15-7「ベルランD型」

 僕がまだ故郷で家族と暮らしていた頃、教会で神父から「天国と地獄」について聞かせてもらったことがある。

 どちらも人間が死んだ後に行く場所だということだったが、それは多分、間違いだ。


 何故なら、地獄は今、ここにあるからだ。


 もう、どのくらい船酔いに苦しめられているのだろう?

 タシチェルヌ市からクレール市へは、幅が50キロメートルほどある「オリヴィエ海峡」を渡っていくだけだから、思っていた以上にのんびりと進んでいくフェリーでもほんの数時間でたどり着くことができる予定となっている。


 その、ほんの数時間というやつが、今の僕には永遠のように感じられる。


 やがてアナウンスがあり、もう間もなくフェリーが港に入るということが伝えられたとき、僕は泣きたくなるほど嬉しかった。

 いや、嘘をつくのは良くない。実際には、僕は少しだけ泣いた。


 フェリーが港につくにはさらに時間がかかったが、終わりが来ると分かっていれば耐えることも何とかできた。

 フェリーが港の岸壁に接岸し、船員たちが乗降用の橋を渡すのを、今か今かと待ちわびていたのは僕だけでは無かったはずだ。


 僕は出発した時、僕らが乗ることになる新型機というのはどんなものだろうかという期待で胸がいっぱいだった。

 クレール市にたどりついたらすぐにでも新型機のところへ行きたいという気持ちだったのだが、船酔いのおかげでそんな気持ちはどこかに消え去ってしまっていた。


 ああ、揺れない地面。

 なんて、素晴らしいんだ!


 フィエリテ市の辺りではもう日が沈み始めている様な時間だったが、クレール市まで来るとまだ太陽は高い位置にあった。

 数百キロも移動してきて疲れているだろうということでその日の予定はもう無く、クレール市近郊のクレール第2飛行場に用意された宿舎に入ると以後は自由行動で、許可を得れば基地の外に出ることも可能だった。


 余談になるが、僕らが常設の飛行場にやってくる際、必ず「第2」と番号が振られた飛行場になっているのは、王国では常設の飛行場で戦闘機用のものを「第2」とすることが多くなっているからだ。


 レイチェル中尉などは外出許可をすぐにとって、酒場に行くぞと意気揚々(いきようよう)と出かけて行ったが、僕はそのまま宿舎の部屋で休んでいることにした。

 久しぶりにジャックと同室だ。彼も僕と同じ様に船酔いで大ダメージを受けていたから、部屋に入って荷物を放り出すなりベッドにダウンだ。

 もちろん、僕も同じ様な状況だ。


 レイチェル中尉と同行することになったのは、ハットン中佐と、クラリス中尉、アラン伍長、そしてカルロス軍曹だった。

 故郷に近いしせっかくだから街の雰囲気を味わうだけでもいいと、酒は飲まなくてともいいからとアビゲイルも誘われていた。だが、アビゲイルは同室のライカの看病を口実にその話を断った。

 アビゲイルいわく、「どうせそんな穏便には済まないだろう」ということだった。


 実際にそう思っているのは、アビゲイルだけではない様だった。

 「船の上でかっこつけるんじゃなかった」と、後悔する様な表情を一瞬だが浮かべていたカルロス軍曹の姿を、僕は見逃さなかった。


 ハットン中佐とクラリス中尉がいるから、多分、きっと、恐らくは、平気だろう。特にクラリス中尉はレイチェル中尉とは幼馴染で、レイチェル中尉もクラリス中尉の言うことならよく聞き入れている。

 もっとも、酒が入った状態でどうなるかは分からなかった。


 僕では力になれないかもしれないが、カルロス軍曹に幸多からんことを精一杯祈ろう。


 その日、僕らはもう、夕食を食べる気力も無かった。

 少し気分が回復してきたところでシャワーだけを浴びさせてもらい、僕とジャックは明日以降に備えて眠ることにした。


 そして、翌朝。

 いつもよりも長く眠ったおかげか、僕らの体調はすっかり回復していた。

 夕食を食べなかったこともあって、朝食はいつもよりもずっと美味しく感じられた。クレール市の基地での食事は配膳者が配る方式ではなくビュッフェ形式で、必要なだけ食べることができたので量も十分だった。


 そして食事が終わった後、僕らは、301Aにあてがわれた格納庫へと直行した。

 そこで僕らは朝一で新型機を受領し、新型機を試験運用していた部隊からその特徴や用法などのレクチャーを受け、さっそく、その運用方法を会得(えとく)するために訓練を開始する予定になっている。


