16-10「クレール市」

 僕は、この戦争の日々を、無我夢中で走り続けて来た。


 大国の身勝手な都合で始まった戦争を、仲間たちと一緒に生きのびるために。

 そして、できるだけ多くのものを失わず、守るために。


 一度は、全てが終わってしまえばいいのにと思った。

 戦って、戦って、傷つけ合って。

 いつしか、それを当たり前のものと考える様になっていた自分自身が、とても怖かった。


 だが、僕は大勢の人々によって生かされた。

 僕は僕1人だけのものではなく、僕を生かしてくれた人々のものにもなった。

 僕には、生者としての責任がある。


 たくさんの人々から支えられ、見上げられながら空を飛ぶ、パイロットとしてやらなければならないことが、確かに存在している。


 こんな理不尽な戦争を、少しでも早く終わらせる。

 そのために何ができるかはまだ分からない。だが、何かをせずにはいられなかった。


 だから、僕は何度でも戦うだろう。

 それが不毛なことだとは知っているが、その無意味なことを終わらせるために、僕にできることはそれだけだからだ。


 だが、後悔は残したくなかった。

 僕はこの戦争で死ぬつもりは無いし、そんなことは絶対に嫌だったが、戦う以上は、敵が僕のそんな個人的な都合を考慮してくれるはずが無い。

 第一、 僕だって、敵のそんな都合に配慮したことは無い。


 「そうなればいい」と思ったことはあったが、他に選択の余地がない時はいつでも、自分や仲間たちを優先してきた。


 勝敗の先には、必ずではないが、終わりが待っている。

 そしてそれを迎える側が、いつでも僕の対戦相手の方だとは限らない。


 そう考えた僕は、休暇の最後の1日を、クレール市での観光に費(つい)やして終えることにした。

 クレール市はもうすでに丸1日かけて見て回っていたが、まだまだ、全てを見ることができたわけでは無い。


 一生、訪れることが無いかもしれないと思っていた場所に、自分はいる。

 僕がここにいるのは偶然の結果に過ぎなかったが、ならば、その偶然をできる限り有効に使いたかった。

 僕は朝早くに出かけ、再びクレール市内を一周している路面電車を使って移動し、クレール市のあちこちを見て回った。


 特に面白かったのは、クレール市の港だ。

 海に面した王国の南部では漁業が盛んで、王国の北部とは異なった独特の食文化が形作られていた。

 王国南部の人々にとって魚介類は毎日欠かすことのできない食材の1つで、港には数えきれない漁船が朝早くから行き来しており、そこに併設された魚市場では、内陸部出身の僕には見たことも無い様な魚たちが並んでいた。


 一目で魚だ、と分かる様なものもあれば、これは本当に魚なのか? と思わされる様なものもある。

 形も、大きさも、色も様々で、見ていて少しも飽きが来なかった。


 その上、味も最高だ!

 魚市場に面したレストランでは、市場から直接仕入れた新鮮な魚介類を使った料理が提供されており、僕はそこで朝食と昼食を兼ねた食事をし、食べられるだけの海の幸を味わいつくした。


 中でも感激したのが、牡蠣(かき)と呼ばれている貝だ。

 僕にとっては信じられないことだったが、綺麗な海水で育ったその牡蠣(かき)を、王国の南部の人々は生でそのまま、好みの味つけをして食べるのだそうだ。

 僕は最初、お腹を壊すのではないかと思って避けようとしていたのだが、お店の人があまりにも熱心に、「名物だから」と勧めて来る。

 そこで、とうとう覚悟を決めて食べてみたのだが、本当に素晴らしい味わいだった。

 ぷりっとした食感に、噛めば噛むほど牡蠣(かき)が持つ独特な味わいが広がって来る。


 僕はとても幸せな気分になって、食事の後も港の辺りを散策した。


 クレール市の港には、イリス=オリヴィエ連合王国の王立海軍の基地も隣接していて、たくさんの軍艦が停泊している姿を見ることができた。

 中でも、戦艦と呼ばれている、一際大きな軍艦の姿が僕の目を引いた。


 とにかく、大きい。

 タシチェルヌ市からクレール市に渡って来る時に乗ったフェリーは、アビゲイルによると大きい方の船だということだったが、戦艦と呼ばれている軍艦はそれよりも何倍も大きかった。


