろう。
僕は、垂直尾翼の先端からの気流で、水の上に細長い白い波の線を描きながら飛んでいるライカの機体の隣に自分の機を並べながら、大きく、深く、息を吐(は)いた。
無我夢中だったが、全て、うまく行ってくれた。
もし、そうならなかったらと思うと、本当に怖い。
僕はもう少しで、僚機を、ライカを失ってしまったかもしれないのだ。
ライカは、一時的に空間識失調に陥(おちい)り、パニックさえ起こしかけていたが、どうにか機体を立て直すことができたことで落ち着きを取り戻した様だった。
背面飛行の状態では高度が低下してしまうため当て舵を取りながら機体を安定させると、彼女は少しだけ高度を取り直し、そこで機体をくるん、と180度ロールさせて、機体を通常の水平飛行へと戻した。
左主翼のエルロンを失ってしまったが、右主翼のエルロンは問題なく動作している様だ。片側でも残っているのなら、バランスはとり辛(づら)くなるが、操縦は何とかできる。
このまま基地に帰還することだって、不可能では無いだろう。
《ミーレス、貴方のおかげで、助かったみたい。本当に、どうなっちゃうかと思ったわ》
《僕もだよ、ライカ。……それと、ごめん。僕がもっと早く敵機を墜とすことができていたら、君を危険な目に遭わせることも無かったのに》
《ふふっ、貴方は相変わらず謙虚(けんきょ)なのね。気にしないで! あの敵機のパイロット、とっても操縦が上手だったんだもの。私と貴方、立場が逆だったら、私、貴方を助けられなかったと思う。だから、……ミーレス、ありがと》
ライカはそう僕に言うと、ガラスの割れた操縦席の中から、僕に向かって笑顔を見せてくれた。
釣られて、僕も思わず笑ってしまう。
《こらこら、2人共。上空警戒がお留守になっているよ》
危機を乗り越えて安心しきっている僕らに、注意する様な声で無線が届いたのはその時だった。
《ここは戦場なんだから、気を抜いたらいけないよ。ほら、僕が敵機だったら、せっかくうまく切り抜けたのに、2機とも撃墜されていたはずさ》
僕が驚いて、慌てて上空を見上げると、そこにはいつの間にか、カルロス軍曹の機体の姿があった。
軍曹は並んで飛んでいる僕とライカの後ろ上方、攻撃する側としては絶好の位置についている。
僕は、軍曹の機体が接近して来ることに、少しも気がついていなかった。
いや、そもそも、ライカが無事であったことで頭がいっぱいで、今が交戦中であることや、船団を守らなければならないこと、そして、上空から敵機が襲ってくるかもしれないということを、少しも考えていなかった。
ライカは機体を立て直すので精いっぱいだっただろうから、この場で、周囲をきちんと警戒していなければならなかったのは、僕だ。
《すみません、軍曹》
《いや、気にしなくていいさ、ミーレス。実を言えば、僕にも責任はあるんだ。レイチェル中尉に2人を援護するように言われたんだけど、追いつくのが少し遅かったからね。その代わり、周囲はしっかり警戒しておいたから。大丈夫、周りに追って来ている敵機はいないよ》
どうやら軍曹がこの場にいるのは、僕らを手助けする様に、レイチェル中尉から指示を受けていたからであるらしい。
僕とライカで3機を片づけたとはいえ、レイチェル中尉たちは3機で4機を相手にし、空戦に勝利をおさめて来た様だった。
僕はそうなるだろうとは思っていたが、やはり、レイチェル中尉やカルロス軍曹、そしてナタリアの3人の腕前には驚かされる。
《さて、お説教はもういらないかな。それよりも、2人共、あの状況から立て直せたんだから、よくやったね! ライカの操縦も、ミーレスの指示も、実に素晴らしかった! 》
それから、カルロス軍曹はそう言って、僕らをほめてくれた。
冷静な口調で、相変わらずストイックな物腰だったが、それがベテランパイロットとしての貫禄(かんろく)というものに思える。
そんな軍曹にほめられたのだから、僕は素直に嬉しかった。
《えっと、軍曹。戦闘は、どうなりましたか? 》
《ちょうど片づくところだよ。上の方、そうだな、8時くらいの方向を見てごらん》
ライカの問いかけに、軍曹はそう言った。
僕が言われた通りの場所を見上げると、そこには、幾筋もの黒煙がたなびき、数機の機影が、炎を引きながら墜落していく姿があった。
その黒煙の合間を、光を浴びてキラキラと翼を輝かせながら、ベルランの鋭利なシルエットがよぎっていく。
飛んでいるベルランの機数は、4機。だとすると、撃墜されたのは敵機の様だ。
レイチェル中尉、ナタリア、ジャック、アビゲイルは、無事にこの戦闘を切り抜けた様だった。
攻撃機を護衛していた敵戦闘機を撃破した中尉たちはそのまま、船団へと向かっていた攻撃機の編隊へと追撃をしかけ、さらに数機を撃墜することに成功したらしい。
