16-2「夜間飛行」

 夜間飛行というのは、少し不思議な感じがするものだった。


 太陽が出ている明るい間に飛ぶとき、僕の目には様々なものが映っている。

 空や雲、海や陸地。海を行く船や、陸地に点在する街や農地、森や山。

 それらがあらゆる方向に、どこまでも広がっている。

 世界は広く、僕はちっぽけな存在なのだといつも気づかされる。


 だが、夜間飛行では、それらはほとんど見ることができない。

 あるのは頭上に広がる星空と、眼下に時折見える街や村、船などからの小さな光たち。

 操縦席の明かりを消してしまうと、そこには蛍光塗料でぼんやりと光る計器類だけが残り、僕は夜の闇の中に投げ出されてしまった様な感覚に陥る。


 その時、僕はこの広い世界の中で、1人になってしまった様な気持ちになる。

 夜の闇は、寒い。心が凍えそうになる。


 昼間に見る世界はその奥行きを僕にはっきりと知覚させてくれるが、夜の闇の中を飛んでいると、世界の奥行きは曖昧(あいまい)なものになる。

 それがかえって、どこまで行っても果ての無い、底なしの広がりを僕に想像させる。


 僕は、その、無限に広がる終わりのない暗闇の中に、自分だけがただ1人、突然放り出されてしまった様に思ってしまう。

 暗闇の中で僕の耳に届くのは機体のエンジンと風を切る音だけで、他には何も無い。

 音は確かに聞こえているのに、それは、僕にとっては永遠に続く静寂(せいじゃく)の様に感じられる。


 僕は、頭では、すぐ近くに仲間たちがいることを分かっている。

 見回せば機体の灯火を視認することができるし、無線を使えば彼らと会話することもできる。

 理性ではきちんと理解はしているのだが、夜の空を飛んでいると、孤独感でたまらなくなってしまう。

 寂しくて、胸の中が冷えて来る。


 それは、仲間たちも同じである様だった。


《あー、あー、聞こえるか? こちらジャック。ちょっと、話しでもしようぜ。黙ってずっと飛んでるとさ、どうにも肩がこるんだよ》


 僕が両足で操縦桿を固定し、機体を水平飛行させながら六分儀を使って星の位置を確認していると、無線越しにジャックの声が聞こえて来た。

 その無線は、僕らが飛行中にレイチェル中尉たちには内緒でおしゃべりをした時に使う、秘密の周波数だ。


 秘密の無線周波数を使っておしゃべりをするのは、久しぶりだ。

 というのも、夜間飛行の訓練が始まって以来、僕らは誰もが訓練だけで手いっぱいになって、とてもおしゃべりなどをしている余裕が無かったからだ。

 夜間飛行の技術を身に着けることは大変だったが、苦労したおかげで、僕らにもようやく、こうやっておしゃべりをする心の余裕もできていた。


 うぬぼれることは決してできなかったが、ジャックの言う通り、夜の空を黙って飛んでいると肩がこってしまう。


《こちらアビゲイル。いいよ、参加する》

《こちらライカ。私も》

《こちらミーレス、僕も》

《おっ、サンキュな。それでさ、この前基地でこんな話を聞いたんだけどさ……》


 ジャックの提案に僕らは全員賛成だった。

 僕らはレイチェル中尉たちにばれないように、こっそりとおしゃべりを楽しんだ。


 話題は、ありふれた様なものばかりだ。

 基地で耳にした噂話について話し合ったり、最近考えていることについてお互いに話し合ったり。

 冗談を言ったり、相手のことをからかってみたり。


 雰囲気としては、同年代の友人同士でどこかに集まり、キャンプでもしながらゆっくりと夜を過ごす様なものだった。


 もちろん、僕らは訓練のことも忘れていない。

 レイチェル中尉からは定期的に連絡が入ることになっている。それは編隊から脱落した機がいないかを確認するためと、僕らがちゃんと現在位置を把握できているかを試すためだ。


 僕らはお互いに、それぞれが星を観測して計算し、割り出した自機の位置を発表し合い、間違いや勘違いが無いかを確認し合った。

 全員の答えはそれぞれ違っていたが、僕以外の3人はどうやら大体同じ位置を導き出していて、僕だけが大きくズレた場所にいることになってしまった。


 僚機の灯火は相変わらず見えているし、念のためライカに頼んで操縦席の照明をつけたり消したりしてもらって僕らがちゃんと一緒に飛んでいることを確認したから、多分、僕の計算が間違っているのだ。


