16-29「戦略爆撃」

 連邦は王国に対する戦争に勝利するために、ありとあらゆる手段を取ることを決意している様だ。

 彼らはその手始めにクレール市を無差別に爆撃し、市街地の三分の一を焼き払った。


 そして、その第2派は、思ったよりもずっと早くやって来た。

 クレール市が攻撃を受けたその翌々日の夜、連邦のグランドシタデルは再び王国の空へと侵入して来た。


 新たに攻撃を受けたのは、王国にとっての重要な港湾都市であり、その重要性から王国南部全体の防空戦を指揮する指揮所も置かれているタシチェルヌ市だった。

 連邦軍の攻撃目標となったのは主に王国の産業基盤となっているタシチェルヌ市の工場群だったが、被害はタシチェルヌ市の市街地にも及んだ。

 タシチェルヌ市の工場のおよそ10%が被害に遭い、市街地も同じく10%焼け落ちた。


 タシチェルヌ市はクレール市よりも人口も多く、その市街地も大規模だったから、これはクレール市よりも被害が小さかったというわけではない。

 万を超す死傷者が生じ、多くの人々が家や家族を失った。


 王立空軍は、この連邦側の新しい戦術に、全く対応できていない。

 タシチェルヌ市に敵機が爆弾の投下を開始する前に交戦することができた王立空軍の戦闘機は少数で、戦果も、撃破1機、撃退2機と、クレール市の時よりも大きかったが、とても満足のいくものではない。

 他に、対空砲によって2機の敵機の撃墜が報じられ、他にも多数に損傷を与えたとされているが、実際のところも戦闘機よりも対空砲火の方が戦果をあげているのだろう。


 僕らも出撃したが、301Aはクレール市に敵機が向かうことを警戒してその上空にとどめられ、タシチェルヌ市の方へ向けられることが無かったので、結局1弾も消費せずに虚(むな)しく帰還することしかできなかった。


 連邦はその後も、数日おきに夜間攻撃を繰り返した。

 それも、回数を重ねるごとに、その規模を増しながら。


 グランドシタデルによる3回目の夜間爆撃は、再びタシチェルヌ市の工業地帯へと向けられた。

 この攻撃でタシチェルヌ市の工場がさらに10%、市街地が同じく10%失われた。


 4回目の攻撃は、タシチェルヌ市上空の天候が悪く連邦側が攻撃目標を変更した様で、爆撃はクレール市の港湾部へと集中した。

 港湾部には王立海軍の軍港があり、多くの艦艇が錨泊(びょうはく)していた。爆弾の多くは海の上へと落ちたが、複数の大型の軍艦に被害が生じた他、数隻の小型の軍艦と、港で作業に使われていた艀(はしけ)などが焼失した。


 王立空軍ではこれらの攻撃にどうにか対抗しようと、できるだけ多くの迎撃機を飛ばし続けていたが、夜間であるために会敵すらおぼつかない戦闘機部隊が多い。

 敵機の迎撃に成功しても視界が悪いために効果があがらず、戦果は数えるほどしか得ることができなかった。

 僕ら301Aも、4回目の攻撃を受けた時に、レイチェル中尉とカルロス軍曹、ナタリアが3機共同で1機を撃墜し、ジャック、アビゲイル、ライカ、僕の4人で1機に損傷を与えた程度の活躍しかすることができなかった。


 連邦軍では、この様な攻撃目標を軍事目標や軍需産業だけに限定せず、市街地も無差別に攻撃する戦い方を、「戦略爆撃」と呼んでいるらしい。


 これは、僕らが以前グランドシタデルを鹵獲(ろかく)した際に捕虜となった連邦の搭乗員から聞き出された用語だったが、王立空軍にとっては耳慣れない言葉だった。


 かといって、全く知見が無いというわけでも無かった。

 王国にもその戦略爆撃という用語と思想は届いており、王立空軍の一部の将校たちはそのことをきちんと理解していた。

 王国でその言葉がほとんど知られていなかったのは、王国にとっての戦争とは「自衛戦争」とイコールであり、敵国に対して強大な空軍力を投入して実施される戦略爆撃は王立空軍にとっては不要かつ行き過ぎた思想で、加えて王国の生産力では実現不可能だとされていたためだ。


 戦略爆撃と言うのは、簡単に言えば、航空機という新しい兵器を用い、敵国の中枢へ深く侵入し、その産業や経済を攻撃して継戦能力を削ぎ落し、合わせて敵国の国民に対して恐怖と厭戦(えんせん)感情を植えつけ、空軍の力だけで戦争の勝敗を決めてしまおうというものだった。


 これは、元をたどれば、第3次大陸戦争の際に長大な塹壕線を挟んで泥沼の戦争が行われ、膨大(ぼうだい)な人命を喪失したことから、「こんなやり方の戦争は続けられない」として生まれた思想だ。


 飛行機は、塹壕など無視して空を飛んでいくことができる。

 強固な陣地で頑強に抵抗する敵軍を無視して、敵国の重要な部分を直接、攻撃することができる。


 しかも、飛行機は空という広い空間を使って、敵に対して様々な方向から侵入することができる上に、攻撃を実行する側はそのタイミングを自由に決定することができるため、敵にとっては阻止が困難となるはずだ。