護衛の戦闘機部隊を失ったことで、連邦軍の攻撃機の部隊は、さすがに戦意を喪失(そうしつ)した様だった。
編隊を完全に乱した敵機たちは、墜落していく僚機が残して行った黒煙に隠れるようにしながら、ここまで運んで来た爆弾を投棄(とうき)して逃走を図っている様だった。
重りを捨てて身軽になった敵機は、レイチェル中尉たちから逃げようと、一斉に、バラバラの方向へ向かって急降下を開始する。
レイチェル中尉たちは、それを追わなかった。
バラバラに逃げて行く敵機を全て追いかけるのは無理だったし、場合によっては海面に突っ込む恐れもあるからだ。
それに、僕たち、301Aの任務は、すでに果たされている。
僕たちは、敵機の船団への攻撃を阻止することができた。
《あー、あー、カルロス軍曹、こちらレイチェル。見ているかもしれんが、こっちの仕事はたった今、片づいた。そっちの状況はどうだ? 出しゃばり2人組は無事か? 》
勝ち誇る様に空中で機体を360度ロールさせた後、レイチェル中尉は、僕らが3機とも飛んでいることは見えているはずなのだが、そう言って報告を求めて来た。
実際に状況を聞くまでは、安心できないのだろう。
《レイチェル中尉、こちらカルロス軍曹。ライカ機に被弾多数、操縦に若干の支障ありですが、2人共無事です。エンジンにも大きなダメージは無い様なので、自力で基地への帰投は可能かと》
《りょーかい! ま、当然の結果だな! 》
軍曹からの報告に、中尉はとても満足そうだった。
《今日の空戦は、こっちの大勝利だ! 低高度に向かった敵機の方も、ついさっき、ケリがついたらしい! 391Aの連中、評判通り、仕事ができるらしいな! 連邦の攻撃機の連中、船団に突入する前に全部引き返して行ったみたいだ》
船団は、無事でいてくれた様だ。
僕が船団のいるはずの方向、3時の方へ視線を向けると、そこには、陣形を乱さないまま整然と航行を続けている船団の姿があった。
《軍曹、すまんがそのままそいつらのお守(も)りをしながら基地に向かってくれ。こっちも、交代が到着するまで待機してから引き上げる! 》
カルロス軍曹がレイチェル中尉に「了解」と返す前に、僕らの通信に、サン・マリエールの管制官からの連絡が割り込んで来た。
《301A、こちら護衛艦隊旗艦、サン・マリエール。待機の必要はない。貴隊には損傷機もある様だ。そのまま帰還されたし》
《何だと? いいのか、それで? 》
《問題ない。たった今、交代の戦闘機部隊が到着した》
友軍が来るとすれば、東の方、僕らから見て、11時くらいの方向だ。
僕がその方向を見上げると、確かに、そこには機影があった。
11機のベルランD型から成る編隊と、そのやや後方に遅れて、12機のエメロードⅡC型から成る編隊の姿が確認できる。
僕らと船団上空の護衛任務を引き継ぐ予定となっていた、301Bと391Bから成る部隊だった。
あれ、と思って腕時計を確認すると、交代の護衛戦闘機の部隊が到着する予定時刻よりも、5分以上早かった。
どうやら、敵機侵入の報告を受けて、大急ぎで飛んで来たらしい。
僕と同じく、船団の上空に現れた友軍機の編隊の姿を確認したレイチェル中尉は、はっ、と不敵に笑った。
《301Bと391Bか! よほど急いで飛んで来たらしいが、残念だったな! パーティはもうおしまいだ! ……あー、あー、301B、こちら301A、レイチェル中尉だ! 残念なお知らせがある! 敵機はこっちでみーんな、食ってやったぞ! 》
《301A、こちら301B、パトリック中尉。……何だと? 大急ぎで来たのに、我々は1機もありつけないと言うのか? 》
《すまんが、あたしらが大食いだったのさ! なぁに、どうせ、連邦の奴ら第2波を送り込んで来るさ。……パトリック中尉、後は頼んだぞ! 》
《任せておけ。……301A、無事の帰還を祈る》
《そっちもな! ……さぁて、301A全機、これより基地に帰還する! 船団が無事に港にはいりゃ、少しくらい御馳走も食えるだろうさ! 》
《《《《了解! 》》》》》
僕らはレイチェル中尉の指示に答え、進路を東へと取る。
船団はまだ、王国の港へと無事に到着できたわけでは無かったが、それでも、僕らの任務はこれで終わりだ。
僕らは、胸を張って、そして、来た時と同じ様に7機で、基地へと帰ることができる。
これ以上ない結果だと言えるはずだ。
《301A、こちら護衛艦隊旗艦、サン・マリエール。貴隊の護衛に感謝する。……ありがとう、守護天使たち》
最後にそう言って僕らのことを見送ってくれた管制官の言葉が、少しだけこそばゆく、そして、とても嬉しかった。
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