14-26「突破」

 霧に支配された朝の静寂(せいじゃく)は、高らかに鳴り響いたラッパの音で打ち砕かれた。

 近衛騎兵たちがあげる喚声(かんせい)と、幾百もの馬蹄(ばてい)の轟(とどろ)き。

 激しく大地を叩く蹄(ひづめ)は藁(わら)の靴を容易に突き破って馬は今や土を直接蹴り上げ、湿って黒くなった土が高く舞い上げられていく。


 近衛騎兵たちが一斉に喚声(かんせい)をあげたのには、2つの目的があった。

 1つは、敵陣の懐(ふところ)まで入り込んでから連邦軍に襲撃を知らせ、油断し切っていた連邦軍に一時的な混乱を生じさせること。

 もう1つは、何事が起ったのかと動転し、連邦軍の将兵が慌てふためいて配置につこうとする瞬間を攻撃するためだった。


 塹壕の中にじっと隠れ潜んでいる敵は、当たり前の話だが攻撃しにくい。

 だが、何が起きたのかを確認するために顔を出す兵士や、隠れていた場所から慌てて飛び出してくる兵士がいれば、格好の獲物になる。


 近衛騎兵たちは駆け抜けながら、陣地の中で動いた連邦軍の将兵たちを片端から狙撃し、サーベルで切り伏せて行った。

 それに加え、連邦軍が陣地に配置していた機関銃や大砲を発見すると、用意していた爆薬を投げ込み、次々と破壊して使用不能にしていく。

 とにかく、手当たり次第に攻撃を加え、連邦軍の被害を拡大していく。


 霧の中ではすぐに状況を把握することが難しく、連邦軍はこちらが意図した通り、混乱に陥った。


 その中を、僕はシャルロットの姿を見失わない様、必死になってゲイルを走らせた。

 突撃の開始と同時に近衛騎兵たちはそれぞれの小隊に分かれて行動を開始し、今周辺に残っているのは、僕を連邦軍の陣地の向こうまで送り届けてくれる予定になっている40名弱の近衛騎兵だけとなっていた。


 味方は全員騎乗しているから、戦友と、連邦軍の将兵との区別はどうにかなった。

 連邦軍も冷静になれば僕らと同じ様に敵味方の区別がついたはずだったが、街の守備隊の兵力を少ないと侮(あなど)って油断し、奇襲を許してしまったために、そう簡単には立ち直れなくなっている。

 霧の中での同士討ちを避けるためもあってか、連邦側からの反撃は皆無と言っていい。


 この機会を、有効に利用しない手は無かった。

 僕らは連邦軍の包囲網を突破するために、霧の中を駆け続けた。


 途中、小さな林の中に、連邦軍が設営したらしいテントがいくつも建ち並んでいる場所を駆け抜けることになった。

 どうやら、前線の指揮所として使われている場所の様だ。


 おそらくは最初からシャルロットが攻撃を予定していた場所であるらしく、そこを通ることになったのも偶然ではない様だった。

 近衛騎兵たちはあらかじめ打ち合わせをしていたかのように素早く行動して散開し、攻撃を開始した。

 近衛騎兵たちが霧の中で慌てふためく連邦軍の将兵を次々と射撃し、テントや兵士たちをサーベルで切り裂いていくと、何人もの連邦軍の兵士が逃げ出して行った。


 1人、それなりの立場にいるらしい士官がその場に留まって、混乱を収めるためか大声を張り上げて連邦の言葉で何かを叫んでいたが、シャルロットが馬で駆け抜けざまにサーベルで斬り捨ててしまった。

 切り裂かれた連邦軍の士官の首筋から鮮血がほとばしり、シャルロットの衣服と馬にいくつもの赤い斑点を作り出すのが見えた。


 駆け抜けながらの攻撃を終えた近衛騎兵たちは再び集合し、ひたすら、連邦軍の陣地の向こう側へと突き進んでいく。


 塹壕線というものは、単純に溝を掘って土嚢(どのう)などを積み上げたものではない。

 僕らが無視して飛び越えて来た前哨線があり、その後方に主陣地となる塹壕線があり、さらに後ろには予備陣地となる塹壕線が用意される。予備陣地の後ろには野戦砲の陣地や指揮所、補給所など諸々の設備が置かれることになる。

