第16話:「銀翼」
16-1「航法」
僕ら、301Aがクレール市に移動してきてから、1カ月以上が経過していた。
僕らは新たにベルランD型という機体を得て、さらに、大陸外からやって来た義勇兵であるナタリアを仲間に加え、毎日の様に訓練に励(はげ)んでいる。
大陸南部にあるクレール市は前線から遠く、未だに終結への道筋の見えない戦争のことなど忘れてしまいそうになるほど、平穏な時間が流れている。
クレール市の外洋には、暖流と呼ばれる水温の暖かな海流が流れており、フィエリテ市の周囲と違って標高も低いということもあり、冬でも温暖だった。
気候も落ち着いていて、時折荒れることはあったものの雪は降らないし、ほとんど毎日の様に晴れている。
冬でも太陽の光がふんだんに降り注ぐ王国南部の空は、美しいものだった。
同じ青でも、王国の北部の空と、南部の空は少し違う色をしている。
その空を飛ぶことは僕にとっては新鮮な体験で、毎日の様に飛行していても少しも飽きることが無かった。
そして、眼下には、明るい色をした海が広がっている。
王国の南部にはクレール市がある島の他にも大小さまざま、無数の島嶼(とうしょ)が存在し、大陸と島々との間にあるオリヴィエ海峡の他は、大型の船舶が通行できない様な遠浅の海が多い。
空から見下ろすと、白い砂の色が浅い海の下にどこまでも広がる美しい浜辺の景色や、サンゴと呼ばれる海の生物が作り出す環礁(かんしょう)があちこちに広がっている姿を目にすることができる。
その光景の中で、僕は、船が進んで行く光景が特に好きだった。
それも、現代風の鋼鉄の船ではなく、昔ながらの小さな帆船(はんせん)だ。
王国で使われている船舶はその多くが機械化されていて鋼鉄のものが多かったが、沿岸部での漁業などのために今でも多くの帆船(はんせん)が用いられていた。
それらが海に浮かんでいる姿がどうして好きなのかと言うと、風を受けて膨(ふく)らんだ帆の白い色が海の青に良く映(は)えて、言い表せないくらい綺麗に見えるからだ。
僕がライカの様に写真機を持っていて、操縦桿も握っていなかったらきっと、その光景を夢中で撮り続けたのに違いない。
もちろん、僕は今が戦争中だということを本当に忘れてしまったわけでは無かった。
ただ、忘れそうになっていただけだ。
僕ら301Aに新しく加わり、レイチェル中尉とカルロス軍曹の僚機となった義勇兵のナタリアは、元々持っていたパイロットとしての優れた技量と豊富な経験もあってか、短い期間でベルランD型の操縦に慣れて来た様だった。
彼女は母国でパイロットをしていた頃はもっと低速で運動性の良い機体に乗っていたらしく、最初こそベルランD型の高速に不慣れな感じだったが、徐々に高速機での戦い方を覚え、機体を使いこなし始めている。
彼女が搭乗している機体は、ベルランD型の試作機の内の1機で、僕らに機体のレクチャーをしてくれた曹長の隊から特別に譲ってもらったものだった。
試作機なので連番の機体番号が割り振られていなかったが、301Aの隊内での管理をやり易くするために便宜上「3000号機」ということになっていて、垂直尾翼にもその番号が描かれている。
機体の仕様についても、量産機と変わらない様に修正されている。
ナタリアに言わせると、ベルランD型は「とっても真面目な子」なのだそうだ。
機体の高性能化が進み、高速での空中戦が多くなった現在の戦場に対応するべくベルランD型は生まれ、そのために必要な能力を備えた優れた機体となっていたが、少し前までの機体にあった軽快さと言ったものはあまり無く、確かに強いのかもしれないが飛んでいて面白くは無いというのがナタリアの見解だった。
ナタリアが特に気に入らない点は、風防がバブルキャノピーになっている点だ。
視界が良いのは歓迎するべきことだったが、彼女に言わせると「風を感じられないネ! 」ということで、大いに不満な点であるらしい。
僕らが以前乗っていた複葉のエメロードの様に開放式のコックピットを持つ機体がナタリアの好みである様だ。だが、それでは空気抵抗が増して高速を発揮しにくいし、何より高高度での戦闘が辛くなってしまうだろう。
少なくとも僕はベルランD型の操縦席を気に入っているし、今ではすっかり慣れてしまって、以前の様な支柱の多い風防では息苦しさを感じてしまうほどになっている。
訓練が進み、新型機のクセや特徴に慣れてくると、僕らは航法の訓練に多くの時間を割く様になっていった。
どうやら、レイチェル中尉もハットン中佐も、フォルス市からフィエリテ市近郊の連邦軍に対して航空撃滅戦をしかけた際に経験した、長距離進出の難しさを痛感しているらしい。
それに、長距離飛行の技術は、パイロットコースを途中で切り上げて前線に投入された僕らにとって、特に欠けている部分だった。
機体の航続距離の不足については、ベルランD型では翼内に燃料タンクが追加され、胴体に吊り下げるタイプの落下式増槽タンクを装備できる様になっているから、ある程度は改善されている。だが、だからと言って僕らパイロットの側の能力が不足してしまっていてはどうにもならない。
空中戦を戦った後、幸運にも僚機と合流することができればまだ良かった。
