16-25「警報」

 連邦軍は、攻撃を諦めていない。

 それを知った僕らは、翌日以降に開始されるのであろう連邦側からの猛攻撃に備えることにした。


 僕らは食堂へと向かい、力を蓄(たくわ)えるために少し多めに食事を配膳してもらった。

 僕と同じテーブルを囲んだのは、ジャック、アビゲイル、ライカといたいつもの顔ぶれに加えて、義勇兵として大陸外の遠い異国からこの戦争に参加しているナタリアだ。

 レイチェル中尉とカルロス軍曹は、クラリス中尉、アラン伍長などと一緒に、別のテーブルで食事をとっている。


 実を言うと、ナタリアは今までは僕ら未成年グループに混ざっておらず、いつもレイチェル中尉たちと一緒に食事をしていた。

 彼女は20歳以上であり、以前は飛行する際の僚機であるレイチェル中尉やカルロス軍曹と連携を深めるためもあって中尉たちと一緒にいたのだが、2週間ほど前、大規模なグランドシタデルへの迎撃戦が実施された後から、僕らと一緒に食事をする様になっている。


 事情ははっきりとはしていないが、あの日は着陸して任務が終わった後、数時間にわたってナタリアはレイチェル中尉と2人きりでブリーフィングルームへと缶詰めになっていたから、その時に何かがあったことは確実だ。

 一見するとナタリアはいつも通りで、任務の際にも何も問題は無いのだが、生活習慣を変える、少なくともレイチェル中尉からは距離を置きたいと思う様な何かがあったのだろう。


 1度、ジャックが興味本位で、ナタリアがレイチェル中尉からどんな「教育」を受けたのかを聞き出そうとしたのだが、その話題が出た瞬間、ついさっきまで、あの多くの人から好かれる人懐っこくて明るい笑顔で笑っていたナタリアは、一切の身動きを止めた。

 その顔からは表情が無くなり、瞳の中からは光が消えた。


 よく分からないが、彼女は、何かを思い出すことを全力で拒否している様だった。

 自分自身でそうしようと思ってやっているのではなく、身体が、頭が、勝手にそうなってしまうのだ。


 トラウマ、というやつなのだろう。

 その時、ナタリアは僕らから何を聞かれても力の無い小さな声で「デース……」としか言わなくなり、まるでそれしかしゃべれないかの様だった。


 僕らが慌てて話題を変え、必死になって明るい雰囲気を作るとナタリアは再起動し、いつもと変わらずに会話へと混ざって来てくれたのだが、僕らにはそれが逆に、恐ろしかった。


 いったい、中尉は彼女にどんな「教育」をしたのだろうか?

 怖いもの見たさとでも言うのか、少し気になる様な気もしたが、この一件以来、僕らの間でその話題を口に出すことはタヴ―とされている。

 世の中には、触(ふ)れなくていいこともあるのだ。


 ナタリアは301Aに加わってからまだ日が浅かったが、その人当たりの良い性格が効果を発揮した様で、すっかり部隊に打ち解けていた。

 僕らパイロットとの間の意思疎通にも何も問題ないし、整備班たちとも仲良くやっている様だ。


 ただ、僕らの部隊のマスコットと化している、食いしん坊アヒルのブロンにとっては、ナタリアは災厄(さいやく)以外の何ものでも無かった。


 ブロンは最初、他の人々と同じ様に自分をかわいがってくれるとでも思ったのか、クワッ、クワッ、と機嫌よく鳴きながらナタリアへと近づいて行った。

 実際、ナタリアは、彼のことをとてもかわいがった。

 熱烈に。


 ナタリアはどうやら、ブロンの様な愉快な動物が好きである様だった。

 ブロンがすっかり油断していたところをガバッと捕まえたナタリアは、猫なで声を出しながら彼の全身を激しく撫でまわし、押し付ける様に強く頬ずりをした。


 ブロンはガーガー鳴きながら暴れ、どうにか逃げ出すことに成功したが、この出来事以来、ナタリアには決して近づこうとはしない。

 ナタリアはナタリアで、美味しそうなものをちらつかせてみるなどブロンを誘惑しているのだが、一度警戒心を持った動物はなかなか打ち解けてくれないから多分、彼女がブロンを捕まえることはもうないだろう。


 ブロンが助けを求める様な悲鳴を上げた時、彼には申し訳ないが、正直なところ僕は、いい気味だと思っていた。


 家禽(かきん)の世話をしたことがある人間が部隊の中で僕だけだったので、ブロンの世話は主に僕の担当になっていたのだが、どうやら僕の世話は「行き届き過ぎて」いたらしい。

 ブロンは彼の世話をしている僕のことを、どうやら周囲の人物関係の中で「もっとも下位にいる存在」、召使(めしつかい)か何かだと認識するようになってしまった様だ。


 彼は僕に対していつも世話を催促(さいそく)して来る様になったし、僕が彼の健康に配慮してエサの量を制限すると、露骨に反抗して来る様になった。

 僕が背中を見せると彼は嘴(くちばし)でつつこうとするし、僕が何かを持っていると、それが何であろうと奪おうとする。

 僕はいつでも、彼がどこにいるかに気を配らなければならなくなった。


 何度、彼をローストチキンにしてやろうと考えたことだろう?

