16-32「人参(にんじん)」

 作戦の打ち合わせが終わると、僕らは一時解散することになった。

 202Bは、これからグランドシタデルを使用しての飛行訓練に入るのだというが、僕ら301Aは地上に残り、仮眠を取る予定になっている。

 今すぐにでも作戦のための訓練を開始したい気持ちだったが、僕らは徹夜明けで、ここ何日も仮眠ばかりでまともな睡眠をとっていない。

 これから飛ぶのは自殺行為だった。


 今回の作戦は、絶対に失敗できないものだ。

 失敗すれば、王国は本当に、消滅してしまうかもしれない。


 気持ちは焦るばかりだったが、しかし、全く休まずに動き続けるのは無理なことだ。

 飛んでいる途中で、容赦のない睡魔に襲われ、気がついたら事故を起こしてしまっているかもしれない。あるいは、2度と目覚めることが無いかもしれない。

 僕だって、誰だって、そうなってしまうかもしれない。

 疲労とはそういうものだ。

 結局、休むのも任務の内だと割り切るしかなかった。


 宿舎へと向かうためにブリーフィングルームがある建物から外に出た僕は、空から降り注ぐ陽光の眩(まぶ)しさで思わず目を細めた。


 見上げた王国の空は、一見すると、平穏そのものの様に思える。

 王国南部はこの惑星の赤道により近く、太陽が豊富な光を地上へと送り届けてくれるから、王国南部は北部の雪深い冬と違って暖かい。

 空気は澄んでいて、遠くの方までよく見通しがきき、厚みの無い雲が水平線の近くにいくつも漂(ただよ)っているのが見える。


 空は、いつ飛んでもいいものだ。

 空は一度として同じ表情を見せないし、僕は、そんな空を飛ぶのが好きだ。

 今だって、徹夜明けで眠いはずなのに、この空を飛びたいという気持ちが湧(わ)き起ってくる。


 幼い頃はただ憧れていただけだったが、実際にパイロットになってみると、この生き方は僕に向いていると思う。

 僕が自由にこの空を飛びまわれるのが戦争のおかげだということが、残念ではあるが。


 この空を、戦争のことなど考えずに飛ぶことができるよう、僕は、僕にできることをやらなければならない。

 そして、僕を生かしてくれた人々や、攻撃に怯え、夜、僕らと同じ様にぐっすりと眠れないでいる人々のために。


 連日、昼夜を問わず敷かれている警戒態勢から来る疲労のおかげで、僕はベッドに倒れこむとすぐに意識を失っていた。

 気絶するように眠るという言い方を聞いたことがあるが、こんな感じのことを言うのだろう。


 気がつくと、目覚まし時計が鳴っていた。

 全然、眠り足りなかったが、それでも起き出すしかなかった。


 僕が満足に休むことができるのは、この戦争が終わってからのことだ。

 少なくとも、グランドシタデルによる攻撃を阻止してからでないと無理だろう。


 瞼(まぶた)も重いし、身体全体が重い。

 意識もぼんやりとしていて、すぐにはうまく働いてくれそうになかった。

 それでも、僕は無理やり身体を動かして、疲労のあまり悲鳴をあげている自分自身を無理やり目覚めさせ、あと5分でいいからベッドの上にいたいという誘惑を振り払って部屋を出た。


 仮眠を終えた後、僕ら301Aは早めの昼食をとり、その後202Bと合流して、作戦を実際に実行できるかどうか、昼間の明るい内に試してみることになっている。

 作戦は、昼ではなく夜間に実行できなければ意味が無いものだったが、ぶっつけ本番でいきなり夜に試すのは不安だし、危険だ。

 安全に飛行でき、お互いの位置を目視で確認できる昼間の内にその感覚をつかんでおきたかった。


 正直、疲労が抜けきっていない状態では食欲もあまり湧(わ)かなかったが、飛行機の操縦には体力が要り、力をつけるためには食べなければならない。

 僕は食堂で、自分の好みのものを多めに、今は食べたくないものを少なめに、あるいはまったく取らない様にして盛りつけ、僕と同じく食事をするためにやって来ていたいつもの顔ぶれと一緒のテーブルを囲んだ。


 普段なら自然とおしゃべりが始まるものだったが、みんな疲れが抜けきっておらず、そういう余裕が無かったので無言のままだった。

 食器がぶつかり合う、わずかな音だけが響いている。


 ごとり、と、食事のつけ合わせとして用意されていた、細長く切り分けてゆでられた人参(にんじん)が山の様に盛りつけられた器がテーブルの上に突然置かれたのは、僕らが黙々と食事をしていた時のことだった。


「はい、兄さん。ちゃんと食べてね? 」


 その人参(にんじん)の山を持って来たのは、アリシアだった。

 僕が何事かと思って見上げると、彼女は少し怒っている様子だ。


「えっと、アリシア? これは、どういう? 」

「だって、兄さん、野菜を全然持って行かないんだもの! それじゃ、身体に悪いじゃない!それにね、他の人から聞いたんだけど、パイロットには人参(にんじん)っていいらしいのよ。何でも、かろてん? っていうものが含まれていて、目にすっごくいいんだって! 」


