16-28「灰」
たった一晩で、クレール市の三分の一が焼け落ちた。
多くの人々が集まり、色とりどり様々な魚介類が売られていた魚市場や、僕が新鮮な魚介類に舌鼓(したつづみ)をうった港のレストランは、もう存在し無い。
僕がライカとアリシアのために香水を買った店がある商店街も焼け落ちてしまった。
被害は、これだけにはとどまらない。
炎は、オリヴィエ王国に由来する美術品を展示していた美術館にも襲いかかり、美術館はすっかり灰になってしまった。
展示されていた美術品を職員たちがどうにか運び出そうとしたのだが、収蔵品のおよそ半数は炎の中に消えていった。
たった1度の攻撃で、たくさんの人々が家を失った。
クレール市にあった、オリヴィエ王国の時代から続く伝統や文化。
人々の暮らし。
炎は容赦なくそれらを焼きつくして行った。
焼け跡には、焼けずに残った建物の外壁だけが残り、そこに街があったという痕跡を、幽鬼(ゆうき)の様になりながら、どうにか僕らに伝えている。
クレール市の建物は石やレンガを漆喰(しっくい)で塗り固めて作られたもので、火災には強いはずの物だったが、実際にはその内部の多くは木材で作られており、一度火がつくとよく燃えた。
消防隊は不眠不休で消火活動に当たったが、連邦軍機の攻撃によって広範囲に一度に強烈な火災が発生したために対処が間に合わず、できるだけ多くの人々を避難させるために火の勢いを抑えるだけでも精いっぱいであった様だ。
クレール市の人々は協力し、炎の中をどうにか生きのびようと頑張った。
それでも、多くの犠牲者が出てしまっている。
その数は、数千人では足りない。
被害の全容はまだ明らかでは無かったが、死傷者の数は万を超えるだろう。
運よく焼け残ったクレール市の施設は今、家を焼け出された人々や、負傷した人々、そして遺体などを収容して満杯の状態だった。
王国の王家の別荘として使われている古い城館は、国王フィリップ6世の意向もあって負傷者のために開放され、臨時の病院となって少しでも多くの人々を救うために使われている。
そこはフィリップ6世の滞在場所ともなっていたのだが、今は国王自ら医師たちの手足となって働き、負傷者の治療を行っているということだった。
クレール市に古くからあり、厳粛な雰囲気を持っていた大学の構内は、臨時の遺体安置所とされ、多くの遺体が運び込まれている。
その多くが、火災に巻き込まれてしまった人々だった。
中には損傷が激しく、炭(すみ)の様になって、身元さえ分からない様な遺体も多くあるらしい。
とても、恐ろしいことが起こった。
起こってしまった。
そして、その出来事を、僕はただ呆然として、見ていることしかできなかった。
基地へと帰還し、着陸した後の僕はずっと、炎で赤く照らし出されたクレール市の空を見つめていた。
目を離すことが、どうしてもできなかった。
あの赤い空の下にいる人々は、直接戦闘には従事しない、非戦闘員ばかりなのだ。
僕らは確かに戦争をやっている。
戦争と言うのは、どう言葉を取り繕(つくろ)っても、命の奪い合いでしかない。
だから、戦争によって誰かの命が失われていくことには、気持ちの整理をつけることができる。
お互いに武器を取って戦っている以上、文句を言えるようなことでは無いからだ。
だが、どうして、武器を持たない人たちまで犠牲にならなければならないのだろう?
あの街には、老人や、子供だって、たくさんいたのに!