 クレール第2飛行場は滑走路2本を持つ常設の立派な飛行場で、僕らが滞在した経験のあるフィエリテ第2飛行場やフォルス第2飛行場と少しも遜色(そんしょく)のない設備と大きさを持った飛行場だった。

 だが、直接前線となる可能性が少ない立地の関係上、強固な鉄筋コンクリート製のバンカーの数は少ない。僕ら301Aが使用することになっている格納庫も四角い倉庫の様な建物になっていて、高い位置に設けられた採光窓からふんだんに光が降り注いでいた。


 その豊富な光の中で、僕らが受領することになる6機の新型機が並んでいる。

 ボディとプロペラが光を浴びて輝いていた。


 僕にはそれが一瞬、全くの新型機である様に思えた。

 だが、全くの新型機では無いと気づくのに時間はかからなかった。


 それは、ベルランに間違いなかった。

 プロペラの羽の数がこれまで僕らが乗っていたベルランB型の3枚から4枚に増え、風防や主翼の形状も大きく変化していたが、倒立V型エンジンを装備したベルランの精悍(せいかん)な顔つきは変わっていない。


 それらの機体には王立空軍の規定に従い、王国南部の海に面した地域で活動するための塗装が施されていた。

 上面が王国南部の明るい海の色を模したライトブルー、下面が空にまぎれるための灰色、そして機首の上面は防眩のための黒で塗られている。

 王国の国籍章である「王国の盾」が胴体の左右と主翼の上面下面に描かれ、垂直尾翼には機体番号として「3001」から「3006」までの数字が描かれていた。


 そして、驚くべきことに、僕ら301Aの部隊章である「アヒルの白い羽」が、すでに垂直尾翼に描かれていた。


 どんな部隊章を使うかを決定した際にその資料は軍に提出してあったから、恐らくはその機を受領する部隊が僕らに決まった時に気をきかせて先に描いてくれたものなのだろう。


 僕は嬉しかった。

 何故なら、その6機の新型機が、僕らのために用意されたものだと、そう実感することができたからだ。


 部隊を代表してハットン中佐が機体の受領書類にサインをすると、それでその6機の新型機は僕らのものだ。

 機体の引き渡しが完了すると僕らは格納庫に隣接した建物のブリーフィングルームへと案内され、そこで用意されていた分厚い資料を受け取り、新型機についての説明を受けることになった。


 その新型機は、「ベルランD型」と名づけられている。

 僕らが今まで乗って来たベルランB型から一段飛んだ名づけがされていたが、それは、その機体がベルランの抜本的な改良型であるからだった。


「これはベルランだが、これまでのベルランでは無い」


 僕らにレクチャーをしてくれる曹長が、誇らしげにそう言った。


 ベルランD型は、最大出力が1800馬力にまで増強された倒立V型12気筒エンジン「グレナディエ」M31を装備する、単発単座単葉の戦闘機だ。

 プロペラの羽の枚数が1枚増えていたのは増大した出力をより効率よく推進力に変えるためで、これに加えで視界の向上のために風防は支柱の少ないバブルキャノピーに変化している。


 一番大きく改良されているのは、主翼だった。

 層流翼、と呼ばれるものが使用されているらしい。


 層流翼と言うのは、機体の空気抵抗を減少させるために採用された新しい形の翼だということだった。

 一般的な翼と異なっているのはその断面の形状で、それまでの翼よりも、主翼の最厚部がより機体の後方へと移っているのが特徴だった。


 これは、主翼の最厚部よりも後ろでは空気の流れが乱れやすく、それが機体の空気抵抗を増大させるため、スムーズに気流が流れる部分を増やしてやろうという考えで採用された形状であるらしい。


 ベルランD型の主翼には、層流翼が持つ空気の流れをスムーズにするという効果を少しでも多く得るための工夫もされている。空気との摩擦によって生じる気流の乱れを最小にするために主翼上面の前縁部分にパテ盛りをしたうえで研磨を行い、ツルツルに磨き上げてあるということだった。

 エンジンの出力強化と合わせ、主翼に層流翼を採用したことで、これまでのベルランとはほとんど別物と言える機体に変化したのだそうだ。


 それらの改良によって発揮できる様になった最高速度の数値を聞いた時、僕は自分の耳を疑ってしまった。


 ベルランD型が発揮できる最高速度は、高度7000メートルにおいて、時速692キロメートル。

 僕らが乗っていたベルランB型よりも、100キロ以上も速くなっていた。


 本当に、全く別物の機体になってしまった様だ。

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