 大砲も、たくさんついている。

 直径が何十センチもある様な巨大な砲弾を撃ち出すことができる大砲が何門もそびえ立っていて、それらが鋼鉄製の装甲で重厚に守られている。

 ベルランが装備している20ミリ機関砲は素晴らしい武器だったが、例えそれを何発も撃ち込んでも、戦艦はビクともしなさそうだった。


 艦橋と呼ばれている構造物が塔のようにそびえ立つその姿は、堅固な要塞がそのまま海の上に浮かんでいる様だ。

 艦上では、水兵服と呼ばれる白を基調とした軍服を身にまとった兵士たちが、きびきびとした動作で訓練に励(はげ)んでいる。

 何に使うのか分からない装置や艤装(ぎそう)がたくさん施されている姿は、それだけでも、あれはどうやって使うものなのだろう、何のためについているのだろうと、好奇心をくすぐられてしまう。

 僕は、ちょっとしたファンになってしまいそうだった。


 それから僕は、クレール市の中でも少しおしゃれな感じのお店が建ち並ぶ商店街へと足を運んだ。

 フィエリテ市でもそうだったが、クレール市にも、たくさんの商店が集まった賑(にぎ)やかな区画が存在し、戦時下であるにも関わらず多くの人々が集まって来ていた。


 クレール市には、まだ平時の空気が残っている様だった。

 王国の中では前線から最も遠く、まだ1度も攻撃を受けた経験が無かったからだろう。

 店の品ぞろえも、多少減ってはいるとのことだったが十分に豊富で、僕は目移りしてしまいそうだった。


 もちろん、僕は無駄遣いをできる立場では無かったので、商店街を訪れたのは観光が主目的だった。

 様々な商品は目で見るだけでも楽しいものだったし、人々の活気は、王国が戦争など知らなかった時の良い記憶を思い出させてくれる。


 ここは、このままであって欲しい。

 僕は、そう祈らずにはいられなかった。


 僕は散策を楽しんで満足し、別の場所へ移動しようと路面電車を待っていたのだが、その時ふと近くの店のショーウインドウに陳列されている商品を目にして、すっかり自分が忘れてしまっていたあることを思い出した。


 僕がかつて故郷の近くに不時着した時、追手から逃れるために僕は、妹のアリシアが大切にしていたはずの香水を勝手に使ってしまったことがある。

 僕はその時、アリシアに代わりの香水を買ってプレゼントしようなどと考えていたのだが、それを、ショーウインドウに並べられたガラスや陶器製の美しい小瓶たちの姿を見て思い出したのだ。


 せっかく、再会することができたのだ。

 妹に喜んでもらうのも、悪くは無いだろう。


 そう思った僕は、この後の予定を変更し、その店の中に吸い込まれる様にして入っていた。


 店に入ると、店員からは少しだけ驚かれた。

 その店は香水などを専門にあつかう店だったが、僕の様に軍服姿の男性が1人だけで訪れることはこれまで経験が無かったらしい。


 だが、僕が妹に送ってやりたいと話すと、店員はすぐに納得してくれた。

 それから、その妹様はどんな香りがお好みでしょうかと、僕に丁寧に確認して来る。


 僕は困惑させられてしまった。

 アリシアがどんな香水が好みかなど知らなかった。僕が追手から逃れるために使ったアリシアの香水の香りはまだ覚えていたが、その香りが何のもの、というのを口で説明することはとてもできない。


 すると、言いよどんでいる僕の様子を見て、店員は気をきかせてくれた。

 店員は僕にアリシアの性格などを問い、そこから、彼女に合いそうな香水を選んで僕に紹介してくれた。


 それはアリシアが使っていた香水とは別の香りのものだったが、彼女に似合いそうだなと思わせられる香りだった。

 それに、店員には、こういう風に商品を選ぶ時の経験もあるはずだ。

 少なくとも、僕が何も分からずに選ぶよりはいいだろう。


 一応値段も確認してみたが、ちょっと値は張るものの、今の僕なら十分に手が出せる範囲だった。

 僕はそれでお願いしますと承諾し、店員にプレゼント用に包んでもらうことにした。


 店員は美しく模様が描かれた小さな紙袋に香水の小瓶を丁寧に入れて、リボンで手際よく飾りつけをしてくれる。

 その様子を感心しながら僕は眺めていたのだが、その時唐突に、別の誰かの顔が浮かんで来た。


 僕の僚機のパイロットであり、アリシアと僕が再開するきっかけを作ってくれた、いつも元気で、笑顔が素敵な女の子の顔だ。


 僕は店員に頼み込んで、もう1つだけ、香水を選んでもらい、それを同じ様に包んでもらった。


 僕はその日、たくさんのものを見て、美味しいものを食べて、満足のいく買い物をすることもできた。

 とても素晴らしい休日だった。

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