 大軍同士の主戦場ともなると、この塹壕線の後ろにさらに同じ様な陣容の陣地が築かれる様になり、二重、三重の重層的な防御陣地が構成されることになる。


 だが、僕らが今、突破しつつある塹壕線は、そういった本格的なものではないらしい。明らかに薄いものだった。

 どうやら連邦軍は時間が無かったこともあるし、片田舎の小さな街に立て籠もったわずかな守備隊に対してはこれでも十分と、あまり熱心に陣地を作らなかった様だった。


 僕らにとっては幸運なことだった。

 前哨線と、主陣地を突破しただけで、連邦軍の後方にまで入り込むことができたからだ。


 部隊の指揮官らしい士官のいたテント群を駆け抜けてきたが、それこそが、僕らが連邦軍の陣地を突破しつつあることの何よりの証拠だった。


「シャルロットさん、連邦軍の陣地を突破できたのではないですか!? 僕のことはもう十分です、引き返してください! 」


 僕はゲイルを走らせ続けながら、僕を護るために先頭を走り続けているシャルロットへ向かって声を張り上げた。


「いや、まだだ! この先に、連邦の補給所がある! キミと別れるのはそこまで着いてからだ! 」


 だが、シャルロットはそう言って馬を走らせ続け、引き返す気配は少しも無い。

 周囲にいる近衛騎兵たちもそれに従い、霧の中に風を渦巻かせながら駆けていく。


 やがて、僕は、霧の中に大きな黒い影が現れたのに気がついた。


 それは、大きな台形の土台の上に、丸いシルエットが乗っかり、そこから細長く突き出した鼻のようなものを持つ、金属でできた塊だった。


「前方に戦車! 散開しろ! 」


 シャルロットが鋭い声で叫ぶのと同時に、近衛騎兵たちは一斉に散開した。


 一瞬遅れて僕がゲイルの進路をその金属の塊の正面からずらした直後、そいつの細長く突き出た鼻の先端から轟音が発せられた。

 炎が噴き出るのと同時に衝撃と噴煙が周囲の霧を吹き飛ばし、目にも止まらない速さで何かの塊が、ついさっきまで僕らがいた場所を突き抜けて行った。


 戦車。

 戦争になる前、友軍部隊が演習で使っているのを見たことがあったし、飛んでいる時に空から目にしたこともあったが、ここまで間近で遭遇し、そして戦うことになったのは、これが初めてだった。


 もし、さっきの砲撃が命中していたら、僕など跡形もなく吹き飛んでいたことだろう。

 僕は背筋にゾワゾワとした戦慄を覚えながら、連邦軍の戦車の脇を駆け抜けた。


 背後を振り返ると、戦車は僕らを追いかけるためにキャタピラを蠢かせて方向転換をしながら、砲塔を僕らの方へと向けつつある様だった。


「ミーレス! よけろ、こっちだ! 」


 僕は、シャルロットの声のする方へとゲイルを駆けさせる。

 戦車の砲塔がこちらへ向き終わったのは僕がそうするのとほとんど同時で、背後から今度は連続した発砲音が響いてくる。

 霧の中でも、戦車に装備された機関銃からの曳光弾は良く見えた。視界が良くないらしく狙いはけっこうあてずっぽうな様だったが、鋼鉄の守りを持たない生身の僕らにとっては1発でも当たったら致命傷になりかねないものだった。


 僕らは散開したまま、速度を落とさずに走り続けた。

 戦車は、後方から追いかけて来ている。

 しかも、速い。僕らの速度に全く引けを取らない。

 霧の向こう側でも、背後から迫る鋼鉄の威圧感をはっきりと感じ取ることができる。


 戦車は機関銃を射撃しながら、大砲も放って来た。

 霧のおかげで狙いは甘いものだったが、発射された砲弾は僕らの進路上に着弾し、爆発と共に大量の土砂が巻きあげられ、僕らの頭上に降り注ぐ。

 1騎が、その砲弾でできた穴を避(よ)けきれずに突っ込んでしまった。

 それに加えて、戦車から機関銃の射撃を受け、何騎かが被弾してバタバタと倒れ、落後していった。


「振り返るな! 連邦軍の補給所に到達次第、反撃する! 」


 戦いの騒音の中で精一杯に張り上げられたシャルロットの指示は、かろうじて僕の耳にも届いた。

 倒れた軍馬の悲痛ないななき声を背後にしながら、僕は無我夢中で彼女の姿を追う。


 数分後、僕らの目の前に、連邦軍が作ったらしい補給所が姿を現した。

 警備のために作られたゲートつきの検問所があり、耕作地を整地して平らに押し固めて金網のフェンスで囲った敷地に、燃料が満載されているのであろうドラム缶や、武器や弾薬、糧食など、様々な物資が積み上げられている。


 先行していた近衛騎兵が検問所の連邦軍の兵士を射撃して射抜くと、僕らは次々と検問所のゲートを飛び越えて補給所の内部に飛び込んで行った。

 連邦軍の戦車は検問所のゲートを踏み砕(くだ)きながら、猛然(もうぜん)と僕らを追って来る。


 補給所の中には連邦軍の将兵がたくさんいたが、突然乱入してきた僕らに驚いて、すぐには対応ができない様子だった。

 僕らのすぐ後ろからは、彼らにとっての友軍とはいえ鋼鉄の塊が地響きを立てながら追って来ているのだから、驚くのも無理はない話だ。


 シャルロットは少し前に言った通り、ここで戦車に反撃を加えるつもりであるらしかった。

 近くを走っていた近衛騎兵に指示を与え、指示された近衛騎兵は隊列を離れて駆けて行く。


 補給所の中は積み上げられた物資で区切られていて、見通しが悪い場所だった。

 シャルロットから指示を受けた近衛騎兵たちはその中を迂回(うかい)すると、僕らを追って来る戦車が通り抜けるタイミングに合わせ、持参してきた爆薬を炸裂させた。


 爆発は、燃料のガソリンが詰まったドラム缶の山を崩し、火のついたドラム缶の山が戦車の上に雪崩(なだれ)落ちた。

 炎はあっという間に広がり、戦車は一瞬の内に業火の中に消えた。

 燃料は次々と燃え広がり、補給所に積み上げられていた他の物資にも引火していった。

 霧の中でも、大きな火柱が立ち上(のぼ)るのがはっきりと分かったほどだ。


「よし! 撤収する! 」


 それを確認したシャルロットはそう判断し、ラッパ手として付き従っていた年配の近衛騎兵が、撤収の合図のラッパを吹き鳴らした。


「ミーレス、キミはこのまま行け! 大丈夫、キミならうまくやれる! 」

「はい! シャルロットさんも、みなさんも、お気をつけて! 」

「ああ、キミもな! 」


 僕は、僕をここまで送り届けてくれた近衛騎兵たちに別れを告げると、彼女たちと別れ、味方の前線がある方へ向かってゲイルを走らせた。


 あとは、僕の運の強さと、相棒のゲイルを信じて、走り続けるだけだ。

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