16-9「母たち」
「母さん! 」
僕がそう呼びかけると、職場の同僚たちと賑(にぎ)やかにおしゃべりをしていた母さんは、すぐに僕に気がついてくれた様だった。
どうやら、僕の声をちゃんと記憶してくれていた様だった。
「ミーレス! 来るって聞いてはいたけど、本当に来てくれたのかい!? 」
母さんは叫ぶ様にそう言うと、それから、他の婦人方から前に進み出て来る。
僕も数歩前へと進んで、母さんとハグをした。
牧場でいつも重労働をこなしていた母さんの腕は、力が強い。
その力でいつもハグをする時はぎゅっと全力でするものだから、僕がまだ小さかった頃はいつも窒息(ちっそく)させられそうになっていたものだ。
僕の背がのびたせいで昔の様に窒息(ちっそく)させられそうになることはもう無いが、それでも、母さんの力強さは変わりがない。
とても懐かしかった。
「まぁ、まぁ! 何年か見ない間にずいぶん大人びて! 立派になったじゃないか! 」
「ありがとう、母さん。でも、母さんはあまり変わらないね」
「あらやだ! お世辞まで言えるようになっただなんて! 」
母さんはそう言って笑うと、僕の胸をばしんと叩いた。
なかなかの衝撃があって息がつまったが、母さんが元気な証だったから、僕は嬉しかった。
それから母さんは、ちょうど休憩だからその間に話でもしようと言ってくれた。
僕は当然、断らない。
僕は、母さんと、母さんの同僚の婦人方と一緒に輪を作って腰かけ、労働の途中のエネルギー補給のために砂糖がたっぷりでとても甘いお茶をご馳走になりながら、母さんと話すことができた。
直接会うのは数年ぶりのことだったが、母さんにはあまり変わりがない様だった。
母さんは陽気に笑いながら、大きな声で楽しそうに話す。
僕の知っている姿と少しも変わらなかった。
僕たちの家である牧場から遠く離れて、慣れない環境で暮らしているから気が滅入(めい)っているのではないかと心配していたのだが、そんなことは無い様だ。
どうやら、母さんが元気でいられるのには、同じ職場で一緒に働いているご婦人方の存在も大きい様だった。
大勢の人間がいれば、気の合う仲間同士で自然にグループがいくつもできあがるものだったが、母さんと一緒におしゃべりをし、今も一緒に輪を作って休憩をしているご婦人方もそうやって自然にできたグループである様だった。
みんな、母さんと似ていて陽気で、大きな声で話す。
年齢も体格も容姿も様々だったが、自分の力で何でも進んでやってのけてしまう、そういう馬力を持った女性たちばかりの様だ。
そして、その全員が子供を持っている母親であるということだった。
工場には独身の男女も多く働いているはずだったが、母さんの周りに子供を持つという共通点のある女性ばかりが集まっているのはやはり、同じ母親ということで話が合うからなのだろう。
出会ってから日は浅いはずだったが、彼女たちはもう、良い友人同士である様だった。
彼女たちは久しぶりに息子と再会することができた母さんに気を使って、なるべく僕とのおしゃべりに専念できる様にしてくれていた。
だが僕は、彼女たちから向けられてくる好奇の視線に気づかないほど鈍感では無い。
僕が母さん以外の人でも何か聞いてみたいことがあるのならお答えできますよと提案すると、堰(せき)を切った様な質問攻めが開始された。
母さんと一緒に働いているご婦人方は、出自も様々で個性的な人たちばかりだったが、飛行機に乗ったことが無いという点で共通していた。
飛行機という存在は一般に広く知られる様になってきており、軍事目的だけでなく民間の用途にも利用が広まってはいるが、一般庶民にとってはまだまだ高嶺(たかね)の花というのが実情だ。
民間における航空機の利用は、人の輸送という部分を見ると、長距離を短時間で移動したいという一部のビジネスマンやお金持ちたちによるものがほとんどだった。
これは、航空機による輸送は時間こそかからないものの、その性能の限界から多くの人や物を大量輸送する用途には向かず、どうしても1人あたりを輸送する経費が高くついてしまうからだ。
王国には民間の航空会社もあり、戦前は定期航路などで旅客機や貨物機が運用されていて、そのチケットは誰でも購入することができたが、庶民にとっては手が出ない高額なものばかりだった。
一般庶民が長距離の移動に使う手段は鉄道が多く、王国人の中でも飛行機に乗ったことがある人はほんの一握りに過ぎない。
彼女たちは最新鋭の戦闘機を作っている人々だったが、それが実際にどんな風に空を飛び、戦っているのかを少しも知らなかった。
だから、パイロットである僕に聞きたいことがたくさんあった様だった。
彼女たちが作っている機体の性能は、連邦や帝国のものと比べてどうか。
自分たちが作った機体で、僕らパイロットはどんな風に戦っているのか。
戦況の見通しはどんなものなのか。
戦争は、いつになったら終わるのか。
途中から、彼女はいるのかとか、好みの女性のタイプはどんなだとか、飛行機とは関係ない様な話も出てきて、僕はずいぶん困らされてしまった。
休憩時間の終わりを知らせるチャイムが鳴らなかったら、僕はきっと、根掘り葉掘り、ありとあらゆる情報を吐かされることになってしまっていただろう。
マシンガンの様に無数に質問を繰り出してくるご婦人方に、どうやって逆らえというのだろう?