 飛行機による阻止困難な攻撃を受けた敵は、戦争遂行に必要な産業や経済に打撃を受け、やがてその継戦能力を失っていくことになる。


 王国ではその国情からほとんど見向きもされなかった考え方だったが、連邦では熱心に研究を行っていた様だった。


 グランドシタデルという存在そのものが、その何よりの証拠だ。


 僕らが鹵獲(ろかく)したグランドシタデルは多くの損傷を負っていたが、王立空軍はこの巨大な機体をできる限り修復し、その高性能の全容を把握しようと努力を続けていた。

 捕虜となった搭乗員から情報を聞き出すのと同時に、撃墜に成功したグランドシタデルの残骸などを収集し、使える部品などを集めて修復を進めた。

 入手できなかった部品はその材質や寸法を調べ、王国で再現できるものは可能な限り再現した。


 そして、とうとう、王国は鹵獲(ろかく)したグランドシタデルを飛行させることに成功するところまでこぎつけた。

 まだ不明な点は多かったが、その高性能のほとんどが明らかとなった。


 グランドシタデルは最高速度が時速600キロメートルを超え、数千キロメートルを往復して作戦を実施するだけの能力を備えているということは、すでに王国でも広く知られている。

 それだけでも十分過ぎるほどの高性能だったが、グランドシタデルはその上、爆弾の最大搭載量が10トンに迫り、長距離を飛行して、大量の爆弾を一度に攻撃目標へと投下する能力を有しているということだった。


 敵国の中枢部分へと侵入し、その産業、経済を破壊する。

 そのための、長大な航続力。そして、圧倒的な搭載量だった。


 連邦は元々、グランドシタデルを帝国の本土へと侵入させ、戦略爆撃を行うことを構想していた様だ。

 その航続距離は、連邦の領域から、帝国の帝都を攻撃するために十分なものが確保されている。


 その力は今、王国へと向けられている。

 連邦は王国の全土を無差別に攻撃し、破壊しようとしている。


 飛行場や軍港などの軍事目標はもちろんその攻撃目標となっているのだろう。

 新工場をはじめ、王国の軍需生産に関わっている産業施設も、目標に入っている。

 そして、それ以外の工場や、市街地でさえ、連邦から狙われている。


 全て、計算づくで行っていることだ。


 家を焼けば、焼き出された住民はまともな生活を送ることが難しくなる。

 まともな生活を送ることのできる王国の人々が減れば、自然と王国の経済や産業が機能しなくなり、軍需生産にも影響が生じて、王国の軍事力は弱体化していく。


 経済が止まり、産業が衰退すれば、人々は働く場所を、生計を立てる術を失うことになる。

 そうなれば、僕らは日々の食事にも事欠き、毎日の衣服にも悩み、路頭にさまようこととなるだろう。

 戦争どころではない。


 連邦は王国をその様な窮状(きゅうじょう)に陥らせ、王国の人々に恐怖と敗北感を与え、抵抗する気力を根こそぎ奪おうとしている。

 彼らは、勝利を得るために手段を選ばない。

 それほどのことをしてまで、連邦はこの戦争に勝利しようとしているのだ。


 連邦は、彼ら自身が信じる「正義」のために戦っている。

 連邦にとっては自身が主張する彼ら流の民主主義、人民の自由と平等の権利が何よりも大切なもので、絶対君主を国家元首として戴(いただ)く帝国の存在そのものが全否定の対象だった。


 そして、その帝国を打倒するために、連邦にとって都合の悪い存在となったのが王国だ。

 連邦は彼らの信じる大義を成しとげるために、あらゆる手段で王国を滅ぼそうとしている。


 連邦には、連邦の言い分がある。

 人間の自由や平等という権利は、確かに大切なものだと僕も思う。

 誰かに自分自身という存在を勝手に定義され、その定義の中でしか生きることができないなど、考えたくも無い。

 誰かには様々なものが与えられ、自分自身にはそれを得るために努力する機会さえ与えられない様な世界では、息が詰まるだろう。


 だが、こんなことまでして、連邦は何をしようと言うのだろう?

 僕ら、王国は彼らに確かに賛成はしてこなかった。

 それは、僕らには僕らなりの考え方があって、連邦が示す狂信的な姿勢が受け入れられなかったからだ。


 だが、僕らは連邦に敵対しようとしたことは1度も無かった。

 連邦が帝国と争うのに、何の妨害(ぼうがい)もしてこなかった。

 僕ら王国は連邦の味方では無かったが、敵でも無かった。


 それでも、連邦は王国に対して容赦するつもりは無い。

 彼らにとっては帝国の打倒こそが至上で、その邪魔となるものは何であろうと、どんな事情であろうと、抹殺するべき敵なのだ。


 僕は、この戦争を戦う間に、戦争について分かったつもりになっていた。

 だが、それは思い上がりに過ぎなかった。


 連邦にとって、この「第4次大陸戦争」というものは、どんな手段を使っても勝利しなければならないものなのだ。

 そして、恐らくは、帝国も同じ様に考えているのだろう。


 王国は、僕らは、その様な考えを持った連邦と帝国の間で、どうにか生きのびなければならない。


※作者注

 史実における戦略爆撃は、イタリア人のドゥーエという人が提唱したものを基本として各国に広まり、特に英米で大規模に実施されていきました

 WW1後の各国は、WW1で体験した塹壕線からいかに脱却するか、同じ状況になっても打破するにはどうするかを考えて軍事力の形勢を行っている傾向があり(我が国日本も予算などの都合で不十分ですが同様の傾向を持っていました)、そういう視点で眺めてみるとまた面白い発見があるのではないかと思います

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