 僕はもう一度六分儀を取り出し、夜空の中に星座を探して、計算に使うことができる星を探した。

 計算間違いの原因は、すぐに分かった。

 僕はどうやら、六分儀で見る星を間違ってしまっていた様だった。


 計算し直すと、今度は僕らの答えはほとんど一致した。


《よぉし、お前ら。点呼とるから、操縦席の明かりをつけろ。それから、自分たちが今どの辺にいると思うのかを言え》


 やがて予定の時間になり、レイチェル中尉から無線が入って来た。

 僕らは一斉に操縦席の照明を点灯し、301Aの全機が編隊を組んだまま飛行していることを確認し、それから、1人ずつ点呼を取り、それぞれの計算結果を発表していく。


 計算結果は全員がほとんど一致していた。僕らは事前に4人ですり合わせをしていたから当たり前のことだったが、レイチェル中尉やカルロス軍曹、クラリス中尉、それにナタリアの計算結果も同じだった。

 好成績と言っていい結果だった。


《ふぅん? まぁ、いいんじゃないか? ……けど、変だなぁ? ジャック、アビゲイル、ライカ、それにミーレス。お前ら、あたしに隠れて口裏合わせとかしてないよな? 》


 だが、あまりにも計算結果が一致していて、正確であったために、レイチェル中尉は不審がっている様だった。

 僕の心臓の鼓動が、一気に早くなる。

 確かに、僕らは答え合わせを事前に済ませていたのだが、言ってみればこれはカンニングをしている様なものだったからだ。


《そんな、中尉! そんなことしませんよ! なぁ、みんな!? 》

《ジャックの言う通りです》

《当然です! 》

《訓練の成果が出たのだと思います》


 当然、馬鹿正直に答えてしまってはレイチェル中尉に怒られるだけなので、僕らは阿吽(あうん)の呼吸で話を合わせた。

 伊達に長くチームを組んでいない。このくらい朝飯前だ。


《ま、そういうことにしておいてやろう》


 レイチェル中尉は僕らの答えをどう受け取ったのかは分からなかったが、これ以上深くは突っ込んで来ない様だった。

 僕は、誰にも気づかれない様にこっそりとため息を吐く。

 みんな平然と答えたが、僕と同じ様にドキリとさせられていたに違いない。


 それから僕は、急に夜空が明るくなったことに気がついた。


 明かりの方を見上げると、そこには、大きな満月が出ている。

 どうやら、今までは雲がかかっていて、見ることができなかったらしい。


 大きな月だった。

 地上ではなく空から見上げているということもあるのだろうが、月の表面の模様まではっきりと鮮明に見て取ることができる。

 きっと、空を飛んでいるから月と僕の間にある空気の層が薄く、よりはっきりと見えているのだろう。

 これはきっと、空からでなければ見ることのできない光景だ。


 僕は、その光景を、仲間たちと共有したかった。


《ライカ。とても、綺麗だよ》


 僕は大きな満月をうっとりと見上げながら、無線のスイッチを入れた。


 不思議なことに、返事はすぐには返ってこなかった。

 僕は確かに無線のスイッチを入れていたはずだったが、いったい、どうしたのだろう?

 だが、もう1度無線のスイッチを入れようかと思っていた時、ライカから返答があった。


《ミ、ミ、ミーレス? そ、それは、いったい、どういう、い、意味なのかしら? 》


 変だな。ライカの声が上ずっている。

 それに、どういう意味なのかしら、というのは、どういう意味なのだろう?


《いや、月がとても綺麗だったから、知らせようと思って》


 疑問に思いながらも僕がそう答えると、ライカは再び黙ってしまった。

 ライカだけでなく、ジャックも、アビゲイルも無言だ。


 よく分からなかったが、僕はまた、何か悪いことでもしてしまったのだろうか?

 そう焦り始めた時、ライカから応答があった。

 ちょっとした怒鳴り声だ。


《……もぅっ! どうしてあなたはいっつもそんな風なの!? ミーレスのばかっ! もぉ知らないんだから! 》


 そして、それっきり彼女は黙ってしまった。

 僕が何度呼びかけてみても、彼女はもう、応答してくれそうに無い。


《あの……、ジャック? アビー? 》


 僕は2人にそう言って助けを求めたが、


《ミーレス、今のはお前が悪い》

《ミーレス、アンタが悪い》


 返って来たのは、事前に打ち合わせでもしていた様な答えだった。

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