 傲慢(ごうまん)で憎たらしく、しかも多くの人にかわいがられてエサをもらっているからすっかりと丸々と太って食べごろの奴をとっ捕(つか)まえて、彼の素晴らしい生活に終止符(ピリオド)を打ち、羽をむしって下ごしらえをして、妹のアリシアに満面の笑顔で「アリシア! 新鮮な鳥肉が手に入ったよ! 」と言って渡す瞬間を、何度、想像したことか!


 しかし、僕にはそれができなかった。

 何故なら、ブロンは僕らの部隊のマスコットとしてすでに欠くことのできない存在となっていたし、何よりも、ライカが悲しむからだ。

 僕はライカの笑顔を見たいと思うことはあるが、悲しんでいる姿を見たいとは思わない。


 ナタリアのことを考えていたのに、いつの間にか、胸の中がムカついてくることを考えてしまっていた。

 僕は気分を変えるためと、腹立ちを紛らわすためにシチューの入っていた器を手に取ると、スプーンで口の中にかき込み、胃の中に流し込む様に貪(むさぼ)った。

 仲間たちは僕の唐突な行動に驚き、呆れている様だったが、構うものか。


 だが、その時急に、警報が鳴り響いた。

 敵機の侵入を告げるものだ。


 僕がその時、シチューを飲み込み切っていなかったらきっと、驚いてまたむせてしまっていただろう。

 ボタンの掛け違う様なわずかな差で僕はむせなくて済んだが、そのことにほっとしている場合では無かった。


 僕らは、夜間になったのだから敵機が飛んで来ることはまずないと思っていた。

 飛んで来たとしても、以前、夜間飛行の訓練中に偶然遭遇した時のように単機だけで、大きな攻撃は行われないものだと思っていた。


 夜間では視界が悪く、何かを攻撃しようと思っても、満足に狙いをつけることができないはずだからだ。

 だが、警報が鳴るということは、敵機が単機では無いということだ。

 警報は王立軍の全軍に対して臨戦態勢を取るように命じるためのもので、一般の人々に対しては防空壕などに避難することを指示するためのものだからだ。


 同じテーブルについて食事をとっていた仲間たちは、最初は戸惑う様な顔をした。

 だが、すぐに、緊張感のある、引き締(し)まった表情になる。


 なぜ、警報が鳴っているのかどうかを詮索することは、僕らの仕事ではない。

 僕らの仕事は、敵機が爆弾を投下する前に迎撃し、その攻撃を阻止することだ。

 そのためには、1秒だって無駄にはできない。


 僕らは食事の途中だったが、それらを全て放棄して、格納庫へと駆け足で向かった。

 後片付けは、申し訳ないが炊事班にやってもらうしかない。

 レイチェル中尉たちも、すでに格納庫へと向かっている様だった。


 僕らが301Aの格納庫へと駆けつけると、いつもならすでに機体が駐機場に並べられて暖機運転が始まっているはずなのに、今日はまだ、機体を格納庫から引き出しているところだった。

 どうやら、整備班が機体を点検して整備するための作業を始めてしまっていたところに急に警報が発令されたから、少し出遅れてしまっているらしい。


 僕らは更衣室へとまず向かって飛行服を身につけ、自分たちの準備を整えると、それぞれの乗機へと向かった。

 僕らが着替え終わる頃には整備班たちも機体を駐機場に並び終え、エンジンの始動作業を開始している。


 僕らは操縦席に入り込んで飛行前の準備をしながら、無線機に耳を澄ませた。

 敵機が来ているということだけは分かっているが、それ以外の情報は何も無い。

 何が起こっているのか、少しでも早く知りたかった。


《管制塔、こちら301A! 状況は!? 敵はどこまで来ている!? 数は!? 》


 無線の中にまず飛び込んで来たのは、レイチェル中尉が大声でそう問い合わせている声だった。

 そして、管制塔からは、緊張した口調の管制官の言葉が返って来る。


《こちら管制塔! 南西から接近する所属不明機多数を探知した! 機数の詳細は不明だが、大規模な攻撃だ! クレール市からの距離は約500キロメートル。敵機は高度7000から8000メートル、時速400キロメートル以下で接近中。タシチェルヌ防空指揮所からは発進可能な戦闘機部隊は全て出撃せよとの指示が来ている! 301A、準備出来次第出撃してくれ! 》

《くそっ! 管制塔、301A、了解! ……全機、聞こえていたな!? 敵はやる気だ! 第1小隊、夜間飛行は訓練したよな!? 夜間の戦闘は初めてかもしれんが、やってもらうしかない! 》

》》

《よしっ! っと、カルロス軍曹は問題ないとして、ナタリア! お前は、夜間飛行と夜間戦闘はどうだ!? バージンか!? 》

《け、経験はありマース! 夜間戦闘で1機落としたこともありマース! 》

《はっ! 上等だ。……全機、暖機運転は短縮して飛ぶ! 時間が勝負だ、飛行準備急げ! 》

》》》》


 僕は他の仲間たちと一緒にレイチェル中尉に応答しながら、胸騒(むなさわ)ぎを感じていた。


 これは、今日の敵は、これまでとは何かが違う。

 そんな気がするのだ。

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