 僕は、視線を2度ほど、アリシアと山盛り人参(にんじん)との間で往復させた。

 パイロットにとって視力は確かに大切なものだったが、人参(にんじん)が目にいいとは、初めて聞く話だ。

 それに、今は正直言って、人参(にんじん)はあまり食べたくない。


 僕は、決して、人参(にんじん)を食べられないというわけでは無い。

 だが、進んで食べたいとも思わない。

 特に、今は疲労が抜けきらずに、食欲が無いのだ。

 好きなものだけ食べたかった。


「えっと、アリシア。気持ちは、嬉しいんだけど……」


 そう言って僕は辞退しようとしたのだが、返って来たのはアリシアからの冷たい視線だった。


「なぁに? 兄さん。私が洗って、皮をむいて、切って、一生懸命にゆでた人参(にんじん)が、食べられないっていうの? 」

「いや、そういうわけじゃなくって、今は、ちょっと……」

「ちょっと? 何よ? 」


 僕は、アリシアの眼光に気圧されて押し黙るしかなかった。

 こういうやけに押しの強いところは、アリシアは母さんによく似ている。

 いつも真面目で一生懸命にやっている分、「私が料理したものを食べられないっていうの? 」と凄まれると、僕は何も言えなくなってしまう。

 そう言えば、父さんがよく、母さんに同じ様に責められていたっけ。

 どうやら、僕も父さんの息子で間違いない様だった。


 僕が言葉に詰まっている間に、他の仲間たちの間では、「あの子って、誰だっけ? 見覚えはあんだけどなー」「ミーレスの妹さんよ。アリシアっていうの。この前の空襲で家が焼けちゃったから、私たちと同じ宿舎に越して来た子よ」「へー、そういや、最近宿舎で見かけるわね」「なかなかかわいい子デースネ! 」などといった会話が交わされている様だ。


 その間にも、僕はどうにかアリシアを説得できないものかと彼女の様子をうかがっていたのだが、僕が何かを言おうとすると、「ん? 」とか「は? 」とか言われて威圧されてしまう。

 どうにも、反撃の糸口が見いだせない。


 やがて、隣から、吹き出す様に笑う声が聞こえた。

 ジャックだった。


「ぷはっ、アハハっ! ミーレス、お前の負けだな! ホラ、その山盛りの人参(にんじん)、頑張って食べるしかないぜっ! 」


 彼は他人(ひと)ごとだと思って笑っている様だったが、残念ながら、アリシアの標的は僕だけではない様だった。


「えっと、ジャックさん、でしたっけ? ジャックさん、貴方も、この人参(にんじん)を食べるんですよ? 」


 そう言うとアリシアは人参(にんじん)の器を持ち上げ、手に持っていたフライ返しを器用に使って、ジャックの食事の皿にドカドカと豪快に人参(にんじん)を盛りつけた。

 たまらず、ジャックが悲鳴を上げる。


「ぅげぇっ、こんなに!? ちょっ、俺、人参(にんじん)は苦手なのに! 」

「あら、いいじゃないですか。これを全部食べるころにはきっと好きになっていますよ。何しろ、私が一生懸命にお料理した人参(にんじん)ですからね」


 そう言うと、アリシアは僕以外のパイロットたちの食事の皿にも、人参(にんじん)を強制的に盛りつけて行った。


「ちょ、ちょっと待ってくだサーイ! 私もニンジンは苦手デース! 」

「なら、ちょっとサービスして、1本余計に差し上げますね。きっと人参(にんじん)が好きになりますよ? 」

「あ、あたしは、別に、好き嫌いとかしてないし。人参(にんじん)だって、ほら! ちゃんと食べてたし! 」

「素晴らしいですね! なら、もっと食べましょう! 」

「えっと、そのー、アリシア? 私、そんなにたくさん、食べられないんだけど……」

「いっぱい食べれば、きっと背がのびますよ。もっと背をのばしたいって、この前おっしゃっていましたよね? 」


 アリシアは、一切の迷いも、遠慮も無い。


 僕は、半ば呆然として、アリシアが僕の皿にも人参(にんじん)を盛りつけていく様子を見ていることができなかった。

 我が妹ながら、強い。

 強すぎる!


「さ! みなさん、召し上がれ! 」


 そして、全ての人参(にんじん)を盛りつけ終えると、アリシアは満面の笑顔で僕らを睨(にら)みつけ、威圧した。


 僕らは、お互いに、お互いの表情をうかがい合う。

 ただでさえ食欲が無いのに、この、大量の人参(にんじん)。

 目にも鮮やかなオレンジ色が、ただただ強烈な存在感を放っている。


 盛りつけられた人参(にんじん)の山に、最初にフォークを入れたのは、ナタリアだった。


「うー、食べるしかなさそうデース……。みなさんも、大人しく食べまショ。その女の子には勝てそうにないデース」


 そう言うと彼女は、人参(にんじん)を口へと運び、眉をしかめながら食べ始める。

 どうやら、本当に人参(にんじん)は苦手な様だ。


 僕は、自分の分の人参(にんじん)の山に視線を落とす。

 頭上からは、アリシアのプレッシャー。

 どうやら、僕は彼女の意思を尊重して、この人参(にんじん)の山を食べる他ない様だった。

 どうやら他の仲間たちも抵抗は無意味と理解した様で、みんなして黙々と人参(にんじん)を食べ始めている。


「うん! よろしい! 」


 そんな僕らの様子を見て、アリシアは満足そうな笑みを浮かべた。

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