僕はもっと母さんと話していたかったが、母さんは「ダメだよ、ミーレス」と言って、やんわりと僕を諭(さと)した。
「パイロットさんだって、機体が無けりゃどうしようもないんだろう? だったら、1機でも多くの機体を送り出せるようにあたしらが頑張らなきゃね。……そうでもしなきゃ、この戦争はいつまで経っても終わりゃしないんだから」
母さんの言う通りだった。
どんなに腕のいいパイロットがいても、乗ることができる機体が無ければ何もすることはできない。
王国は、この戦争に負けてしまう。
母さんだって、もっと話したいことがあるはずだった。
数年ぶりに再会したのだ。話したいこと、話せることなら、たくさんあるはずだ。
母さんは僕にそれ以上は何も言わなかったが、母さんは母さんなりに、少しでも早くこの戦争を終わらせて、今まで通りの生活を取り戻したいと考えている様だった
それまでは、いろいろなものを我慢し、耐えるつもりでいるのだろう。
「母さん、話してくれてありがとう。僕も、もう行くよ。明後日からはまた訓練が始まるんだ。その訓練が終わったら、……また、前線に出て戦うことになると思う」
「ミーレス。しっかりやるんだよ。でも、無理はしないでおくれよ。ヒコーキならここで母さんたちがいくらでも作ってあげるんだから。好きな様に使い潰していいんだから、ちゃんと生き残るんだよ」
「ああ。約束するよ。……母さん、元気で」
「あんたもね! 」
僕と母さんは最後にもう1度ハグをして別れた。
僕は母さんを振り返らなかったし、母さんも僕を振り返らなかっただろう。
未練はあったが、僕は工場の出口へと向かった。
これが、母さんと話した最後の記憶になるかもしれない。
新工場のゲートに向かう途中、そんな、根拠のない、漠然とした不安が僕の胸の中を横切って行った。
不吉な想像を、僕は頭を左右に振って打ち消そうとした。
大丈夫。母さんたちなら、大丈夫だ。
王国の南部にあるクレール市は、王国で最も戦争から遠く離れた場所だった。
王国は首都であるフィエリテ市を失い、僕の故郷も戦場となってしまったが、王国の南部にはまだ戦火は届いていない。
だから母さんたちは、きっと大丈夫だ。
むしろ、僕が戦場で敵機に撃墜され、戦死してしまう可能性の方がずっと大きいだろう。
そう思おうとするのだが、僕の脳裏には、夜間飛行の訓練中に遭遇した、銀翼の所属不明機の姿が浮かんで来て離れない。
確かに、王国の南部は前線から最も離れていて、未だに攻撃を受けたことが無い。
だが、空は?
空から侵入して来る敵機を遮(さえぎ)れるものなど、何も無いのではないか?
「よしっ! 」
僕は自分の想像を振り払い、気合を入れるために両手で自分の頬を叩いた。
まだ僕に与えられた休暇はもう1日だけ残っていたが、それが終われば、再び訓練の日々が始まる。
新型機も得た僕らは、確実に以前よりも戦力を増したという実感はあったが、僕が前線に戻るまでの間にさらに力を身につけておかなければならないだろう。
僕は、自分自身の不吉な想像を現実のものとしないために、できるだけのことをしておかなければならなかった。
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