それでも、僕はどうやら幸運だったらしい。
翌日になって、僕がずっと心配していた妹のアリシアが、何事も無かったかのように基地へと出勤して来たからだ。
彼女の髪や衣服は少し煤(すす)けてしまっていたが、それでも、怪我も無くて元気そうな様子だった。
僕は彼女が無事だったということに安心し、とても嬉しく思ったのだが、厳密に言うと僕の母さんとアリシアは「無事」ではなかった。
2人がクレール市に与えられて住んでいたい家は攻撃の巻き添えとなり、焼け落ちてしまっていたからだ。
連邦からの攻撃を受けた時、タシチェルヌ防空指揮所から発令された警報を聞いていた2人は防空壕にいて、攻撃の直撃を受けることは無かった。
それでも、防空壕の周りでは火災が起き、火の手から逃れるために大変な思いをしたということだった。
しかも、母さんは火傷を負ってしまったということだった。
今は臨時の病院となっている王家の別荘へと運び込まれて、治療を受けているらしい。
その話を聞いた時、僕は全身から血の気が引く様な思いだったが、アリシアは「大丈夫よ」と、僕を安心させるように笑って見せた。
「母さんの火傷は、そんなに酷くは無いわ! いつもみたいに元気で、むしろ、こんな時でも無いと入れない王家の別荘に入れるって、喜んでいるくらいなんだから! 」
その話を聞いて、僕は少しだけ笑うことができた。
母さんらしく、たくましい話だと思ったからだ。
僕は母さんとアリシアが無事だと分かってひとまず安心はできたが、彼女を放っておくわけにはいかなかった。
僕の家族は2人とも生きていてくれたが、家を失ってしまったことには変わりがない。しかも、持って来ていた身の回りの品などもほとんど失ってしまったから、このままでは暮らして行くことができなくなってしまう。
アリシアが基地に出勤して来たのだって、それが仕事だということもあったが、それ以上に、僕に生存報告をするためと、「他に行ける場所が無い」からだ。
こういう時に頼りになるのが、301Aに所属する将兵の間で密かに「親父」と呼ばれて慕われているハットン中佐だ。
僕は新たな戦術を取って来た連邦軍に対処するための作戦会議などで忙しそうにしていたハットン中佐に無理を言って、アリシアを僕の部隊でしばらく面倒を見てもらえないかと頼み込んだ。
ハットン中佐は、アリシアを301Aの宿舎で受け入れることを快く許可をしてくれた。
と言っても、軍では元々、軍に雇われている人々だけではなく、焼け出されてしまった全ての人々のために臨時で基地の施設などを貸し出す方針でいるということだったから、僕やアリシアだけを特別扱いしてくれたというわけではなさそうだ。
ハットン中佐がその権限を行使したのは、せいぜい「アリシアを301Aの宿舎に受け入れる」という部分だけだろう。
それでも、ハットン中佐が他の場所ではなく、僕らの部隊の宿舎にアリシアを受け入れてくれたことは僕にとって嬉しいことだった。
アリシアの安否を、毎日でも直接確認することができるからだ。
王国はクレール市の市街地に受けた被害の対応のために大忙しだったが、王立軍の方でも、連邦側が取って来た新しい戦術に対応するために、やらなければならないことが山積みだった。
王立空軍ではその搭乗員に夜間の飛行を可能とする教育を行ってきてはいたが、それは今回の様な大規模な攻撃に対応するためのものではなく、もっと小規模な攻撃や、味方の基地の間を夜間飛行して移動するという目的のためだ。
今回の様な事態は王立空軍が過去に想定したどんな予測にも存在せず、それに対抗するためには一から方法を考えださなければならなかった。
王立軍では夜間は視界が悪くなる関係上、その間には大規模な攻撃は実施困難であるとずっと考えられてきた。
それに加えて、天体以外には何も目印の無い海の上を、何千キロメートルにも渡って正確に飛行し、攻撃を加えてくるような爆撃機が存在することなど、少しも考慮されて来なかった。
だが、現実に連邦がそういった戦術を取り、グランドシタデルを使用して実現して見せた以上、何かをしなければならない。
昼間だけではなく、夜間においても、連邦のグランドシタデルを効果的に迎撃する方法をどうにかして作り上げる必要がある。
これは、これまでの様に昼間だけではなく、夜間でも僕ら戦闘機部隊は臨戦態勢を取り続けなければならないということだ。
パイロットには休む時間が無くなってしまうということで、大きな負担になるのは間違いなかった。
それでも、僕をはじめ、パイロットたちはそれをやるつもりでいた。
パイロットたちの中には、今回の攻撃で家を失い、家族や友人を失った者も多くいる。
同じことが起きるのを防ぐことができるのなら、そうしたいと思うのはみんな同じだ。
そして、どうやら、連邦はクレール市を「間違えて」攻撃したわけでは無い様だった。
どうしてそう言えるのかと言うと、連邦軍機によって夜間攻撃が行われたその翌日、再び連邦は大陸全土へと向けてプロパガンダ放送を行い、クレール市に対して「裁きを下した」と公式に宣言を行ったからだ。
誤爆でも、誤認でも無い。
連邦は、王国に対して、軍人だろうがそうでなかろうが関係の無い、無差別攻撃を開始したのだ。
連邦はこれから、夜間の攻撃を繰り返し用いて来ることになるだろう。
昼間であれば王立空軍は強力な迎撃を実施することができるのだが、夜間においてはほとんど機能しないということが、今回のことで明らかとなってしまったからだ。
敵に弱点があるのなら、それを攻めない理由は無い。
僕らが少しでも早く対抗する手段を持たなければ、王国は連邦の国家元首が宣言した通り、その全てが焦土となってしまうだろう。
都市という都市、街という街、村という村。
その全てを焦土とすると連邦の国家元首は宣言したが、僕は最初、それを脅しだろうと思っていた。
軍事施設を攻撃するのなら分かるが、家を焼き払うことに意味があるのか? そう考えていたからだ。
だが、連邦は本気で、王国を焼却するつもりでいる様だった。
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