だが、損傷を受けるなどして途中で戦場を離脱することになったり、僚機とはぐれてしまったりで、単機になってしまった時は大きな問題だ。
例え1人だけになっても、数百キロメートル先にある基地まで無事に帰還できるだけの技術と経験を持たせようというのが、レイチェル中尉やハットン中佐の考えである様だった。
クレール市周辺の空域は、そういった訓練にはうってつけの場所だった。
僕らの飛行経路上には様々な形をした特徴的な島嶼(とうしょ)が散りばめられており、コンパスの情報を頼りに飛行しながら地図で地形を確認し、自機の位置や進路を割り出すといった航法の訓練を行いやすかった。
それに、僕らには優秀なガイドがついていた。
かつて補充機を前線へと送り届けるパイロットとしてクレール市の周辺で働き、その空を飛び回った経験を持つカルロス軍曹だ。
彼の航法は僕らの中で最も確実なもので、この点についてだけはレイチェル中尉も、自身の意見よりも軍曹の意見をよく取り入れているくらいだった。
まず身に着けたのは海の上での航法だった。僕らは主に大陸の上で戦うことになるはずだったから、ある程度航法が上達して来ると大陸の側に向かって飛び、陸の上を正確に飛び続ける訓練も繰り返す様になっていった。
陸の上は一見すると目印が多い様に思えるが、地上では大きく見え格好の目印になる様に思える建物も空から見ると思った以上に小さく見えるし、線路や川に沿って飛ぼうとしても、それらは蛇行していたりするためどの方向に飛んでいるのかが分からなくなってしまったりする。
快晴の空であるならまだしも、雲があったりして、重要な目印が見えなかったり、途中で視界が途切れたりする様な状況ではなおさら分かりにくい。
だが、カルロス軍曹たちにアドバイスをもらいながら訓練を続けている内に、少しずづ陸地の上での航法にも慣れて来て、僕らはさらに高度な訓練の段階へと進むことになった。
それは、夜間飛行の訓練だ。
夜間飛行は、王立空軍のパイロットが習得するべきとされている技術の中でも最も難しいとされている技能の1つだ。
昼間であれば、世界は明るく、雲などによって視界が遮(さえぎ)られることはあっても、基本的には目印になるモノや地形を読み取ることができる。
だが、夜間飛行では勝手が違う。
夜の明かりと言えば、あって月明かりで、悪ければ星明りしかない。そんな状態では目印になるモノや地形などを見つけることは、ほとんど不可能だ。
街の明かりなどは良い目印になってくれるのだが、あちこちに街があるわけでは無いし、王国には同じ様な規模の小さな街や村も点在していて見分けのつかない明かりもあるから、確実な方法ではない。
設備の整った飛行場までくれば、誘導灯などの灯火のおかげで空港だと識別することも、着陸することだって可能だったが、飛んでいった先から飛行場まで無事に戻って来ることは至難の技だった。
そういった状況で頼りになるのは星座など、夜空に浮かぶ星々だった。
夜間飛行においては、僕らは星座と自機の位置関係から現在位置を何とか割り出し、大きな街や飛行場がある場所までどうにかしてたどり着かなければならない。
困難である以上に、危険でさえあった。
そういった事情から、夜間飛行の訓練には、ハットン中佐のプラティークが加わる様にされていた。
1人で操縦と航法の両方をやらなければならない僕らに比べて、機体を操縦するハットン中佐と、通信や航法だけに専念するクラリス中尉、そして単純に目となって周囲に注意を凝(こ)らしているアラン伍長の3人が乗っているプラティークの夜間飛行はずっと安全で、確実なものだった。
ハットン中佐たちがついてくれているおかげで、僕らは何度か自分たちの位置を見失ってしまったが、どうにか安全に訓練を続けることができた。
僕らの中では、ライカが最も夜間飛行に適性がある様だった。
彼女は星座について詳しく、また、航法についての講義も熱心に受けていたから、最初から夜間飛行がある程度できていた。
パイロットコースに進む以前から飛行機に乗っていた彼女は、自分ではやったことは無いが夜間に飛行したこともあったらしい。その時の経験が大いに役に立っている様だった。
僕はと言うと、かなり苦戦している。
機体には夜間の識別用に灯火が備えつけられているため僚機の位置を見失うことは無いのだが、夜空の中で自分たちがどの辺りを飛んでいるかを、僕は度々見失ってしまった。
操縦席には夜間でも地図を確認できる様に手元を明るくしてくれる照明が取りつけられていたが、それだけだと少し頼りなく、夜間に地図を確認することは昼間よりもずっと難しいことだった。
それに、夜間では六分儀という器械を使い、星の位置などから自機の位置を割り出すのだが、僕はその器械の扱い方が苦手で、なかなか正確な位置を割り出すことができなかった。
夜間飛行の習得具合についてはライカ以外の他の仲間たちも僕と同じ様なものだった。
僕らは何度も夜間飛行の訓練を繰り返す中で、本当に少しずつ、その技術を身に着けていった。
画期的に簡単になる様な抜け道は、残念なことに存在し無い。
僕らは地道に訓練を続けるしか無かった。
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